番外編 エミレアという名前

『この書物は、後世に長く残る、画期的な物だと信じている。

 過去にも様々な知識を集約した博物誌は存在したが、あらゆる物事を取り上げたこの十五巻に渡る書物に及ぶものはないだろう。

 本書は、ありとあらゆる疑問に対し、現時点で揃え得る限りの答えと、答えへ至るための材料を提示出来たと自負している。

 もちろん、私一人ではこのような偉大な書物を完成させることは出来なかった。マテオ・ノーノ、イタロ・アリギエーリの両氏を始め、多くの協力を得たものである。


 彼らと共に、完成に至る最後の瞬間まで多大な貢献をしてくれた、アマデウス・ヴェスティン先生と、先生の娘にこの書物を捧げたい』


――――アリアス・フォシェル他 『エミレア万物事典』 序文より抜粋。





「――こうして、その鍛冶屋は蘇り、助けた女といつまでも暮らしたってさ。めでたしめでたし」


「なるほど、ありがとう。面白い話が聞けた」


「なあに、この葡萄酒の礼にはなりそうもない与太話だ。こんなのでよけりゃ、また話してやるよ」


 陽気に酒盛りを続ける職人連中に別れを告げようとして、アマデウス・ヴェスティンは声をかけられた。


「ヴェスティン先生。また伝説の蒐集をしているのですか?」


 酒場にたむろする職人に酒をおごって、話を聞かせてもらっていたのは事実だ。


「まあな。君には関係ないだろう、フォシェル君」


 ヴェスティンに声をかけたのは、アリアス・フォシェル。かつての教え子だ。

 五年前まで、ヴェスティンは大陸にまだ三つしかない大学で教鞭をとっていた。フォシェルは彼の教え子の中でも飛び抜けて優秀な生徒であり、あっという間に教える側の資格を取得してしまった。


「伝説の蒐集、それは素晴らしい仕事です。先日発表された、『古今伝説集成』も見事な出来栄えでした。しかし、伝説と現実を一緒くたになさってはいけません」


「君には関係がない、と言っているのだ」


 しかし、フォシェルは無視して続けた。


「もう五年ですよ。いい加減認めたらどうですか、死者が蘇るのは物語か、さもなくば伝説の中だけだと。――遺体を塩漬けにまでして。これでは娘さんが可哀想だ」


「何もない場所から伝説は生まれない。語り継がれる物語には、何かしらの事実が反映されていると見るべきだ。万病を治し、死者を蘇らせる霊薬が伝説に語られているのなら、そこに娘を助けるヒントがあるはずだ」


「イリストーンの伝説ですか。確かにあの霊薬はかつて存在したようですが、その製法はもう闇の中です。仮にイリストーンを見つけたとしてもですよ? 死者を蘇らせる効用なんてのは、仮死状態の人間がたまたま息を吹き返しただけのことでしょう。先生がそのことに気づかないはずがない」


 ヴェスティンは押し黙った。この伝説集めは、確かに彼の現実逃避で、自己満足でしかないのかもしれない。


「こんな不毛なことはやめましょう。もっといい方法があります」


「なんだって?」


「僕は今、歴史に名を残すような、前代未聞の書物を計画しているのです。もう何人もの学者やその道の人間に声をかけて来ましたが、やはり先生のお力添えが必要です」


「いきなり、なんの話だ?」


「僕が作ろうとしている事典の話ですよ。ありとあらゆることを記した、万物の知識を込めた事典です。無論、現時点で判明している限りの、という断りは付きますが」


「それと、私の可哀想な娘となんの関係がある?」


 ヴェスティンは皮肉げに言った。可哀想な、という形容は、フォシェルが使ったものだ。


「僕はこの書物を永遠に残す気でいます。先生にもそれに協力して欲しい。先生の協力があれば、娘さんの名前を永遠に残す事ができるでしょう」


「…………ほう?」


「古今の伝説に通暁する先生には、イリストーンや勇者、そして魔王――。様々な項目に関わって頂きたい。もしそうしていただけるのなら……」


「娘の名を、その書物に冠してもらえるのだね?」


「――――エミレア万物事典。なかなかいい響きでしょう、ヴェスティン先生?」


「…………ああ、悪くはない」




 こうして、アマデウス・ヴェスティンの残された寿命と情熱が込められた稀代の書物が、この世に生まれたのである。


 『エミレア万物事典』は後世に至っても、有志により版を改め内容を更新していき、末永く読み継がれていくのだった。

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エクヴィルツ薬草店の小さな物語 鹿江路傍 @kanoe_robo

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