拝啓 くだらなくてうざったい、死にたくなる世界へ

はるのそらと

第1話

拝啓 くだらなくてうざったい、死にたくなる世界へ


  ■ ■ ■


 この手紙を読んでいる貴方へ

 拝啓 こんな世界で生きていても、不幸しかないことと思います。

 僕は、今日……この世界に別れを告げます。そのために筆を執りました。


  ■ ■ ■


「んー、なんか違う」

 そう言って僕は紙をクシャクシャに丸め、背後へと放り投げた。今、僕の後ろはたくさんの紙くずでいっぱいになっている。片付ける気はさらさらない。

 だって、僕は今日死ぬのだから。

「わああーもう」

 変な声を上げながら、僕はそのまま寝転がった。クシャっと紙の潰れる音が聞こえる。

 退屈かもしれないけど、僕の今までの人生を聞いてほしい。

 僕は大都会で生まれたお金持ち――というわけでもなく、都心から離れたド田舎でも都会でもない、いたって平凡な町で生まれ育った。

 兄弟はいない。両親と僕の三人暮らし。

 多分、中学生くらいまではそれなりに平凡な毎日を送っていたと思う。もちろん、当時は微塵もそんなこと思っていなかったけど。過去を振り返っていいことって、過ぎ去った日々の中に幸せがあったことを知れることかな。

 ――今、幸せを感じたいのにね。

 そんな僕が一番最初に躓いたのは、中学三年。高校受験だったと思う。

中学三年の春。進路調査票が配られたとき、僕は内心ガッツポーズをしたことを今でも覚えている。

 何故かって?

 まわりの奴らは「こんなのわからねえ」「考えてねえ」って言っている中、僕にはもう行きたい学校があったからだ。

 まわりの奴らが、子供だと思ったね。

 で、意気揚々とその学校の名前を書いて提出したわけ。そのあと、その紙をもとに担任教師と二者面談をするんだけど、そのときなんて言われたと思う?

 まあ、聞かなくてもわかるだろう。

 担任(男だった気がする)は、眉を困ったように下げ「他に行きたいところはないのか」って言ってきたんだ。

「どうしてですか」ってまだ社会という奴を知らない僕は、無邪気に聞いた。そしたら「お前の学力じゃあ無理だ。入れたとしても途中で挫折するだろう。悪いことは言わないから、ランクを下げろ」的なことを言われた。

 マジかよって思った。けど、当時の僕にとって、先生って奴は社会と学校をつなぐ、唯一のパイプだったからさ。

「そうなのか」って簡単に納得しちゃって、言われた通り、今まで名前も知らないような学校に行った。

 そこから、僕の人生はとんとん拍子におかしくなった。

 大学に行きたかったけど、金がないから国公立以外の大学は受験させてもらえなかった。もちろん、ランクを下げて入った高校で国公立大学に行ける程の学力がつくはずもなく、仕方なく東京の専門学校へ入った。

 正直な話、僕は早く家を出たかった。だから、特に興味もないよくわからない学校を適当に選んで、アルバイトをしながら生活費と学費を稼いで、なんとなく卒業した。

 次は就職。

 今度こそ自分の望むものを手に入れる!

 そう思って息巻いていた。可愛いよな、本当無邪気だったと思うよ、今振り返ると。

 まあ、結論から言えば普通に無理だよな。

 一般的にホワイト企業と呼ばれる会社には、何もしなくてもわんさか、それこそ人がゴミのように集まってくるわけで。そうすると、必然的に有能な人材もいるわけで。僕のように、パッと見で武器になるものがない人間はすぐに排除。

 そして、はじかれた人間に残された道は三つ。一、ニート。二、フリーター。三、グレーorブラック企業。他にも選択肢はあるだろうけど、割愛。

 そして、僕が選んだのは、三、グレーorブラック企業で、なんの因果か、超がつくほどのブラック企業の社員になっていた。

 ……仕方がないよ。

 だって、他人から見ても僕に魅力なんてないんだからさ。

 そこからが、地獄だったなあ。

 長時間労働、薄月給、パワハラ――。

 毎月誰か辞めては誰か入ってきた。僕も辞めたかった。

 けど、辞められない。一人暮らしを続けるには金が必要で、もしかしたら再就職できないかも、という恐怖が僕をこの会社に縛りつけた。

 それにしても、毎日「お前は仕事ができない」だとか「遅い」「気が利かない」「給料泥棒」とか言われるけど、タコが何言っているんだって自分に言い聞かせて、何とか今日までやってきた。

 けど、もう限界。

 数年前、御袋はあの世に行ってしまい、今実家には親父一人。親父とは顔も合わせる気はないし、友達と呼べる奴らは皆結婚して家庭を築き、職場でも役職につき始め、何となく疎遠になった。

 僕は独りだ。この先も、ずっと――。

 そう思ったら、もうどうでもよくなった。

 さよなら、世界。

 でも、これだとあまりにもアレだ! ボッチで根暗な奴みたいじゃないか! そんな風に思われたくない!

 とまあ、いうことで、最期に誰に宛てたわけでもない手紙を書くことにした。

 けど――。

「手紙を書くのって、こんなに難しかったか?」

 早くも挫折寸前だ。まあ、これで僕の人となりがわかるだろう。

「ああああ、もう!」

 最期くらいシャキッとしろ!

 頬を叩いて再び机に戻った僕は、あることに気づいた。

「紙がない――」


   ◇


 ああ、皆それなりに幸せを与えられているんだろうなあ。

 近所のコンビニで買おうと思ったけど、どうせならと思い直し、文具店まで足を運んだのが間違いだった。

 すれ違う人間、すべてが僕の敵に見えた。

 茶色の紙袋を持つ、ジャージ姿のぼさぼさ頭。無精ひげを生やし目の下に隈を湛えた僕を、皆が笑っているような気がして。

 足早に、帰路に戻った。

 古びたアパートの玄関の前に立ったとき、やっとまともに、呼吸をすることができた気がした。

「……散々だ」

 死ぬ間際まで、僕は笑われ続けている。

 きっと、生まれた瞬間からこの社会にとって不必要な人間だったんだ。それが、生まれて数十年経った今、やっとわかった。

 今日が僕の命日だ。

 誕生日が「おめでとう」なら命日は「さようなら」だろうか。

「誕生日おめでとう」は、「生まれてきてくれてありがとう」って意味だと、昔誰かが言っていた。

 もしそれが本当なら、年を取るたび祝われなくなることは、「貴方が生きていようが死んでいようがどうでもいいよ」ということになるんじゃないのか。

 ――まさに、僕だな。

 嘲笑と共に、ドアノブを回したときだった。

「ねえねえ」

 背後からかけられた声。僕に向けてのものじゃない。そう思いたけど、残念ながらここには僕以外他にそれらしき人は見当たらない。

 無視しよう。

「ねえ、ねえってば」

 聞こえているくせに、と呟きながら細い腕が絡んできた。

 さすがにこれには驚いた。

「ちょ、なんだよ!」

「無視する方が悪い」

 べーっと舌を出すのは、知らない少年だった。


   ◇


 部屋に入れる気はなかったのに、勝手に入ってきた。最近のガキはよくわからん。

「おい、出ていけ」

 襟を掴んで引っ張れば、駄々をこねられた。どこまでも躾のなってないガキだ。親の顔を拝んでやりたい。

「お茶」

「はあ?」

「喉乾いたから、お茶飲んだら帰る」

「……絶対だぞ?」

 そう言えば、少年は頷いた。

 緑茶の入った缶を探しているとき、僕はあることに気づいた。

 もしかして、このガキがこの部屋に入れた、初めての客(?)じゃないか?

 この世界と別れを告げようとしている間際、カミサマとやらがあまりにも可哀想だからと遣わしたとか?

 ――馬鹿馬鹿しい。

「ほら、これ飲んで帰れ」

 そう言って、湯気の立つ湯呑みを置いた。

「今日、めちゃくちゃ暑いんだけど」

「だからなんだ」

「暑い日に、熱いお茶?」

「茶は茶だ」

 まったく。最近のガキはこんなにふてぶてしいのか? 世も末だ。

 熱いの苦手なのに、と言いながら、少年は湯呑みに息を吹きかけながらすすった。

 嫌なら飲まなければいい。ふんっと顔を背けたときだ。

「……いっぱい紙が転がっているけど、何か書いてるの?」

 そう言いいながら、少年が適当に紙くずを拾おうとした。

 ちょいちょいちょい!

 慌てて少年の手から奪い取るが、他にも同じような紙くずはたくさん部屋に転がっている。

「触るな、読むな!」

 むかつくほど生意気な小僧だけど、まだ未来ある少年にこんなものは見せられない。

「どうして?」

 うっ、と言葉を詰まらせた僕は、とっさに目に入った本を見て口を開いた。

「しょ、小説を書いているんだ。そこら中に転がっているのは、その、筆がうまくのらなくてだな……」

 小説? 書いてる?!

 いやいやいや、今まで一度も書いたこともねえよ?! てか、小説書ければ、こんなに最後の手紙も苦戦しないから!

 内心悶絶していれば、ふと視線を感じた。

 少年のキラッキラした瞳が、まっすぐ僕に向いている。

 ――頼むから、そんな目で見ないでくれ!

 今更「嘘です」なんて言えるわけもなく、僕は「小説家の僕」に対する少年の質問に答えることになった。


   ◇


 もう、解放してほしい。

 少年は、とっくに熱いお茶を飲み干していたし、僕もこんなに長い間人と話すのは久しぶりだから、かなり疲れた。――主に精神的に。

「日も暮れてきたし、そろそろ帰るよ」

 そう切り出したのは、以外にも少年の方からだった。

 やっと、やっと帰る!

 小躍りしたい気持ちを抑え、少年を玄関先で見送ろうと思っていた僕は、次の瞬間耳を疑った。

「送ってくれないの?」


 ――どうしてこうなった。

 履き古びたサンダルで、地面をこすりながら少年の少し後ろを歩いた。

「ずっと夢だったんだ!」

 誰かと夕方散歩することが、か?

 そう言いたかったが、ぐっと言葉を呑んだ。なにせ、僕の方が大人だ。嬉しそうな少年に水を差すような真似をいちいちする必要はない。

「小説家だとは思わなかったなあ」

「だからさっきも言ったろ。プロじゃないって」

「すぐにプロになるさ」

「……お前、口だけは達者だね」

「どういたしまして」

 はあ。まったく。こいつといると疲れる。

「ほら、ここまででいいだろ」

 駅の入り口で足を止めれば、少年はすがるような目で僕を見上げてきた。

 身構えた僕だったけど、少年の口調はとても静かなものだった。

「ねえ、公園に行こう?」


 駅の近くにある、広くもなければ狭くもない公園に行くと、少年はまっすぐベンチへと向かい、腰かけた。

「早く帰らないと、親が心配するだろ?」

 いいのか、と聞けば少年は無言で頷いた。

 早く少年を送り出して、アパートに戻り手紙を書き終えたら、この世に別れを告げよう。

 もう一度、この後のことを確認していれば、少年と目が合った。

「……一つだけわがままを聞いてほしいんだ」

「散々わがまま言ってたじゃんか」

「それはそれ。今から言う事だけでいいから」

 虫のいい奴だ。頭をかきながら、ビルとビルの間に消えていく夕日を眺めた。

 最期の日に、初めて自分以外の人間をあの部屋に入れ、久々にお茶を出し、それなりに綺麗な夕日を見た。最期にしてはもったいないくらい、充実していた。

 もう、いいだろう――。

 だけど。

「わがまま。だけど、お願い。お願いだから……まだ生きてよ」

 僕は目玉が飛び出るんじゃないかってくらい、目を見開いた。

「お、おま。あの紙――」

「読んでない」

 じゃあ、どうやって――。

「小説書いてるって言われたとき、ほっとしたんだよね。昔のまんま、優しい人だって」

 だけど、少年は僕の疑問を無視して、しゃべり続けた。

「あのときは、毎日殴られたり蹴られたり、ろくにご飯ももらえないで空腹で。誰も助けてくれない、自分でなんとかしなきゃって一代決心をしたのに、車に轢かれて。――こんな世界、滅んでしまえって本気で呪った。けど、けどね」

 こいつはさっきから何を言っている――。

 僕はこの場から逃げ出したしたいと思うのに、逃げちゃいけないと僕の中の誰かが言う。少年が嘘を言っているのかと思ったけど、それも違う。

 新緑を揺らしながら、爽やかな風が少年の髪を軽く乱した。

「最期の最期に助けてくれる人がいて、こんな死にたくなるような世界でも、生きたいって思えるんだって初めて知ったんだ」

 少年は僕の方を向くと、にこっと笑った。

「ありがとう」

 少年のくるんとした癖っ毛と大きな黒目を見たとき、何かに似ている気がしてずっと引っかかっていたんだけど、ようやくわかった。

 犬だ。それも子犬。

 ――まさかとは思うけど。

「お前、茶々丸か?」

 僕は一度、子犬を拾ったことがある。

 中学生の頃だ。学校帰りに車に轢かれたのか、死にかけた子犬を拾って、走って動物病院へ行った。けど、途中で死んでしまった。

 助かったら家で飼おうと思った。だから、元気づけるために名前を付けて、それを呼びながら走ったんだ。

 もう、何年も前の話だというのに、一度思い出したらモノクロ写真がカラーになるみたいに、鮮やかに思い出すことができた。

 少年は何も言わなかった。

 けど、嬉しそうに笑った。太陽みたいに眩しい笑顔だった。

 それは、肯定と受け取っていいだろう。

 僕は、何か言おうと口を開きかけた。そのときだ。

 少年は、「わん」と鳴くと、跡形もなくいなくなっていた。

 その声は、人のものではなく、子犬の鳴き声そのものだった。


 僕は日が暮れるまで、そこで立ち尽くしていた。


   ◇


 ゆっくりとした足取りでアパートに戻った僕は、ドアノブを回す瞬間、誰かに声をかけられた気がして、振り向いた。

 ――やあ、またお茶飲ませてよ。

 僕は何を期待しているんだろう。

 当たり前だけど、僕以外誰もいなかった。

 そしたら急に胸に迫ってくるものがあって。

 ……おかしいかな。僕は玄関前で声を殺して泣いていた。


 部屋の中に入った僕は、部屋の隅に置きっぱなしにしていた、買って来たばかりの便箋を紙袋から取り出すと、机の上に置いた。

 そして、ペンを持つと、机の上に置かれた湯呑みを見た。さっきまで、確かに少年がここにいたことをそれは語っている。

 僕は一度、大きく深呼吸すると紙の上にペン先を置いた。



   ■ ■ ■


 この手紙を読んでいる貴方へ

 拝啓 こんな世界で生きていても、不幸しかないことと思います。

 僕は、今日……この世界に別れを告げます。そのために筆を執りました。



 ――けど、それは今日の夕方までの話。

 僕は思ったんだ。

 きっとこの世界は、誰もが死にたくなるようにつくられた世界なんだと。

 正直、今この瞬間も死にたい気持ちはある。けど、本当にこれは死にたいという気持ちなのか?

 もしかしたら、嫌気がさして自暴自棄になっているだけかもしれない。

 だって僕は、具体的に死ぬ方法を調べていないんだ。


 ――今日不思議なことがあった。あいつはきっと、僕に伝えたかったんだ。


 くだらなくて、うざったくて、死にたくなる世界だけど、僕の知らないところで、僕が誰かに生きる希望を与えてるってことを。

 こんなクソみたいな世界でも、誰かに「生きたい」って思わせることが、できるってことを。


 それは、僕と関わった人だけじゃない。

通りすがりに僕を見た人、ちょっと言葉を交わした人、人伝えに僕の話を聴いた人などなど。

 ……まあ、人だけじゃないだろう。


 ――と、まあ。こんな何も取り柄のない僕でも、できるんだ。そしたらなおのこと、その人を死なせたくない、失いたくないと思うのは、当然のことで……。

 上手く言えないけど、そう伝えたかったんだろ?

 熱い茶に息をふく姿を、今もはっきり思い出せる。出した湯呑みがそのままじゃなきゃ、きっと僕は夢を見ていたと思っただろう。

 そういえば、これ書いてる途中で思った。

 もしかしたらあいつ、今日が死んだ日だったのかもしれない。

 あの日、風がなくて干物のような鯉のぼりを見た気がする。

 もしそれが本当なら、忠犬ハチ公も顔負けの奴だな、あいつは。


敬具


   ■ ■ ■



「こんなもんでいいだろう」

 手紙というより日記みたいだ。でも、これでいい。きっと自分に宛てたものなんだ。

 そうして僕は、手紙を封筒の中に入れると、本棚に置いた。

 ここでいいだろう。

 うんと頷いた後、僕は本棚から数冊本を取り出した。そして、再び机に向かうとペンをとった。

 机に置いた本の背表紙には「小説の書き方」「小説はこうやって書く!」と書かれている。

 ……さっき、赤くなった目のまま買ってきた。

「さて! いっちょ書いてみるか!」

 あいつの喜んだ顔が目に浮かぶ。

「書くネタももらったしな!」

こんなクソみたいな世界で生きる奴に、少しでも何かを感じてもらえれば、御の字だ!

 何より、僕の生きる糧にもなる。

 もともと、本を読むのは嫌いじゃない。まあ、この部屋を見れば何となく察することもできるか。

 服や家電をのぞけば、本棚とベッドしかないのだから。


 僕が最初に書く話は、さっきまでの僕の話。タイトルはもう決めてある。

 僕は、ペンを滑らせた。


「拝啓 くだらなくてうざったい、死にたくなる世界へ」





完(敬具)


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