▽それは春と共にやってきた△<10>
「しかしこの噴水は見事だな」
この場合は像の作りが水の魔法を作り出すための機構で、この像全体を持って魔法道具ってことになるのか。いや、それも違うな。水を延々と作り出すくらいの魔法なら、ここまで大気中のマナ保有量の変動が小さく抑えられるはずがない。恐らくは地下水を汲み上げる魔法だろう。それに水気を拡散させる魔法まで着けている。それぞれの魔法は大した事がないとしても二つの機能を組み込んでいるのに、マナの流れが恐ろしく静かだ。製作者の技量の高さが窺い知れる。
噴水一つにしても技術の高さが見えるなんて流石王都、流石王城だ。
いや、本当に凄い。帰ったらこの技術が西州でも実現出来ないか相談してみようかな。
なんて、像をジロジロと観察しながら感心していたら、遠くから風に乗って話し声が聞こえてきてはっと我に返る。
いけないいけない、つい熱くなって観察してしまった。さっきは田舎者のような、今度は不審者のような行動。いくらなんでも醜態を晒しすぎ。反省せねば。
眼鏡を直して恥ずかしさを抑えながら近付いてくる声の方向を見た。確かに人の姿があったけれど、それはまだ遠い。しかし一方が喋っている内容を聞き取る事が出来た。声の持ち主はよほど大声で喋っているらしい。
「成程成程。それは達観ですなぁ! ランヌ様とこのように対談出来て本当に良かったと心から打ち震えております。いやあ、本日の事は我が生涯を通して名誉な事となるでしょう」
なんともへりくだった言葉に思わず身震いした。世辞にも程があり過ぎて、なんだか逆に汚い言葉みたいに聞こえる。どう捉えてもご機嫌伺いな言葉を掛けられて喜ぶ人がいるんだろうか。
西州でも似たような言葉は数多く聞いたし、私も全くおべっかを使わないわけじゃないけれど、多分西州の議員の方達もこれを聞いたら苦笑するかげんなりするかのどっちかだな。
やがて噴水の向こうに見えていた豆粒程の人の形は大きくなる。そこまで近付いてくれば顔もまた識別出来るくらいによく見えるようになった。そして向かってきていた二人の両方ともに見知った顔である事に思わず驚いた。
「イエン殿、そなたの熱意は覚えておこう」
「ありがたき幸せにございます!」
古めかしいローブをまとった老人。それと貴族の服装をした小太りの男性。
どんどんこっちに近付いてくる。小太りの男の方はずっと老人の方に目を向けているため私の存在に気付かないが、老人の方は広場に入ってすぐに私を見つけたようだった。
「イエン殿、悪いが人と会う約束があるのでな。丁度待ち合わせ場所についたのだが、話はこれまでとしよう」
「ほほう。あそこにおられる方ですかな。よければご紹介に預かっても――あ」
顔のほくろの位置まで確認出来るくらい近付いてようやく、イエン氏は私に気付いたようだった。こちらを見てぽかんと口を開ける。
「なんだ、二人は既に知り合いだったかな?」
「い、いえ! あの、その……」
明らかに焦りを見せるイエン氏の姿に呆れる。
それじゃ何かあるって言っているようなものじゃないか。
仕方がないから助け船を出す。
「王都に来るまでの道中で顔を合わせ、少し話をしただけです。途中で別れられたので違った目的地だと思っていましたが、まさか同じ王都で再会するなんて夢にも思っておりませんでした。このような偶然に驚かないわけにはいきません」
「そ、そうです! いやはや、偶然ですな! がはははは!」
そう言って笑い飛ばすイエン氏だが、その声どこかぎこちく笑顔が少し引き攣っている。あんた、演技下手だな。
そのせいでランヌ様が少し訝し気に彼を見ている。流石にこれ以上の言い訳は苦しくなるだけだと思うからこちらはもう何も言えないぞ。
「私は邪魔者のようですな! それではランヌ様、今日は失礼いたします!」
本格的に問い質される前に恭しく礼をして、腹を揺らしながら足早にイエン氏はその場を立ち去っていく。正しいかどうかは別として賢明な判断だっただろう。これ以上無様な応答を繰り返すよりかはよっぽど賢い。しかしその後ろ姿は道化師がふざけて見せる行進みたいで滑稽な絵だった。
「すまないな。ここに来る途中にあの者に捕まって、話を聞いている内に遅くなってしまった」
と言って謝られたがそれを咎める事が私に出来るわけがない。この方こそ現大賢者――つまりこの国の魔法使いのトップ――のオリオ・ランヌ様なのだから。
もう二年も会っていなかったが、こちらの顔は覚えていてくれたようで少し嬉しかった。
私にとっては師匠の師匠であり、一応繋がりがある人物と言える。しかし高みの雲の上のような存在だ。それに向こうにとっては数人いる弟子達が抱えている無数の孫弟子の一人であり、有象無象の一人に過ぎない。だからこそ名前はなんとか憶えられていても、顔など覚えられていないのではないかと思っていた。
私の師匠が師匠だし。ランヌ様があの人と縁を切っていないのが不思議だ。
「いえ。しかし南州議会議員のあの方がランヌ様に何の用事があったのでしょうか。お伺いになってもよろしいですか?」
「いや、単なる挨拶だけだ。どうにも彼の者は中央議会入りを狙っている節がある。その地盤作りといったところかの。中央の有力者相手に挨拶回りでもしておるのだろう」
「なるほど」
とは言ってみたものの、実際何をしているのかは知らない。私はそれを行った事がないから。
ただ挨拶して顔を憶えてもらって終わりではない事だけは分かる。裏金でも配っているのだろうか。
「そなたも西州議会で政に関わっておるなら分かるだろう。ああいう手合いの者は扱い一つで毒にも薬にもなる。少なくともあの者は実力がなく名前だけで地位についているわけではなさそうだ」
それは私も道中感じた事だった。
魔法の腕だけならばイエン氏はかなりのもの。性格はどうやらそれについていかなかったみたいだけど。
「ならば相応の扱いをしてやれば、それなりに働きはする。あの者の動きは分かりやすいしの。むしろ行動の帰順が分からない善人の方が時に扱いに困る場合がある。人は善し悪しだけでは決して図れないもので、悪い人間が良い国を作ったりもすれば、善い人間が国を滅ぼしたりもするから―――おっと、説教じみてしまったの」
話の途中でランヌ様は、そう言って切り上げた。
私としては後学になりそうで興味深い話ではあったのだけれど、本題ではない事は確かだ。
「すまない、人に物を教える立場になってからというもの、この喋り方に慣れ過ぎてしまったようで口うるさくなってしまった。そなたの師匠などには一々鬱陶しいなどと言われておったな」
「勉強になりました」
ほっほ、と軽く笑われて、ランヌ様は私を手招きする。
「噴水を見ておったようだが、それも勉強かな?」
「はい。優れた魔法道具が組み込まれていたのでつい熱く見入ってしまいました」
「いやいや。勉強熱心な事は良い事だ」
「そう言ってもらえると励みになります」
「ふむ。そうだな、せっかく中央州に来たのだ。王城を見学していくといいだろう。あちらもなかなか面白い仕掛けがたくさんあって勉強になる事だろう」
この場合の王城は、今私達がいる場所も含めた三つの地区を合わせた城壁内部の事ではなく、王が住まう城の事だろう。普通であれば一般人どころか中央州議会議員ですらも立ち入り禁止である場所。しかしランヌ様程の高みに上り詰められた方ならば許可も下りるのだろうか。
一瞬断ろうという考えが頭を過ぎった。私なぞが立ち入っていい場所ではない事が確かだ。しかし知識欲という甘い誘惑に負けて、理性とは裏腹に私は即座に頷いていた。
「ついてきなさい」
ランヌ様が歩き出して、私はその背中を追う。
どうやら庭園区をぐるっと迂回するように行くらしい。その隣に並びながら庭園の方を見る。
「っ‼」
そして横目でそれを捉えた。
庭園の生垣の隙間に見えた人影。誰かが通っただけかと思ったけれど、生垣はこの近さで見れば結構隙間が多くて向こう側を朧げに見る事が出来るにも関わらず、その人物が続く隙間に姿を現す事はなかった。
見間違いかとも思った。しかし、一瞬でも捉えた私の目がそうではないと告げている。だとしたら、あの人影はわざと隠れているんじゃないか。
ランヌ様に伝えなければ、そう思った矢先、
「ほう、気づいたか」
ランヌ様は感心するようにそう呟いて足を止めた。私はその前に足を止めていたので、私より前にランヌ様はいる。その背中がぐるりと半回転し、こちらにランヌ様の顔が向いた。
その表情は、さっきまでの優し気な老人ではなく老獪さを持った悪い表情に見えた。
「あれを知っているんですか?」
「気にする必要はない。私の影だ」
「影……ですか」
「気になるのなら呼び出そうか。クライト、出てきなさい」
ランヌ様が呼びかけて、一人の男が草木の影から姿を現した。音もない。マナの動きも。先程の魔法道具よりも更に静かに、男は私達の前に現れた。
悪寒のような物が全身を走った。この男からはまるで、生きているという感じがしない。こちらに近付いてくるまでの間、足音一つさせないのだから、それこそ影のように実体が感じられない。
「こういった職業につくと、命を狙われることもある。そういった輩から身を守る組織すら作らねばならぬ。クライトは儂から危険を排除するためにずっと儂を警護する者だ」
「……故に影、ですか」
「その通り。彼らのおかげで枕を高くして眠ることが出来る。こうやって儂の死角は彼らによって守られているからな。なあ、クライト」
「……お褒めいただき光栄でございます」
声が聞こえて、ようやくクライトという人がそこにいると確信出来、私はほっと溜め息を吐いた。
しかし、つくづく私とは住んでいる世界が違う。だけど、こんな世界にいなくて良かったと安心もする。
その安心を気取られたのか、
「いや、そなたも全くの無関係というわけじゃないんだがの」
ランヌ様はそう続けた。
「はい?」
「クライト、下がれ」
クライトさんは、来た時と同じように無音でまた庭園の方に歩いて行った。そしてそのまま影の中へと消える。もうどこにいるのか分からない。
「そなたのその聡明さならもうすでに感知しておろう。その若さで異例の出世。僻むものも多い。裏でこっそり、そなたを失脚させようとする動きもある」
「……それ程までとは知りませんでした。私なぞ、放っておけば勝手に潰れる程度に思われているかと」
「それ程甘い連中でもないぞ、政界に居座る者は。しかしまあ、そういった者達の動きは逐一把握し、牽制を入れたり、時には潰したりすることでそなたは守られておる。ここ最近はそういった動きもなく、鳴りを潜めておると聞くがの。お主の事も四六時中警護させているが、暗殺者が周囲をうろついている気配もないらしい。だから安心しなさい」
「……」
自分の知らないところで、自分を巡って激しい争いが起きていたらしい。
私が呑気に書類をまとめている時に、誰かが私の命を狙っていて、それを邪魔する誰かが動いていたとなると、それはもうぞっとする話だった。
「私はお礼申し上げなければならないようです」
「いや、それは相手が違うな」
正確には、と前置きしてランヌ様は言った。
「そなたの周辺を調べさせ、不穏分子からそなたを守るよう指示したのはそなたの師匠だ。儂は、そのために力を貸せと頼まれて、儂の影から人員を少し貸し出したくらいで他は何もしとらん。あやつの所に行く報告は最初に儂の所に来る事になっとるから全てを知っとるだけでの」
「師匠、が……」
牢屋の中からそんなことまでしていたのか。
本当に、底が知れないなあの人は。
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