第3話

 自動車の種類はマニュアル車・オートマ車の2つにざっくり分けられる。マニュアル車は速度に応じてギアを手動で変更する必要があるけど、オートマ車はほとんどその必要がない。そのことから運転の楽さ・滑らかさにおいてオートマ車に軍配が上がり、今では日本国内の車の9割以上はオートマ車だ。


 人間にマニュアル車・オートマ車の特徴を当てはめてみると、どうやら僕は超少数派の方のマニュアル人間らしい。脳という僕の体のドライバーが、マニュアル車のドライバーと同じように全ての行動の是非を考えてからギアを変更しているからだ。


 適切な対話方法。

 適切な勉強方法。

 適切な運動の上達方法。


 どんなことでも考えてから、僕の体は動き出す。


 何の変哲もない会話でも盛り上がるような内容を考え。

 好きでも嫌いでもない相手の心情を常に予想し。

 あらゆる場面において最善の方法をとろうとする。


 一見、利口で魅力的な人間に見えるがそうじゃない。僕のようなマニュアル人間は自分の感情で自分を操作できない。常に合理的な行動しかとれない。全ての行動に、理性と知性と思考が絡みついている。でも普通の人達は違う。オートマ車が勝手に適切なギアを選択してくれているように、必要以上に考えない。ときには合理性よりも、理知よりも自分の考えを優先する。正しくはないかもしれないけど、僕なんかより何百倍も魅力的だ。


 僕は暴言を吐かれても怒らない。いや、怒れないし怒ろうとも思わない。誰かが僕のことを「機械みたいなつまんないヤツ」とののしったとしても、僕がその人に感情的な物言いをすることはないだろう。人間はみんな多種多様な価値観を持っている。その価値観を受け入れる必要はないけど尊重する必要があると僕は思う。その人がそう感じたなら、否定はしない。ただ「そうか」と思うだけ。

 僕の脳みそはそれが最善の考え方だと思ってるけど、世間一般でその対応は珍しい、もしくは異常に分類されるらしい。その通りだと思う。感情的にまったく変動のない機械のようなヤツに人間的な魅力なんかあるもんか。

 自分に意思がない・感情がない・心がないとまでは言わないが、僕の感情は常に理性に押さえつけられている。いや、押さえつけて生きてきた。


 でも、


 ただ一つ、


 僕を動かしている感情があるとすれば、


 それは『恐怖』だ。


 泣くのが怖い(今ここで泣くのは最善の方法なのか?違う)

 怒るのが怖い(今ここで怒ることで場は収まるのか?いや、間違いだ)

 自分の欲求を優先するのが怖い(今ここで自分勝手なことをしていいのか?いいや、大間違いだ)


 最善の行動をとり続けなきゃいけない恐怖が、僕を人間らしい人間から遠ざけてる部分であり、僕の中でもっとも人間らしい部分でもある。

 

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マニュアル男とオートマ男 那須馬男 @nasuuma000

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