エピローグ

『魔王を倒したものに与えられる称号、それが勇者である。

 伝説上の初期勇者を含めれば、現在までに十八名が勇者として称えられている。

 彼らは卓越した能力の持ち主であることが多いが、八代目勇者レンティファのように、それまで全くの無名でありながら、成り行きと偶然によって魔王を討伐したケースも存在する。

 勇者はどこへ行っても英雄として扱われたが、それをよしとしなかった者も多い。


 魔王の討伐には、歴代の勇者のみならず、無名の多くの「勇敢な者たち」による功績があったことを忘れてはならないだろう。

 それは何も、魔王討伐に立ち上がった者たちだけではない。市井の人々もまた、立派にその務めを果たしていたのである』


――――アリアス・フォシェル他 『エミレア万物事典』 「勇者」の項より抜粋。





 エクヴィルツ薬草店に現れたのは、レネと同い年くらいに見える少女だった。

 彼女はきょろきょろと辺りを見回してから、最後にディルクに目を留めて頷く。ここが探していた薬屋に違いないだろう、という感じだ。


「白い髭の老人に、ここに寄るといい、と言われて来ました」


「……エンピレオのことかい?」


 ディルクは初代勇者の、ありふれた名前を告げる。


「ええ、そう名乗っていましたね」


 ふと思案してから、ディルクは尋ねた。


「失礼だが、あんたの名前を聞かせてもらっても?」


 少女は少し逡巡してから、口を開いた。


「……フォシェルと言います」


「それは名字だろう? 俺の見立てでは、あんたはエンピレオにも恥じない名前を持っているはずだ」


 ディルクの言葉に、少女は少し驚いた顔を作った。


「――まだ人相までは知れ渡っていないと思いましたが」


「あんたには激しい戦いを繰り広げた跡が、体中に刻み付けられているじゃないか。魔王と戦った証さ」


「流石に、薬屋さんですね。――ええ、私の名前はエリス。今回、魔王を討伐させていただきました」


 少女、エリスはそう名乗った。それは間違いなく、今回の勇者の名前として素早く各地に広まったものだ。

 体中の傷云々以前に、エンピレオがわざわざここを紹介したのだ。その正体に目星をつけるのは、ディルクにとってはそう難しくはなかった。


「あんたには傷の治りを早める薬と、それから、痛み止めも処方してやろう。日持ちするからいつも切らさず持っておくといい」


 そう言いつつ、ディルクは考える。彼女は傷の治り方が、常人に比べてずっと早くなっていることに気付いているのだろうか、と。


「それにしても、魔王は大陸の北西に現れたんだろ? 真反対の南東部にあるカンナラまで、一週間でどうやって来たんだ?」


 ディルクは尋ねた。魔王討伐の第一報は、馬と人を代えながら、一日中走り続けることですぐさまここにももたらされた。だが、彼女にも同じことが出来るはずはない。馬車を使っては、到底一週間ではカンナラまで到達出来ないはずだ。


「ユニコーンに乗ってきました。体力は余りないですけど、私を乗せて走るくらいなら、そこらの馬よりずっと早いですよ」


「あんたは魔物使いなのか?」


 ディルクは知り合いの学者兼竜使いを思い浮かべながら言った。


「いえ、魔物を使役することも出来る、と言う話です」


「……流石だな。専門の魔物使いでもないのに、ユニコーンまで手懐けちまうのか」


 エリスは照れたように笑った。その笑顔を見ていると、魔王と戦った勇者にはとても見えない。


「ユニコーンと言えば、そこにユニコーンの角の粉末があるが、買うかい?」


 ディルクは小さな薬瓶を指して言ったが、当然のようにエリスは首を振る。


「いえ、いいです。必要としている人に売ってあげてください」


 ディルクは苦笑交じりに答える。


「正論だな。となると、俺は売れないことを願った方がいいのかね。間違いなくうちで一番値が張る代物なんだが、重病人なんていない方がいいに決まってるからな」


「ふふ、難儀な職業ですね、薬屋さんも」


「ああ、全くだ。魔王が退治されて、需要も減るかもしれないしな」


 カンナラの街のミスリルの製錬量も、これから落ちてくるだろう。ドラゴンがこの街にやって来る心配は、もうしなくていいかもしれない。

 それは同時に、この街の経済にとっては少しの打撃になるかもしれないが。


「……もしかして、魔王を倒さない方がよかったですか?」


「まさか。それとこれとは、話が別さ」


「そう言っていただけると、ありがたいです」


「それで、これからあんたはどうするんだ?」


「そうですね……。魔王を倒したとは言っても、まだ魔王によって活発化した魔物たちが全て討伐されたわけではないです。だからまずは、世界を旅して、そう言った魔物たちをどうにかしようかな、と」


「あまり頑張りすぎるなよ。万が一ユニコーンの角が必要になったら、連絡してくれ」


「そうならないよう、注意します」


 ディルクは真面目に頷いた彼女に、銀貨と引き換えで薬を一式手渡した。


「では、これで失礼させていただきます。――あなたに世界の加護がありますように」


 エリスがそう祈って、ディルクは少し迷ったが、やっぱり祈った。



「……世界が健やかでありますように」



 それが、彼に出来ることの一つだった。新しい勇者と、エクヴィルツ薬草店の物語は、これから始まる。


 願わくばそれが、幸多きものになりますように。


 二人はきっと、そう願ったに違いない。

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