#16:お前のラップにはフロウがねぇ

 今更かもしれませんが、録音するのに必要な機材を、改めて確認してみます。

 当たり前のところから確認しましょうか。マイク。これがないと音が録れません。マイクだけじゃ音は録れませんから、パソコンも必要です。パソコンには、音を流しながら録音ができるソフトも入れておかねばなりませんね。そして音を聴きながら録音するということは、ヘッドホンが必要です。それも音漏れしにくいモノにしておかないと、マイクが音漏れを拾ってしまう可能性があります。

 忘れちゃならないのは、マイクとパソコンを繋ぐんですから、接続用のケーブルも用意がいるということです。一メートルくらいの短いモノを買うと、意外と長さが足りなくて不便な時が多いです。三メートルとか五メートルとか、余裕のある長さで用意した方が便利だと思います。

 マイクスタンドもあった方がいいでしょう。マイクを手に持って録音すると、マイクと口の距離が一定になりにくく、音量に変なバラつきが出るかもしれません。手から発生するノイズも録音してしまうかもしれませんね。一定の姿勢、一定の距離で、余計なノイズを乗せずに録ろうと思ったら必要だと思われます。

 ポップガードも用意すると便利かもしれません。プロの収録風景映像を見た時、マイクの前にある黒くてアミアミのアレです。は行やぱ行なんかを発音した時に、「ボフッ」という息の音がノイズとなって録れてしまうことがあります。折角綺麗に録れたのにこういうノイズが乗っていると残念な気持ちになりますよね。ポップガードを活用することで、そういう事態を防げる可能性が高まります。

 それから、ただパソコンとマイクを接続するだけだと、ノイズが乗るし音質は悪いしであまり良くありません。それなりの音で録りたければ、オーディオインターフェイスという機械を用意し、パソコンとマイクの間に繋いだ方が良いかと思われます。聴く時も録る時も便利ですよ。

 ……こんなものでしょうか。もっと録音にうるさい人は、もう少しこだわっているかもしれません。曲を積極的に作っていた頃、このような機材はある程度用意していたので、私はそれを引っ張り出してきました。古くて使えないモノもありますので、そういうのは新調しました。親に小遣いをせびったわけじゃありませんよ、いくらニートとはいえ。バイトをしていた頃の貯金です。


 さて、これでラップを録ることができます。口に出しながらリリックを書いていますので、どのようなリズムで音を発すればいいかは分かっています。あとはそれをマイクに向かって実践するだけです。私はとりあえず、八小節くらい試しに録ってみることにしました。録音ボタンを押し……音楽に合わせ、ラップをします。リリックは事前にスマホへ送っておくと、参照しやすくて便利でした。歌詞を見ながら、まず八小節。幸いにも噛まずに済みました。

 よしよし。私は早速録音した自分のラップを聴き……そして思ったのです。

「……メッチャクチャ面白くない!」

 そこから聴こえたのは、まさに音楽に合わせて喋っているだけの自分の声。聴いていて何も気持ち良くありません。一体これはどうしたことでしょう。ちゃんとリズムに合わせて喋っているはずなのに、どうして……。

 その時です。私の脳内に、黒いTシャツのベートーベンが現れたのは。

「あ、R-指定さん!」

 彼は返事の代わりにマイクを握り、私に向かってこう言い放ちました。

「お前のラップにはフロウがねぇ」

 ……フロウ!

 私はようやく、ようやくここで。ラップで最も大切な要素のひとつ……『フロウ』の問題に行き着いたのです。

 ラッパーの方々は当たり前に使う言葉ですが、改めて確認してみましょう。フロウとは、謂わばラップの『歌い回し』を指す言葉です。どのような声を出すか。どこで声を高くして、どこで低くするか。どこで大きな声を出して、どこで小さくするか。それはひとりひとり異なります。まさにラッパーの個性を構成する要素です。

 改めて私のラップを聴いてみます。なんとなくリズムに乗っているように見せているだけで、声にも大した特徴がないし、ノリ方が面白いわけでもない。声の高低や強弱もハッキリしない。要するに『フロウがねぇ』。何の特筆すべき点もないんですから、そりゃつまらなく聴こえて当然です。

 だとしたらR-指定さん、自分なりのフロウを手にするために、私は一体どうすれば……そう助けを求めそうになったところで、私はR-指定さんのエピソードをひとつ思い出しました。中学や高校の頃は、カラオケで色々なラッパーのフロウをそのまま真似してみて、その人のフロウにどのような特徴があるのかというマニアックな研究をしていたというものです。

 そうです、フロウのことで悩んでいるなら、いろんなラッパーのフロウを参考にしてみればいいんですね。

 私は早速、フリースタイルダンジョンにおけるR-指定さんのフロウにどんな特徴があるか、確認してみました。やはり『無理ゲー』と呼ばれるほどのラップ強者ですから、彼のフロウを再現できれば理論上最強のはずです。なんだその理論って感じですが。

 ……その結果分かったのは、私がR-指定さんから吸収できる部分は、今のところめちゃくちゃ少ないということでした。

 そもそも、彼のフロウは『変幻自在』なのです。Creepy Nutsの『みんなちがって、みんないい。』という楽曲において、彼は様々なフロウを披露しています。焚巻さんとの戦いでも、焚巻さんの高速フロウをそっくりそのまま返すという技を見せていました。かと思えば、アツいバトルスタイルを得意とするCIMAさんとの戦いでは、同じアツいバイブスで場を沸かせています。

 この『相手の技を真似して返す』というのは、しばしばラップバトルで用いられる戦法です。『お前の技術は、俺でも再現できる程度のつまらないものだ』というディスに繋げられる技ですね。R-指定さんはあらゆるスキルを極限まで磨いた結果、この返し技を自在に披露できる境地にまで達しているんです。

 なんでもできる、という特徴をコピーするには、私がなんでもできるようになるしかありません。悲しいことですが、これはちょっと私がやろうと思って今すぐ真似できるモンじゃないですよね。

 とはいえ、自分より上手な人はコピーできないなんて言っていたら、私は誰の真似もできないことになってしまいます。ラッパーの人は、私なんかより上手いからこそラッパーやれてるんです。吸収できるところは色々吸収していきたいですよね。

 私はとりあえず、今まで聴いてきたヒップホップ曲を改めて聴くことにしました。それも、今回はフロウに着目してです。その中から「カッコイイな」と思う部分をピックアップして、私のフロウに取り入れてみることにしましょう。

 複数人のラッパーが参加しているマイクリレー的な曲は、こういう時聴くと勉強になります。全く同じビートなのに、アプローチの仕方がひとりひとり全然違う。これはかなり参考になります。

 そうしていると、私が強く魅力を感じるフロウには、ある程度共通点があることに気付きました。ZeebraさんやUZIさん、DARTHREIDERさんといったような、力強いフロウです。力が入った時のしゃがれる感じなどが特にたまりません。声のしゃがれたフロウといえば、ニガリさんとかCHICOさんもいいですね。

 こういうタイプに惹かれるのは、元々好きな音楽ジャンルの影響があるかもしれません。皆さん、デスボイスと広く呼称される歌唱法があることをなんとなくご存知ではないでしょうか。正確にはシャウトとかグロウルとかスクリームとか細かく区分があるんですが、説明しないと話が通じないわけでもないですし、ここでは便宜上『デスボイス』と統一させていただきます。

 私はかつて、そのデスボイスの含まれる楽曲を好んで聴いていました。自分で実際にやってみたりもしていましたね。別にデスボイスじゃなくても、ドスの利いた力強い声で歌唱するヴォーカリストは好きでした。そういうところが、今ラップを聴く時にも影響しているのかもしれません。

 私に合うかは分からないけれども、私のフロウもそういう方向で行ってみようか。脳内検討会の末、そのような結論が出ました。丁度この曲もホラーの話ですから、おどろおどろしい声を出せば雰囲気に合うかもしれません。私はデスボイスを練習していた頃を思い出しながら、発声を始めました。

 ……想像してみてください。住宅街、昼間、雨戸もカーテンも閉め、滝のように汗を流しながらマイクに向かって絶叫している男の姿を。汚いしムサいし平日昼間なのにアンタ何してんだって感じです。こういうところでも自分のロクでもなさを痛感しますね。

 録音というのは便利なものです。一発限りではないので、多少滑舌が悪くてもやり直すことができます。なんなら、上手くラップできた部分だけ繋ぎ合わせて、一発で歌ったように見せかけることもできます。録音したありのままの音だと微妙に聴こえるラップも、ミキシング作業を経ることによってそれなりに聴けるようになります。結果、私のようなラップ初心者でも、編集次第でそれなりに聴かせられる可能性があるのです。

 しかしながら、この録音作業は困難を極めました。想定していたより、私の滑舌は良くありませんでした。リリック書く時にちゃんと無理がないか確認していたはずなのに、実際にやってみると息がまるで持たないなんて自体もしばしばです。しかも、ドスの利いた声を出す方にパワーを使うと、余計に滑舌も悪くなり、息も続かなくなり。更に、このフロウはものすごくエネルギーを使うので、体力の無い私は途中でバテてしまいがちだったのです。

 このフロウを選んだのが悪かったのか、それとも事前にこうなることを予期しなかった私が悪いのか。ラップは何度も録り直され、ニートの絶叫は部屋中、あるいは家中に響き渡りました。

 とはいえ、ある程度ラップは録れました。私は録音した声を作ったトラックと共に流しながら……あることに気付きました。なんだか寂しいのです。ラップパートが、なんだか真ん中で独りぼっち、ポツンといるように聴こえます。

 これは一体どうしたことでしょう。今まで聴いてきた曲におけるラッパーの皆さんの声は、ひとりで歌ってても迫力がありました。私のラップスキルが足りないから、こんなに寂しく聴こえるのでしょうか。

 勿論それもあるのですが、これは、『被せ』のパートを録ることによってある程度解決しました。皆さんもお手持ちの音源をよく聴いてみてください。ラップしている裏に、ハモリパートのような声が聴こえることがあると思います。これが『被せ』です。これを入れることによって、曲を更に盛り上げることができるのです。

 とはいっても、曲の始めから終わりまで全てを被せるわけではありません。要所要所で被せるのが大切であるようです。韻を踏んでいるところをはじめとした、「ここを盛り上げたい!」という部分で入れれば間違いなさそうです。フック部分なんかは特に盛り上げたいので、全部被せた上に韻踏んでるところで更に被せるという技を使いました。逆に「ここはじっくり聴いてほしいな」ってところでは、黙って主旋律一本でやった方がいいかもしれません。

 被せを録る時のコツなのですが、「あえて主旋律と全く同じにしない」というのが有効になる場面があるようです。敢えて発音をちょっと高めにしたり、タイミングをほんの微妙にズラしたり。そうやってわざと合わせないことで、ある種の騒々しさ、にぎやかさが生まれます。勢いのある曲なら、こういった方法も使えるかもしれません。逆に洗練された感じでやりたいなら、キッチリ合わせた方が綺麗に聴こえると思います。

 それから、主旋律と全く関係ないガヤめいた被せも、入れると面白いと思います。プロのラッパーの音源を注意して聴いてみると、主旋律の裏で何か掛け声を叫んでいたりすることがあります。ああいうのを入れることで、更にガヤガヤ感が出ます。独りでやっても気分はパーティーです。


 こういったことに気をつけつつ、水たまりができるほど汗を流しながら。録った声を上手くつなぎ合わせ、聴き映えがするように整えて。そういう様々な工程を経ることによって、『GRADE-B HORROR』はこの世に生まれたのです。

 テクニックが拙くても、やはり手作りの曲というのは愛着が湧くものです。自分の思っていることを率直に言葉にし、それを自分の作った曲に乗せて、自分の声でラップしたわけですから。私は自分の曲を大変気に入ることができました。

 私は小説も書くんですが、小説を完成させた時とはまた違う感覚ですね。私、小説はどちらかというと読み返したくないタイプなんです。文章だと後から見返して「どうも普通だなぁ」「ここもうちょっと何とかならなかったかなぁ」とか思う方が多いんですよ。

 ひょっとしたら、私が音楽のことをよく分かってないから、大したクオリティでもないのに満足できるのかもしれません。だとしたらなんだか無知をさらけ出しているようで恥ずかしい話です。けれどもまあ、完成しなかった傑作よりも完成させた駄作とも言います。これが何らか、私の経験値になっていることを祈るばかりです。

 さあ、これをあと二曲作れば、とりあえずはシングル音源と銘打ってネット公開できそうです。あと二曲、どんな曲を書いたもんか。自分の曲を聴きながら、私は構想を練り始めたのでした……。

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フリースタイルダンジョンからヒップホップに興味持った奴ダンジョン 黒道蟲太郎 @mpblacklord

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