▽それは春と共にやってきた△<12>
7
王城の見学は、想像していたものよりもずっと有意義な経験だった。ランヌ様の知識は凄まじく、私のような俄か知識とは比べ物にならない程の質と量で、歴史的観点や建築的観点、それに魔法的観点を加えて
王族の人達には流石にお会いする事は出来なかったけれど。
なんてね。
流石にランヌ様であっても特別な理由もなしに地方の公務員を王族に会わせるのは無理難題が過ぎるだろう。後学のため、人としての成長のため、といった理由で気軽に会える身分の人じゃないんだから。
王族の私生活がどうなのか、知識の収集として少し興味があった。だから正直に言えば残念だ。まあでも、それは下世話な好奇心だ。自粛である。
楽しい時間を過ごした私がランヌ様と分かれたのが夕暮れ。王城前の馬小屋で、馬車を待たせていたのでそれに乗せてもらい宿場に帰る。
御者には明日からも仕事を頼んでいる。馬は疲れた時は変える事が出来る。しかし御者は信頼という面から変える事は出来ない。だからずっと連れ回す事になる。
そのため前金は多めに払ってある。だからなのか、御者のおじさんは文句一つ言わずについてきてくれている。
とはいえ、明日は彼にとって地獄となるだろう。
なんせ、明日いくのが魔法研究所。魔法アレルギー疾患者だと近づいただけで症状を訴えるかもしれない。依頼元が元だから依頼の内容については部外秘にしておくべきかと考え、御者のおじさんにも説明していなかったのが今となっては悔やまれる。道中でおじさんが魔法アレルギー疾患者である事が分かり、内心私は焦っていた。
もし最初から彼が魔法アレルギー疾患者だと分かっていたのなら、最初から雇う事はしなかったはずだ。ここまで来て御者を変えたくはない。次の御者が信頼出来る人物とは限らないし、その分の料金が嵩むから。かといって変えなければ彼を巻き込む事になる。
少し悩んで、私は小窓をノックした。馬車の前面、御者台の腰掛部分が見える窓で、向こうからすぐに陽気な返事が聞こえてきた。
「明日の事で少し、相談があります」
「へえ、なんでしょう」
「お話していなかった行先についてです」
「へえ、しかし秘密だったのでは? 行き方は地図を見て教えてもらったので分かっております。その先に何があるのかは知りませんが。別に知りたいとは思っていませんよ」
「そうなんですけれど……事情が変わりました」
それに対する言葉はない。私の言葉を待っているようだ。
「明日行く場所は国立中央第一魔法研究所……魔法の研究を大規模に行っている所です」
「え」
小さく漏れた戸惑いの言葉を、私は聞き漏らす事が出来なかった。
彼の不安感が窓を通して伝わってくるような感じを覚える。それは錯覚だろうけど、しかし間違いではないはずだ。やはり、先に言っておくべきだったと後悔する。
「あなたは魔法アレルギー疾患者ですよね」
「え、ええ。でもなんで……あ、あの橋の事件の時ですかい?」
「はい。私の配慮不足のせいであなたを明日、魔法アレルギーの症状が出るかもしれない場所に向かわせようとしています。私としても無理にあなたを同行させようとは思わない」
「……」
「しかし御者がいなければ馬は動かない。私は馬の扱いなんて習った事がありませんし、私の相方も恐らくは。だから、もしあなたが明日いけないというのであれば新たに御者を雇わなければなりません」
「それは、あっしはクビって事ですかい?」
震える声が
慌てて弁解する。
「いえ、そうではなく。もしあなたが明日の仕事を断っても、帰りは任せます。勿論後金も払います。魔法研究所との往復は別の方に任せる。それだけの話です」
「そうなんですかい……全く、驚かせないでくださいよ旦那」
確かに、言い方が悪かったと反省。
あれだと言葉巧みに解雇して、給金を払わないで済ませようとしているように思われても仕方ない。もっと考えてから喋るべきだった。
しかし反応が早かったな。そういう詐欺にでも遭った事があるのだろうか。
「出来ればこの辺りに信頼できる、口の堅い御者がいれば紹介も――」
「心配ご無用」
頼もしい声。さっきの震えていた声が別人のような、それほどに明るい口調で言われたものだから、最初御者台から聞こえてきたのか確信が持てずに返事し損ねてしまった。
「あっしは確かに魔法アレルギー疾患者ですけれど、症状は軽い方です。咳や麻疹がちょいと出るくらいでさぁ。それに万が一に備えて薬も常備しています。だから、旦那は安心してあっしを使って下さい」
「……いいんですか?」
「いいんですよ」
おずおずと尋ねるも、やはり返ってくるのは頼もしい声。
そう言われたらもう断れないじゃないか。肩を竦めて、ちょっと苦笑い。
「分かりました。明日もまた、頼みます」
「ええ」
丁度馬車は宿の前について、緩やかに車輪が動きを止めていく。
「到着ですぜ。あっしは馬の世話をしてきます。明日の朝、また宿に来ますので旦那は待っていてください。あ、昨日も言いましたけれど、あっしが来る前にどこかに出掛ける時は宿の主人に言伝しておくのを忘れないでくださいね。いつぐらい戻るとか」
「忘れていませんよ。お疲れさまでした。今夜はしっかりと休んでください」
「お疲れ様でした。旦那もいい夜を」
馬車が動き出して、私は振り返る。
街中にある宿屋。安全性を考慮してそこそこ高い所を選んだ。その結果、御者のおじさんは別の宿に泊まるという事態が発生した。料金が予定より高いそうだ。
いや、おじさんの選別眼を疑っているわけじゃないけど。でも自分で選び出した宿を変えるのもなんだか嫌だったので、まあ、不便は割り切った。
私としては己の無事を一番に取りたい。特にランヌ様からあのような恐ろしい話を聞かされた後だ、師匠の厄介になるだけじゃ駄目だろう。自分の身は自分で守らなければ。
「よー、おかえり」
宿に帰ると意外なことに、ロスポが先に帰っていた。
今日はランヌ様と会うと言う事で別行動になり、ロスポは町に繰り出していたはずだ。
「まだ夕暮れ前だぞ」
「なんだよ、俺がすぐに切り上げてきたのがそんなに不思議か?」
「まぁ、狼が新鮮な肉を前にして素通りするくらいには。夜まで酒場辺りで飲んでいるだろうと思っていたし」
正直に言ってやった。
ロスポが頬を膨らませて怒ったが何も言い返さなかった。自覚はあるのかよ。
「街を適当に歩いていたらけっこういい感じの飲める店見つけてよ」
やっぱり探していたのは酒が飲める店なんじゃないかと呆れる他なかった。
「一人で入っても良かったんだけど、どうせならお前と一緒の方がいいじゃないか」
「だから待っていたってわけか。明日が本番、今回の仕事をこなす日なんだけど」
「いいじゃんいいじゃん。なにも泥酔するほど飲めって言ってるわけじゃあ、ないんだからさ。明日に響かない程度によ、やろうぜ酒盛り」
「まったく」
呆れつつも、私はつい折れてしまった。
だってこいつと飲むのは、師匠の所にいた時以来だ。そういった感情が、自制心を鈍らせる。昔はこいつと一緒に酒を飲む事を好んでいたわけじゃないし、酒自体も好きなわけじゃない。
飲みたくなった理由はただ一つ、昔を思い出してしまったというだけだ。ついつい、感情が理性を抑え込んで私を動かしてしまう。
全くもって、謙遜抜きで私もまだまだ若輩者だ。
しかしまぁ、悪くない。
「いいか、自分が飲んだ分は自分で払えよ」
「金余ってるんだろ。奢ってくれたっていいじゃないか」
「いやだ」
「あ、そうだ!これ仕事の一環として公費で――」
「落ちるか、ボケ」
「ケチ」
「当たり前だ馬鹿」
なんというか、この気遣う必要がない会話というのは、ちょっと鬱陶しくて、どこかくすぐったくて、少し温かくて、とても懐かしくて、やっぱりなんだか悪くない気分だった。
久しぶりに友人と飲む酒は、格別に美味しかった。
けれど、気が付いたら朝になっていた。
土の月、三十四日。
「う…む」
体に不自然な痛みを感じて、私は目を覚ました。
ちゃんとブーツも脱いで服も着替えた上でベッドの清潔なシーツにくるまって横になっていたけれど、どうやら変な寝方をしていたらしい。首の辺りが寝違えたように痛い。
固まった体を伸ばすように手を上にあげると、嫌な感じに関節が悲鳴を上げた。後、背中も痛かった。見た目程いいベッドじゃなかったみたいだ。
辺りを見回す。昨日とった宿の一室だ。大き目の机に、本棚には本が数冊、小さい収納棚の上には花瓶があり数輪の花が差されている。脱ぎ散らかした服は机の上に乱暴に掛けられていて、綺麗なはずの部屋の印象をかなり悪くしている。。
そこで記憶が戻る。ロスポの奴と十杯以上も飲んだのだった。その後、べろんべろんになったロスポを連れ帰ってきてベッドに寝かせ、酔いが回った上に疲れ切っていた自分も服だけ脱いで寝た。
…………。
まあ、無事に宿に帰って来られて良かった、と思おう。なんて考えつつ、ロスポを探す。隣のベッドはシーツが剥がれた上に空だった。本来ならそこにいるはずの人物はいない。
先に起きて散歩にでも出かけたのだろうか、とベッドの側にあるはずのブーツを探して覗き込むと、シーツに丸まって床に転がっているロスポを見つけた。幸せそうな寝顔で、すやすやと寝息をたてている。
よく固い床で寝られるなと感心する。私だったら背中が痛くなって途中で起きる。
あいつの側に私のブーツはあった。それを履いてから肩を揺さぶって起こす。
「おい、起きろ」
「んん……」
寝起きはいい男。そんな昔の記憶の通りにロスポは大した労力も使わずに目を覚ました。
「朝、か。ふぁー…おはよ」
意識を覚醒させ大きく伸びをした後、すぐに立ち上がって洗面台へと消えていく。
私は木窓を少し開いて外を確認する。どうやらまだ朝のようだ。王都の街並みは昇りつつある太陽に照らされて輝いていた。見える範囲全て建物というのもなかなかお目に掛かれない光景だ。クリーケンだったら余程の都心に済まない限り見えないだろう。
木窓を開け放したまま、窓際を離れる。部屋の換気を行っている間に私も顔を洗いに行くとしよう。
部屋に設置された洗面台は西州の物と全く一緒の仕組みだった。排水口のある台に蛇口がついたもの。床のスイッチを踏むとマナ・マテリアルが作動し、蛇口から水が流れる。
節水を心掛けるようにとの注意書きを無視して、ロスポは置いてあった桶に並々と水を満たしていた。じゃぶじゃぶと顔を洗って、そしてさっぱりした顔で鏡を眺めている。
我が家だと、マナ・マテリアルの消費を考えてあまり贅沢には使えない。ロスポの家なんてそもそも水道の魔法道具がない。だから井戸までいかなければならない。水道がある家庭の方が少ないから、どちらかといえば私の家が珍しいと言える。
節制を心掛けない事は褒められた事ではないけれど、せっかくふんだんに使える環境にいるんだからちょっとくらい贅沢してもいいだろう。それに高い宿代に水の料金も含まれているはず。ならば悪い事をしているわけじゃないさ。
桶の中の水で顔を丁寧に洗い、ついでに少し乱れていた髪型も直して、鏡でしっかりと姿を確認する。
よし、大丈夫だ。
「今日の予定は?」
「すぐに御者が馬車で迎えに来るはず。その前に朝食を済ませて、それから魔法研究所。その後は未定」
「んじゃ、準備とか特にいらないよな」
「特別用意するものはないかな」
二人で身支度を整える。ロスポの場合は必要最低限の荷物、あいつが言うには最低限財布だけ持っていればいいらしいので支度は早い。私は鞄の中身を一度点検し直す。何かをなくしていたりしないか、一つ一つ調べていく。
その間、ロスポは木窓から外を眺めていた。あいつの目には王都はどう映っているのだろうか。私とは違った光景を、もしかしたら見ているのかもしれない。
「んじゃあ朝飯を食いに行くか! 下に食堂があったよな?」
私の準備が終了したくらいにロスポは快活な声でそう言った。
「ああ。そうしよう」
幸い、二日酔いするほどまでに酔いは糸を引いていない。食欲はいつも通り、気分は至って通常で、頭の中で鐘が響いているような事もなかった。ただ、寝方が悪かったせいで体は痛かったけど、それと食欲は関係がない。むしろ、支度をしているうちに腹が減り始めたくらいだ。
食堂は他の旅人等でそれなりに賑わっていて、従業員は忙しそうに働いている。
西州に比べると食事の価格は高かった。それがこの宿だからなのか、それとも王都だからなのかは分からなかった。この値段を一年続けて支払って生活するのは市民には苦しいと思うが、どうなのだろう。
そんなどうでもいい事を考えつつ、食事を取り終える。美味しかったは美味しかった。でも西州と全然違うという程でもなく、感動も一切生じない食事だった。
食事を終えると準備が終わっている荷物を纏め、外に出る。
「おはようございます」
御者のおじさんは既に待機していた。
「早いですね」
「他にやる事もないですしね。待っておりました」
と言う事はさっき着いたばかりじゃないって事か。もしかしたら食事をしている所を見たこの人は、私達を急かさないように配慮してくれたのかもしれない。
なんにせよその仕事に対する姿勢には頭が下がるばかりだ。金を払っているとはいえここまで尽くしてくれるとは。昨日から感謝しっぱなしだ。この人を紹介してくれたクリオにも帰ったら礼を言っておこう。
馬車に乗って出発する。行先は昨日告げた場所。
中央州リオネン郊外、国立中央第一魔法研究所。
魔法優良人の奮闘 吉津駒 日呂 @rottingroto
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