第21話 名探偵ダニエル~後書きにかえて
「ゆえにダニエルを召しなさい。彼はその解き明かしを示すでしょう」
ダニエル書五章十二節
テラは息子アブラハムを連れて、ウルを出てカナンに向かい、途中のハランで亡くなった。父の死後もハランに留まっていたアブラハムは、神を名乗る存在から、カナンに向かうよう告げられる。
さて、問題です。神は誰でしょう?
こんな子供でもわかりそうな簡単なことを、四千年もの長きに渡り、本当に人類は解けなかったのだろうか。それとも薄々気づいていたが、怖くて口に出すのを憚ってきたのか。あるいは無意識のうちに、啓示はウルで行われた、ウルは今のイランにあるウルではなくハランの近くにあった、アブラハムは高齢のテラをハランに残してきた、などとし、神の正体を知ることを避けてきたのか。
創世記の最初の形はどのようなものであったのだろう。もちろん、その時点では創世記ではない。十一章二十四節、アブラハムの父の誕生から始まる、一族とそれを見守る神の物語だったはずだ。
その二十四節も、ナホルやテラといった都市名が出てこず、「アブラハムの祖父が二十九歳になったとき、アブラハムの父が生まれた」といった、ごく平凡な事実を述べたものだったのだろう。だがそれは、人類史上最大の出来事、神の誕生だった。
創世記口語訳十一章の終わりと、十二章の始めをあえてつなげてみる。
テラはハランで死んだ。時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい」
テラはハランで死んだ時に主はアブラムに言われた。
テラはハランで死んだ時にアブラムに言われた。
現在では別の章に別れているが、主が預言者に語った時点では、続けて話したはずだ。主の意識のうえでは、テラがハランで死んだ結果、主がアブラムに言われたのだ。
この時点ではまさか自分が創造主にされるとは思いもよらず、主は、自分の正体を隠すことに細心の注意を払うことなく、アブラハム一族の物語を思いつくままに語っていった。幕屋の中で目の前にいる預言者にさえ、気づかれなければよかったのだ。そのため、創世記の内容を冷静に分析すれば、自ずと主の正体が浮かんでくる。
主の正体……それは、あのダニエルでさえ解けない謎だった。
聖書は、無知蒙昧の輩が読んでいるのではない。地動説を唱えたガリレオは、カトリック教会の解釈の誤りを正そうとしたのであり、聖書の言葉を真実とした。パスカルは、聖書の矛盾の中にこそ真実があると考えた。ニュートンは生涯をかけて聖書の解読にとりくみ、ダ・ビンチは聖書をモチーフに数々の名画を残した。
彼ら天才たちが、神の正体に気づかなかったことこそ、聖書最大の謎といっていい。
その大きな理由のひとつとして、ある天使の存在が挙げられる。大天使ガブリエルという名の天使の活躍により、単純きわまりないアブラハム一家の物語は、複雑怪奇な謎に満ちた、史上最強の宗教大系に成長した。
彼は、エジプトの魔術師から幻の出し方を盗み覚え、とてつもないレベルにまで高めた。それは、地上に海を描き出し、生身の人間を天国に行ったと錯覚させるほどだ。
彼は、モーセを出エジプトの指導者に決め、モーセは恩に報いるように、テラが追放される原因を作った。
彼は、律法をまとめあげ、モーセとその従者ヌンの息子ヨシュアに授けた。
彼は、サムソンの父に名前を聞かれて困り、仕方なく不思議と答えた。
彼は、ダビデの人口調査の結果に喜ぶ主の目前で、大巨人と化してエルサレムを滅ぼそうとし、主を震えあがらせた。そして歴代誌筆者エズラに、主のことをサタンと記すように命じた。
彼は、エリヤが五十人隊に殺害された事実を隠すため、弟子のエリシャの前でエリヤの姿に化け、竜巻に乗って昇天してみせた。
彼は、古くから続くアッシリアを強大化して北イスラエルを滅ぼさせ、アッシリア軍がエルサレムを包囲したときひとりで倒し、アッシリアを新バビロニアのネブカドネザルに滅ぼさせた。
彼は、エゼキエルにリディア連合軍によるエルサレム侵攻の計画を明かし、その調整のために訪れたペルシャでゾロアスター教の影響を受け、計画を変更した。
彼は、ダニエルに宣教の舞台となるローマ帝国建設までの過程を示し、その通りに世界を動かした。
彼は、かつての天使長ミカエルがアンティオコス四世を滅ぼすことを、アラム語の苦手なダニエル書修正者に告げた。
彼は、律法を廃棄し、キリスト教を考えだした。
彼は、断食中のイエスの前に悪魔として現れ、エルサレムの幻を見せ、直後に天使として現れた。
彼は、パトモス島のヨハネに、666の獣ネロが自分の母を滅ぼすことを告げた。
彼は、メッカの商人ムハンマドを預言者に決め、自ら作りあげたキリスト教に挑んだ。
彼は、ムハンマドによる偽啓示を知ると、自分が作り出した神の計画を投げ出した。
計画は破棄されたが、今日に至っても全人類は彼の影響から逃れられない。そのひとつが西暦だ。第四の獣ローマに皇帝を君臨させることに、彼が成功した結果、イエスは誕生した。パンをねだる群衆のせいでイエスは処刑され、予定は大きく狂ったが、ローマ帝国が滅びる前にキリスト教は国教になった。
今もエルサレムでは、彼の作り出したユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信者が隣り合って暮らしている。信者達は自分たちの教えだけが正しく、他を認めようとはしないが、提供時期が異なる三つのサービスは、どれも同じ発売元の天使カンパニーの努力の賜である。
聖書は、天使カンパニー最大のベストセラー商品である。多くの謎に満ち、読む者は宗教的な解釈をしがちであるが、ところどころに真相につながるヒントが隠されている。それらは意図的に残されたかのようでもある。今の筆者には、ミステリの巨匠エラリー・クイーンが結末を明かす前に読者へ謎解きの挑戦をしたように、聖書そのものが、古の預言者たちに謎解きを迫った大天使ガブリエルからの人類への挑戦状に思えてならない。
事実、ダニエル書のギリシャ語訳には、ヘブライ語写本にはない第十三章があり、スザンナという人妻が好色な二人の長老の罠で死刑になる寸前、ダニエルの推理で救われるという物語と、神殿の抜け穴を通って供物を盗む祭司たちの犯行を、ダニエルが事前に灰をばらまいて足跡で証明する物語が書かれている。これらは世界最古の推理小説と呼ばれる。
「見よ、あなたはダニエルよりも賢く、すべての秘密もあなたには隠れていない(エゼ28:3)」
ダニエルをネブカドネザル時代の人物としたいガブリエルは、エゼキエル書のとある賢者の名前(ティルスの王への言葉なので、おそらくソロモン王)をダニエルに書き換え、ダニエルを謎解きの名手にしたてた。その延長で、ダニエル書をギリシャ語に翻訳する際、ついにはダニエルを名探偵にしてしまった。
最古のミステリ「スザンナ」「ベルと竜」の作者で、最大のミステリ「聖書」の編集長でもある大天使は、まだどこかで、「読者よ、悟れ」と訴え続けているに違いない。
神と天使と預言者の物語 @kkb
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