第12話 小さな物語たちの始まりと終わり

『リントのランスの切っ先が、魔王の胸元を貫いた時のことはよく覚えている。

 死力を振り絞って魔法を唱えたせいで、朦朧としていたのは事実だ。

 しかし、その時見たことは疑いようもなく真実であったと、断言できる。

 動きを止めた魔王の体は、砂のごとく崩れ始めたのである。

 魔王の死は、生き物の最期としては余りに異様だ。あれは本当に、一体何だったのだ?


 不思議な光景であった。そして美しい光景でもあった』


――――ゲメルス・アリギエーリ 『回顧録』 より抜粋。





 ――魔王が倒された。その報せは魔王が復活した時と同様に、瞬く間に世界を駆け巡った。

 魔王を倒した勇者の名前は、エリス。魔王討伐の報せとともに、その名は世界中に知れ渡る。





 魔王討伐が果たされてから、一週間後。


「おや、あんたは確か」


 サトヴァナは、カンナラの街の、太った主人が経営する宿屋を訪れた。


「一年ぶりかな。また利用させてもらうよ」


「そりゃあどうも。探し物は見つかったかい?」


 主人は帳簿を彼女に差し出しながら聞いた。サトヴァナはペンをすらすらと走らせる。


「残念ながら。でもまあ、気長に探すさ」


 と、二階から一人の女が降りて来た。小柄で、碧眼。大きな肩掛け鞄を身に着けている。


「長い間、お世話になったね」


 その女、アンジェリカは宿屋の主人に告げる。主人は気安い友人に接するかのように答えた。


「なあに、世話になったのはこっちの方さ。お陰でこの街はどんな魔物にも襲われなかった」


 アンジェリカは見慣れない人間がいるのに気づく。宿屋なのだから、当然ではある。

 彼女は帳簿に名前を記入していた、見慣れない長い髪の女、つまりサトヴァナに一言告げる。


「驚かせるかもしれないが、気にしないで欲しい」


 なんだって、とサトヴァナが聞き返す前に、アンジェリカは通りへ出ていた。

 サトヴァナが訝しんでアンジェリカを見ていると、彼女はロープを空へ投げた。そして次の瞬間には視界から消えていた。


「何だ?」


 サトヴァナが彼女を追って通りに出ると、物凄い風圧を感じる。――ドラゴンの羽ばたきだ。

 アンジェリカを乗せたドラゴンは、あっという間に去っていった。


「驚いたな、竜使いがいるのか」


「はは、そりゃ驚くさ。なんたってドラゴンだ。あんたも、初めて見たろう?」


 宿屋の主人のその言葉に、サトヴァナはなんと返せばいいのか、返答に困った。

 まさか、かつてはアダマンタイトの大剣で仲間と共にドラゴンを狩ったこともある、とは言えない。


 結局、笑って誤魔化したのだった。





 ゴン、と言う音がした。扉の方からだ。ノックにしては荒々しい。

 エクヴィルツ薬草店の店内で、ディルクとレネは二人揃って首を傾げる。


「何の音だ?」


「見てこようか」


 パタパタとレネが駆け寄って、扉を開くと、重り付きのロープが回収されていくところだった。あれで扉を叩いたらしい。


「アンジェリカさん!」


「おいおい、ドラゴンに乗ったままかよ」


 ディルクも外へ出てきた。アンジェリカはドラゴンの上で軽く手を振った。


「こんにちは、ディルク、レネ。今日はお別れの挨拶をしに来たんだ」


 アンジェリカは、地上にも届くように大きな声で言う。突然の話だった。


「なんでまた急に?」


 ディルクも、珍しく大声を出した。ドラゴンの羽ばたきで、声が聞こえにくい。


「ちょっと厄介なことになってね。実はコイツが山のドラゴンのメスに惚れてしまったらしい。もう我慢出来ないんだそうだ」


「はあ?」


 間が抜けたディルクの声。考えてみれば、ドラゴンだってそういう事もあるのだろう。そういえば、前にドラゴンの様子が変だ、とは言っていた。

 しかし、恋に落ちてしまって我慢できなくなるとは。人々から畏怖されているドラゴンのイメージとは、ちょっと乖離している。


「ミスリルの毒素についても、一応目処は付きそうだ。というわけで、ちょっとドラゴンの巣に行ってくるよ。彼女を飼いならしたら戻ってくる。――――その時には、また何か面白い話を聞かせて欲しい」


 一方的にそう告げた後、それじゃあね、と言い残して、ドラゴンに空を駆けさせた。

 力強い羽ばたきに、アンジェリカはあっという間に小さく見えなくなってしまった。


「おいおい、もう一匹使役する気なのか、アイツ。とんでもない奴だな」


 ディルクの独り言に、レネも苦笑いだ。

 さて、扉を閉めて店内に戻ろうとすると、見知った顔がディルクの視界に入った。


「なんだ、ガン爺じゃないか」


 由緒ある鍛冶屋の親方、ガンツ・ビッテンフェルトがこちらへ向かってくるところだった。


「どうしたの? お薬が足りなくなった?」


 レネの言葉に、ガンツは曖昧にまあの、と頷く。


「それにしては元気そうに歩いて来たじゃないが」


「わしじゃあない。息子が腰をやったんでな、仕事にならん。というわけじゃ、また腰痛の薬を貰いたい」


「おいおい、親子二代で腰痛持ちか。情けない鍛冶屋の家系だな」


「うるさいわ」


 なんて言いながら、三人は店へ戻る。レネがてきぱきと薬を準備した。


「はい、どうぞ」


「すまんな。お代はまた月末にまとめてじゃ」


「了解だ」


 レネがガンツに薬を渡したところで、入り口の鈴が、やけに甲高い音を立てた。

 そして、威勢のいい声が続く。


「おう、ただいま戻ったぜ! 爺ちゃん、レネ、それからディルクの兄貴!」


 ガンツの孫にして、勇者志願者。フリッツだった。胸には例のお守りがぶら下がっている。


「無事だったか。何よりだ」


 ディルクが言うと、フリッツは頷く。どうやら父親にガンツがエクヴィルツ薬草店にいると聞いて、やって来たらしい。元気そうな姿を見て、ガンツもレネも胸をなでおろした。


「怪我もなさそうだな」


「ああ、残念ながら薬はあんまり役に立たなかったぜ。腰痛の薬を除いて」


 フリッツの言葉に、彼を除いた三人が顔を見合わせた。彼らの不思議そうな表情など気にせずに、フリッツはさらに声を張り上げる。


「そうだ! そんなことより、すげえもん見つけちまったぜ! 見てくれよ!」


 そういってフリッツが取り出したのは、一振りの短剣だった。旅先でとある老婆から、腰痛の薬と交換で譲り受けたもの。

 その刃の不思議な輝きにレネとディルクが見とれていると、ガンツが唸った。


「……これは、ダマスカス鋼か? お前、オルガ・ハシェクに会ったのか」


「なんだ、知ってんのか爺ちゃん?」


「話だけはな。しかし、噂は本当じゃったか」


「……爺ちゃん、俺は鍛冶屋になるぜ。これを超えるものを作り上げてやる! オルガの婆さんは実物なしで作り上げたんだからな、俺にだって出来るはずだ!」


「ほう、幻の波紋の魅力にでも憑りつかれでもしたかの。まあ精々精進しろ」


 ガンツはそこで、にやりと笑って言った。


「ま、先にわしが作り上げるじゃろうがな」


 どうやら、ガンツも孫が戻ってうれしいらしい。こんな軽口を叩くくらいだ。


「な、なんだと!? 爺さんが相手でも負けねーぜ! 早速帰って研究してやる!」


 言うが早いか、入り口へと駆け出したフリッツを引き留めたのは、ディルクだった。


「なんだよ、兄貴」


「ああ、実はなフリッツ。お前に薬草代を払って貰いたいんだが」


「は? …………ダマスカス鋼を鍛え上げた時に払うぜ! それまで首を洗って待ってろ!」


「全く、いつになることかの」


 ガンツの言葉にも、フリッツは頓着しない。どうやら彼のやる気は本気だった。そして、ついでのように言う。


「そうだ、レネ。――本当は魔王を退治して言おうと思ってたんだけどな、一流の鍛冶屋になってから言うぜ」


 そう言い残して、フリッツは風のように去って行った。やれやれ、わしの眼が黒いうちに頼むぞ、なんて呟きつつ、ガンツも店を後にした。


「…………どういう意味だろうね?」


「さあな。それより、腰痛の薬を来月からは多めに用意しないとな。レネ、伝票を用意しておいてくれ」


「はあい」


 そう返事をして、レネは奥へと姿を消した。店のカウンターには、ディルクが一人残される。


「……やれやれ」


「兄としては複雑だねえ。あんたの場合は、半分父親みたいなもんだしな」


「うるせえよ。って、誰だ?」


 ディルクは店内を見渡した。誰もいない。

 いや、一匹。白い小さな、長い耳の魔物がいた。リントだ。カウンターの隅に堂々と座っている。


「どこから入って来た?」


「前にも言ったろ。この程度の家なら、どこからでも入ってこれるってな」


 リントはいつかのように飄々と言ってのけた。


「とんだ騎士様だ。で、実際のところ、魔王退治はどうなったんだよ」


 いやあ、苦難の連続だったぜ、などと前置きしてリントは語りだそうとした。何か長くなりそうな嫌な気配がしたので、ディルクは手短に頼む、と付け加える。


「何、フリッツのアホが道を間違えてな。しかもアイツは鍛冶に目覚めるし。結局魔王には辿り着かなかった」


「まあ、無事に帰って来たんならなんだっていいけどな。アミュレットのおかげかね」


「どうだかな」


「それで、あんたはこれからどうするんだ?」


「さあね、しばらくはシーラの我がままに付き合うことになりそうだが。ひとまずはアイツの故郷に里帰りか?」


「そのシーラはどこに?」


 無口な魔法使いの姿はどこにも見えなかった。


「外はうるさいとか言って宿ん中で寝てるんじゃねーの」


「……マイペースな奴だな。そういえば、なんで彼女と一緒に旅をしてるんだよ、お前」


「ん、まあ友情に報いるためさ。アイツは俺がまともな人間だった頃の友人の血筋でね。ソイツの死に際に息子のことをよろしく頼む、とか言われたからさー、面倒見てやってたらソイツもまた自分の子や孫をよろしく頼む、って俺に託しやがるんだよ。――託された以上は義理を果たさねえとしょうがねえだろ?」


「なるほど、腐っても騎士様、と言うことか」


「ま、そういうこった。んじゃ、俺はうちのお姫様のところに戻るぜ」


「ああ、よろしく伝えておいてくれ」


「あいよ」


 ぴょんと跳ねて、リントはカウンターから飛び降りた。ぴょこぴょこと、小さな騎士は跳ねていく。なぜか店の奥に向かった。ディルクの知らない出入口でもあるのだろうか。まあ、あの体なら確かにどこからでも出入り出来そうだ。





 扉に取り付けられた、小さな鈴が可憐な音を奏でた。


「いらっしゃい」


「お邪魔するよ」


 現れたのは、サトヴァナだった。長い黒髪は相変わらず手入れされていないようだ。


「久しぶりだな。一年ぶりか?」


「そうだね。……ああ、そういえば、白い髭の老人は来たかい?」


「ん、エンピレオのことか?」


 と言ってから、ディルクはしまったと思う。あの老人は自らそう名乗ったのではない、ばらしてしまってはまずかったかと思ったのだ。

 だが、それは杞憂だった。


「そうそう。初代勇者の名前にあやかって名付けられたらしいな。まあよくある話だ」


 確かに、そうだ。三度も魔王を倒した伝説の英雄にあやかって、男子にエンピレオと名付けることは時たまある。

 あそこまで高名な伝説の存在になると、名前を隠す必要さえなくなるのか。


「まあ、無事に辿り着けたならよかった。と言うわけで、私も紅雪草を貰おうかな」


「了解だ。ちっと待ってな」


 ディルクは奥の棚から、別に取り分けてあった小袋を取った。


「ほらよ。――そうそう、イリストーンに関する情報はないが、代わりに面白い話がある」


「面白い話?」


「ああ。何でも、ダマスカス鋼を鍛え上げた鍛冶屋がいるらしいぜ。俺は詳しくないが、それも伝説の存在なんだろ?」


「…………驚いたな。その話は本当かい?」


「この目で見たし、頑固な鍛冶屋の親方も本物だと認めたみたいだから、間違いはないだろう」


「驚いた。ああ、びっくりしたよ。うん、ダマスカス鋼は伝説の代物だ。幻の霊薬、イリストーンと同じくらいにね」


「そうか。それは、よかった」


「――うん、よかった。いい話を聞けたよ。ありがとう」


「はは、礼は魔王退治に名乗りを上げた無鉄砲な若者と、後はこの世界にでも言っておいてくれ」


「よくわからないけど、そうしておくよ」


 サトヴァナは苦笑して、エクヴィルツ薬草店を後にした。

 もしも、魔王が復活していなかったら、この朗報をサトヴァナには伝えられなかっただろう。

 もちろん、魔王がいなければ、サトヴァナがこんな旅をすることもなかったのだろうが。


「――まあ、良し悪しだな。それでも、一先ずは感謝をしておこうか」


 ディルクはそう言ってから、小さく呟く。



「――――あなたがいつもなさるように、私の友をお守りください」



 ディルクの祈りの文句が終わるとともに、扉の鈴が、小さな音を立てた。もの悲しくも、明朗な音で。


 扉が開いた。そしてまた、新しい物語が始まる。


「いらっしゃい」


 ディルクはいつものように、現れた客にそう言ったのだった。

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