第11話 魔王の世界(後編)
「は? 魔王が世界の化身?」
ディルクは呆けた顔でエンピレオの言葉を繰り返す他なかった。エンピレオは手慣れた風に紅雪草をちぎってパイプに詰め、火をつけた。紫煙をくゆらせる。
「そうでなければおかしいだろう? ただの生き物が、簡単に生き返るかね? どんな魔物も、そんな奇妙な性質は持っていない。あれは生き物とは一線を画した何かだ」
「ちょっと待ってくれ、魔王が世界の化身だというのなら、何故人間を襲う?」
世界は、人間を見守り、助ける存在ではなかったのか?
少なくとも、中立であるはずで、人間と敵対するものではないはずだ。そう、ディルクは思っていた。いや、この世界に生きる多くの人間が、信じていた。
「魔王が人間を襲う理由か、それはわからん。人間が憎いのか、世界にとって不必要な存在なのか、あるいは単に破壊をもたらしてバランスを取る、つまり増えすぎた人間を調節しているのか、それとも試練を与え、更なる高みを目指せと言っているのか、いや、本当は何も考えていないのか、もしかすれば、人間が争う相手を必要としているからなのか――」
エンピレオは、次々と推測を並べた。混乱しかけているディルクの頭では、とてもついていけない。魔王の存在を世界が望んでいるなんて、荒唐無稽であるとさえ思える。
「待ってくれ、何を言ってるかさっぱりだぞ?」
だが、語っているのはただの老人ではない。初代勇者として、三度も魔王と対峙した男。魔王を最もよく知る人物のはずだ。
「ともかく、世界の考えなんて分かるはずがないのだ。私の考えが正しいとも限らない。私たちに出来るのは、考え続けることと、生き続けることだけなのだからね」
老賢者の答えは、ある意味で投げやりな物だった。だが、ディルクにもわからなくはない。人間に出来ることには限界がある。時には、祈ることしか出来ないのだ。例えそれが何であるとしても。
「――――はあ。なんてこった。……いや、魔王を倒すと不死になる理由、それはまだ教えてもらってないぜ」
「私の考えが正しければ、魔王を殺すということは、世界を殺すのに近い。そんなことをすれば、因果律を狂わせておかしくない。魔王を殺すと、魔王と同じ側に立ってしまう、つまり輪廻の輪から外れてしまうのではないか、というのが私の結論だ」
ディルクはため息を吐く。仮にエンピレオの話が事実だとして、人間にはどうしようもない。現実に魔王は現れ、罪のない人々を見境なく襲おうとしているのだから。
だから、魔王の正体については興味深い話題であったが、ディルクにとってより重要なのは、魔王を倒すことによって引き起こされた事象の方だ。
「…………それで、不死をどうにか治す方法はないのか?」
「普通にやっては無理ではないのかね。ただの病とも、呪いとも違う代物なのだから」
「イリストーンでも?」
ディルクは端的に問う。幻の霊薬。唯一の希望。それでさえもどうしようもないと目の前の賢者に言われては、一度勇者に成ったものは、永遠に死ねない、なんていう酷く悲しい結論が一層現実味を帯びる。
「イリストーン? ああ、虹の音色のことかね、今はそう呼ぶのだったな。そうだな、望みが薄いのは変わらんが、可能性があるのはそれくらいだろう。なにせあれは、死者を復活させた、という話もあるくらいだからね。死者の復活も、因果律を狂わせる行いだろう」
「……そうか、可能性はある、か」
ならいい、とディルクは言う。微かでも希望があるのなら、諦める必要はない。サトヴァナならきっとそう言う。彼女は絶望しなくてすむ。
「さて、こんな話をしてしまったからね、君にはお願いがあるのだが」
エンピレオは小さな象牙の灰入れに、パイプの燃え残りを落として言う。カン、という小気味の良い音。仕切り直しと言わんばかりだ。
「何だ?」
ディルクも調子を切り替えて、聞き返した。
「この話は、出来れば広めたりはしないで欲しい」
エンピレオの口から放たれた言葉に、ディルクは少し考えて返した。
「確かに軽々しく話せる内容じゃあないが、しかしこれはこの世界に生きる誰にとっても重要な情報じゃないのか? 例え仮説だとしてもだ」
「君の言い分も分かる。これは単なるお願いだ。君の判断に任せよう。ただ、私は余りこの話を広めたくない。特に東方ではね」
「世界信仰、か」
再びディルクはため息を吐く。自然と目線はユニコーンの角の粉末が詰まったガラス瓶に移った。
「慕っていたこの世界が、魔王を生み出している可能性があるなんて、悲劇でしかないじゃないか。そう思わんかね?」
「……まあ、そうかもな」
わかった、と了承の意志をディルクは伝えた。エンピレオも黙って頷く。
「ところで、あんたは三度も魔王を倒した勇者なんだろう、エンピレオ。今回は魔王退治に向かったりはしないのか?」
「向こうも考えているのか、あるいは偶然抗体のようなものが出来たのか。理由はわからないが、今の私は魔王を倒せないのだよ。四度目に魔王が現れた時に判明した事実だ」
「ふうん、なるほど。あながち再び魔王を倒すために不死になった、てのは間違いでもなかったんだな」
ディルクの言葉を聞いて、エンピレオは苦笑する。結果としては、それは確かに間違いではなかった。不死の肉体でなければ、一度魔王を倒して終わりだっただろう。
「さて、そろそろ御暇させてもらおう。長い話になってしまった」
そう言って、老いた勇者は荷物をまとめて椅子から立ち上がる。
「しばらくこの街に留まるのか?」
「そのつもりだったんだがね。いや、この街がドラゴンに襲われたと聞いたのでな、様子を見に来たら、逆にドラゴンが街を守っている。一体これはどういうことだと、呆気に取られたよ」
「ははは、丁度才気あふれる竜使いがやって来てね。少し来るのが遅かったな」
「それでやることがなくなってしまってね。紅雪草もなくなったし、話に聞いたこの店を訪れたら、若者の長話に付き合わされた、というわけだ」
エンピレオが踵を返そうとした、まさにその時。
カーン、カーン、カーン、カーン。長く四つの鐘が鳴った。二拍置いて再び四つ。
「おや、この鐘は?」
「慶事を知らせる鐘だな。新しい鉱脈でも見つかったのか?」
だが、そうではなかった。勢い良く扉を開き、その慶事を知らせたのはまたもレネだった。
「お兄ちゃん、大変! 魔王が倒されたって!」
新たな勇者の誕生を告げる鐘は、いつまでも鳴っていた。
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