▽それは春と共にやってきた△<11>
「歩きながら話そうか」
ランヌ様が歩みを再開して、私も慌てて隣に並ぼうとする。一度は隣に並んだけれどランヌ様の歩幅は小さくて私が前に出そうになり、慌てて調整しようとしてやや後ろにまで下がる。
「それで、お主を今回呼んだ理由だがの」
「はい」
緊張が一瞬にして体中を走り回る。
国の重鎮にただ一人呼び出されたというのは一体どんな重要な案件があっての事なのか。もしかしたら、師匠の事で何か問題でもあったのか。ついさっき注意力不足を指摘されたのだから私自身に問題がなかったとも言い切れない。
たくさんの悪い予感が頭を過ぎる。
「ただ単に顔を見ておきたかったというのがある」
しかしその緊張は、またもや一瞬にして空かされて霧消していった。
なんで間を溜めた。なんで来る前に伝えてくれなかった。悩んでいた私の胃痛はなんだったのか。
私の中のランヌ様の評価に意地が悪いとかお茶目だとか、そういった情報が加わった瞬間であった。
「弟子も取らず職にもつかず各地を歩き回っていた愛弟子が、ようやく取った次世代を託せる弟子のうちの一人だからの。儂としても元気にやっているか心配だった。いや、身体的には健在であると部下から報告は受けていたが、精神的に磨り潰されておらんか心配での。こうして会ってみて、心身共に壮健で良かった」
「私が未熟者なばかりにご心配をおかけして、申し訳ありません」
「ほっほっほ。まあそう堅くなるな。お前の師匠など、時に儂を糞爺呼ばわりしていたぞ。敬意を払われた事などあったかどうか……」
「あの人は特別ですから。特別というか、特殊というか……まあだからこそ牢屋に放り込まれたんですけれど」
「そうだな。あれで少しは懲りて欲しかったんじゃがなぁ」
心中察して余りあるような、疲労しきった声でランヌ様は呟く。私も経験しているが、それ以上の事を恐らくランヌ様は経験されたのだろう。
あの事件があって牢屋に放り込まれた後、あの人は懲りるどころか、牢の中を自分好みに改造し始めたからなぁ。
普通の人の寝室よりも豪華に飾られた部屋を思い出して私は溜め息を吐く。記録に残らないようにあっちこっちに手回しされて届く外からの謎の贈り物のおかげで、部屋の中は牢屋だというのにたくさんの物で溢れかえっていた。
あれらは一体、どこから来ているのだろう。ランヌ様が与えているようではないみたいだけれど。
「議員生活の方はどうじゃ。順調にやれておるか?」
師匠に関してはそれ以上何も言うつもりがないらしく、ランヌ様はすぐに話題を切り替えてきた。
「はい。あ、いえ。正直に申せば最初は大変どころではありませんでした。今はなんとか、石に
「まあ、下積みもなくいきなりじゃったからのう」
「しかし、ランヌ様を始めとする多くの方の手助けのおかげで二年も続けられました。このまま地道に進んでいきたいと思います」
「そうかそうか」
ランヌ様は
「しかしお主は真面目じゃの。あの大馬鹿者からこのような弟子が生まれるとは思わなんだ。一番弟子の事を思い出すわい」
「はあ……そうでしょうか」
「あれもお主のような
「大賢者の一番弟子と肩を並べられるのであれば、このまま精進した方がいいようにも思えますが」
「ほっほっほ」
まあ冗談だったけれど、ランヌ様は笑い飛ばしてくれた。
私も軽く微笑む。私は不真面目ではないけれど堅物と言われる程真面目なつもりはない。魔法にも、今のところ関心は有り余る程に持っている。とてもじゃないが一番弟子の方と同じようにはなれないだろう。
「ま、結局はお主の人生じゃ。魔法に生きるも良し、
「そんな事は……意見は大事にさせていただきます」
「うむ」
そんなこんなで話を続けていたら王城の下にまで来ていた。
遠目に見ただけでも大きいと分かっていたけれど、下から見ると圧巻の一言に尽きる。軽く眩暈を起こしてしまいそうな気さえする。
人間の背丈ほどの壁があり、その入口には衛兵が五人、装備を固めて立っている。有事の際になれば頼もしい数ではあるが、二百年前に第四次王国間戦争が
まあ、日頃から備えておくのは悪い事ではない。泥棒とかもいるわけだし。魔法道具による防犯も完璧ではないのだから。
ランヌ様が門番に近付いて話をしている。私はその間、門の上を眺めていた。上部に立派な装飾が施されたアーチに扉を設置した門だけど、その装飾の一部が魔法道具ではないかと思ったからだ。
壁自体が石なのでアーチの装飾部も石だ。しかしそこにわざわざ金属製の小さな鐘が取り付けられていた。しかもそれには舌がなく、かといって撞木もない。鳴らす目的で設置されたわけではないのはそれだけで分かるが、飾りにしても周囲の装飾が石なのだから石に鐘を彫るだけで良かったはず。金属の鐘をわざわざ取り付けて殊更に主張するにしてもあの小さな鐘にそこまで特別な物である雰囲気もない。
とすればあれが魔法道具である可能性が高まってくる。恐らく、門を不正に通ろうとすれば何らかの仕掛けが発生するに違いない。
あれだけ分かりやすく設置されていれば仮に不法侵入者がいたとして、すぐに気付いて先に壊してしまいそうではあるが、これ自体が罠の可能性にまで考慮が及べばそうは出来ない。この魔法道具を壊そうとすれば発動する魔法道具――そこまで意地の悪い防犯を普通ならばしないだろうけれど、ここは王城だ。私が警備担当ならばそうする。
とはいえ、注意深く見れば魔法道具の存在というのはけっこう簡単に分かったりする。一番対策しにくいのはとどのつまり、人間による防犯だろう。勿論警備する側の人選にもよるけれど、もし有能な人物で警備を固められたらお手上げなのだから。
「お主も熱心じゃのう」
……どうやらまた熱中してしまっていたようだ。ランヌ様が門番と話し終わってこちらに戻って来てる事に話しかけられるまで気が付かなかった。夢中になると視界が狭くなるのは悪い癖だなぁ。
門番は門を開くとこちらに敬礼した状態を保つ。私達は彼らの間を、そして門を通り抜けて王城へと入った。
門が完全に閉まった後、ランヌ様は一度足を止めてこちらを見る。
「よく観察をしておる」
「勉強のために」
また我を忘れていた事が恥ずかしかったけれど、顔に出さないように必死に堪えながらそれだけ言った。
「魔法道具を細部にわたるまで見ておったが、そちらの道にも進みたいのか?」
「そういうわけでは……しかしいずれ挑戦はしてみたいと思っています。魔法道具製作に限らず、自分が見知って出来ると思った魔法分野には」
いずれは魔法医学や魔法数学にもいずれは手を出してみたいと思っている。師匠の元にいた頃はそれらは知識でしか教えてもらえなかった。師匠の分野ではなかったという事なんだろうけれど、魔法と名のつく以上一度は試してみたい。
しかし私の返答にランヌ様は良い顔をされなかった。
「しかし師匠があのような状況にあっては学ぶ事は出来んだろう……他に師を取るか?」
「いえ、そんな不義理をするつもりはありません。独学で身に着けるつもりです」
「あまりあれこれと手を広げ過ぎても己の核となるものを見失うぞ」
叱るような口調と、試すような視線。
「導く者がいないのであれば尚更じゃ。見知った分野全てに精通したいとなるとそれだけ多くの師を取るか、全てに通じておる師を探すのが最善なんだがの」
「分かっております。しかし、これは私の趣味みたいなものなので。師匠からは既に一つ、これといった物を授かっております。だからあくまで他は趣味であり、私にとって得意とする物は決めていますので己を見失う事はないつもりです」
「ほう」
視線が突き刺さる。
実際はそんなに強く見られていたわけではないと思うが、ランヌ様程の方があんな声を出してみてきたら、嫌が応にも見られているという感覚がしてしまう。
生唾をごくりと呑んだ。
ちょっと生意気な事を言い過ぎただろうか。
私のような若造が持つには過ぎた野心だとは理解している。それでも私なりに自信を積み重ねてやれると判断した上での野心だ。ランヌ様から後押しをもらえればその自信は一層高まると考えての発言だったが、無茶な事を言っていると印象を悪くしただろうか。
「だめ、でしょうか」
「……いや。どうじゃ、儂の所には来んか?」
「へっ?」
不意打ちを喰らった気分だった。
驚きのあまり声が裏返り、それを聞いたランヌ様が少し意地悪く口を歪めて笑う。
「お主の実力は先の観察眼からも窺い知る事は出来る……いやその前に我が愛弟子が多くの中から選んだ事で既に折り紙付きじゃ。ならば、儂の元に来てその実力を更に高めようとは思わんか?」
「えっと、その……」
「実はの、今回呼んだのは勧誘のためでもあるんじゃよ。王城を見せておるのもその一環。お主が儂の元で学ぶだけの力を持つと見込んでいるからこそ、王城のような一般人では見る事も敵わぬ場所に招待をしたのじゃ」
「それは、嬉しいのですが、しかし」
「お主が求める物、全てに答えよう。儂ならばそれが出来る。それが分かったじゃろう」
「…………」
「儂の実力があれば、そなたを満足させてみせよう。それともこの言葉に疑いの余地があるか?」
あるわけがない。
ランヌ様の実力を疑う者などこの国にいない。魔法の名を冠する全ての分野に知識、実力の両方を持って通じている事を認められ大賢者になったのだから。
神に愛されているとすら思えるその才能は、大賢者という役職を作り出した初代の再来とすら言われている。師匠も万能と言えるくらいに幅広い学問を扱っていたけど、それはランヌ様の元で学んだからこそだろう。
だからこそ、そのランヌ様に弟子になれと誘われる事程名誉な事もない。私が知る限り、ランヌ様の弟子になれた人は、たったの四人しかいないのだから。
しかし、だ。
「大変魅力的な話ですけど、お断りさせていただきます」
迷うまでもなく、私は頭を下げた。
「何故じゃ?」
「先も言いました通り、師匠に不義理を働くわけにはいきません。例えそれが師匠の師匠であろうとも、破門を言い渡されるまで私の師はあの人ただ一人です」
師匠の許可を得ればいいのかもしれない。しかしそれはそれで、私から頼める事もでない。だってそれは、あなたの実力では満足できませんと師匠に言うようなものだから。
そんな真似、出来るわけがない。恩に仇で返すような真似など出来るか。
いや、違う。そうじゃない。
恩とかそういうのは建前に過ぎない。師匠の現状はどうあれ、あの人は私の第二の親だ。だからこそ、恩義や利益を度外視してもあの人のためになる事をやりたいし、あの人を守りたい。あの人を私の人生から排除したくないし、あの人の人生から私を排除されたくない。
それをあの人の前で言葉にするなんて恥ずかしくて出来ないけれど、これが私の紛れもない本心だ。
つまり、ランヌ様の誘いを断ったのは利益や恩義などではなく私の勝手だ。とはいえ、それを口に出したら笑われるか叱られるだろう。だからこそ、私はそれ以上何も言わなかった。口を真一文字に結んでランヌ様の目を真っ直ぐ見る。吸い込まれそうなくらいに黒い双眸。でもここで目を逸らしたくはない。私は胸の奥で暴れ出す臆病さに喝を入れて、拳を痛いくらいに握り締めながら耐えた。
「ふふふ」
永遠にも思える長い沈黙の後、ランヌ様は不意に笑みを零した。
「
言われた通りに従う。ランヌ様は、やはり笑っていた。
「あいつも幸せものじゃの」
「…………」
そう、なのだろうか。
私は弟子を取った事がないから分からない。
「そうかそうか。しかし、未来になればその考えも変わるかもしれない。その時、お主は後悔するかもしれないぞ?」
「したとしても構いません」
「ならば良し」
ランヌ様はそう呟いて、それからいきなり私に向かって頭を下げた。
「え、ええっと」
「すまん。お主を試すような真似をした」
許してくれ、とランヌ様は言う。
「いえ、私の方こそ身に余る光栄なのに誘いを断ってしまってすみません!」
慌てて私も頭を下げる。
王城の敷地内という特別な場所で、二人の人間がお互い頭を下げ合っている光景はちょっと特殊すぎやしないだろうか。なんて事を冷静に考えている自分がちょっとだけおかしかった。そんな事を考えてる余裕があるのだったら、何も考えずに頭を下げる前にもっと気の利いた事やランヌ様に頭を上げさせる事を言うべきだっただろうに。
幸い、この場には私達以外いなかったから奇異な物を見るような視線を向けられる事もなかったけれど。
「我が愛弟子の事を、頼んだ。あいつに付き合ってやってくれ」
おかしなことを言うものだ。弟子に師匠の面倒を頼むだなんて。
少しだけ
断る理由など何もない。
「分かりました」
私が頷いて顔を上げた時、ランヌ様も同時に顔を上げた。
その表情は、まるで娘の安否を気遣う男親のようだった。
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