第2話
あのあと小学校を卒業し、中学、高校へと淡々と進んできた。その間、心から笑い合える友達は1人もできなかった。
人と話せなかったわけじゃない。あれから色々考えたんだ。
冗談で相手を笑わせられるし、悩みに答えてあげることだってできる。流行の話題にだってついていける。でも、遊びに誘われたことはなかった。なんだって効率よく合理的に『できる』僕なのに、一緒に遊んで笑い合えるような友達をつくることは『できない』。
悩んだ。向き合ってる人が僕のことを面白い冗談を言う人や相談相手ではなく、友達だと思ってくれるにはどうしたらいいのか。そんなに難しいことじゃなかったけど、僕は大学生になるまでそのことに気づかなかった。
人は『心を開いてない』相手に『心を開かない』。
簡単なことだ。
例えば僕が面白い冗談を言う。その話の中に僕はいない。
例えば僕が相談に乗ってあげる。その話の中に僕はいない。
例えば僕が流行の話題について話す。その話の中に僕はいない。
僕は、自分のことを相手に話せない人間だった。
自分の『できる』話題しか持ち合わせがない、が正しい表現かもしれない。
「この前の試験、満点だったんだ」
ダメだ。これじゃただの自慢話だ。話すべきじゃない。
「昨日の夜、晩ご飯に作った魚の煮付けがいい出来だったんだ」
これもダメだ。僕が同じこと言われたら、そりゃ良かったねとしか返せない。話すべきじゃない。
「昨日の午前中はいい天気だったけど、何か嫌な予感がして洗濯物を干さなかったんだ。そうしたら午後から突然の大雨、勘があたったよ」
ダメだ。自分の勘は鋭いです、って言われて上手く返せる人なんてそうそういないよ。話すべきじゃない。
何度も何度も。頭の中で会話のシュミレーションを繰り返す。最後には決まって僕という要素が取り除かれた話が残る。
「この前の雪の日、信号待ちをしていたら、車が右折でスリップして人をはねちゃってたんだ。雪って怖いねえ」
これだ。僕が何かをしたわけじゃないけど相手も返しやすい話題だ。
「サークルの飲み会でね、後輩が自分で自分のことをコールしながらイッキ飲みで救急車に運ばれたんだよ」
これもいい。アクシデント系の話は盛り上がる。
推敲に推敲を重ねた話でその場は盛り上がる。だけど、それだけ。友達にはなれない。
なぜって、話の中に僕がいないから。僕がいなくても話が成立してるから。僕という存在が除かれた話を聞いて、『僕』を理解できる人なんていない。理解できない相手に心を開く人なんていない。理解できない相手を友達に選ぶ人なんていない。ただ僕のしている話を愉快に感じるだけだ。
僕が話の中に存在するのは決まって何かが『できる』ときだけ。自慢話を聞かされて愉快な人なんていないだろう。だから話せない。僕のことは話せない。
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