こたつとからあげ、前夜祭

春義久志

こたつとからあげ、前夜祭

ぴん、ぽーん。


 安アパートの一室に、古ぼけた味のある呼び鈴が鳴り響いた。ボタンを押して離すまでのほんの僅かな間は特徴的で、ただそれだけで誰がやってきたのか分かる。


 決して広くはない部屋にはストーブもエアコンも置かれていない。置いてあるのは、実家との長い長い交渉の末に獲得した古い炬燵だけ。赤い光と一緒に赤外線を出すあれだ。


 年の瀬にやってきた今年一番の寒波は、年に一度積もるか積もらないかどうかという街に大粒の雪をしんしんと降らし続けている。部屋はおろか炬燵からも一歩足りとも這い出したくはない。僕は居留守を決意する。もっとも、簡単に引き下がることはないだろうと分かってもいたけど。


 案の定、寒波ではない方の来訪者は呼び鈴を押し続ける。決して連打されることのないそのテンポは少し心地がよい。そういえば、こんな風に呼び鈴を押され続けるのは久しぶりだ。最後に耳にしたのは三ヶ月ほど前だったろうか。あの時も今と同じように呼び鈴は押され続けていた。


 いつもだったら、家主の僕が根負けして招き入れるか、扉の向こうで起こった何らかの騒ぎに驚き僕が開けた玄関に潜り込まれるかのどちらかだった。三ヶ月前のその日に初めて、来訪者は途中で諦めて引き下がり、僕は居留守を貫き通すことに成功したのだ。それ以来、呼び鈴を耳にしたことはなかった。今日の今日、12月24日の午後十時すぎまでは。


 不意に呼び鈴は鳴り止んだ。三ヶ月前と同じように諦めたのかと思いかけたその時、声が聞こえた。


 この数ヶ月、口も聞かずに過ごした。近くにいるとわかれば、それと悟られぬように逃げたし、気付かれ追いかけられてもダッシュで逃げ切ったりもした。それでも忘れることはない、僕の親友の声。言うまでも無くその声は扉の向こうから僕に話しかけてきていた。


 おーい。聞こえてんだろ?。ったく、電気ついてるのに居留守も何も無いだろうに。無視すんなっつうの。まあいいや。


 今日お前んちに来たのは、俺の今後についての、俺なりの決意表明をするためだ。お前がもし本当に部屋にいないんなら、まあ軽い道化か酔っ払いみたいなもんだけど、それでもいい。クリスマスだし、神様も苦笑いで許してくれるさ、たぶん。


 んで、やっぱりそこにいるのなら、黙って聞いてたっていいし耳を塞いでいても構いやしない。これは、俺のために俺が話すことなんだから。



 中学で知り合って高校も一緒。彼女を誘ってダブルデートをしたこともあれば、街まで出てナンパの真似事をしたこともあった。そういや初日の出を見に自転車を漕いで太平洋まで行ったこともあったな。行きは下り坂だから良かったけど、帰りは上り坂だったから、眠気と疲れとで滅茶苦茶だったの、よく覚えてる。あれは二度とやりたくないわ。



 将来やりたいことは違ったから大学は別のとこだったけれど、借りたアパートも遠くなかったし、映画にパチンコ、居酒屋に宅飲み。結局つるんでばっかりだった。ヘタすれば同じ大学の同期よりもな。あん時の借金、返済しきって無いんだかんな、忘れんなよ?丁度彼女のいなかった頃、互いにクリスマスが寂しいからって昼間っから宅飲みして、酔った挙句にドンキまで行ってサンタのコスプレ衣装買ってさ、結局飲み過ぎてお前んち相当汚したこともあった。あん時はほんと、すまんかった。



 就職してからも大して変わんなかった。何処かへ遊びに行くことが減ったのと、飲んでる最中に仕事への愚痴の割合が増えたくらいか。でも、田舎へ帰ったり遠方で就職したりして散り散りになって、近くで会える奴は少なくなって、気軽に会うことが出来る相手ってのは希少だったんだぜ?照れくさくて言ったこともなかったけどさ。



 この先互いに独り身か、それともいつか家庭を持つことになるかはわからないけど、きっとこんな腐れ縁がずっと続いてくって思ってた。今だってそう思ってるよ。


 二年前に俺がぶっ倒れたときも、家族以外で見舞いに来てくれたの、お前が一番最初だった。病室に入ってきて、キョロキョロしながら俺の姿探してるのを見た時は、なんだか可笑しかったさ。仕方ないけどな、一週間前に会ったばかりの親友が、女になってるなんて普通想像できないし。俺だって、ニュースでたまにしか聞かない病気に自分が罹って、しかも二度と男には戻れなくなるだなんて考えもしなかったよ。


しょうがないってのは何度も自分に言い聞かせたさ。十数年の付き合いのあった人間が、突然異性になって、戸惑わない人間なんていない。


 会う度に違う人間になってしまうみたいでこわいって、三ヶ月前にお前、そう言ったよな。俺の方もカチンときて、ヒステリックになったのも良くなかった。男だった頃にあんな怒り方したことなかったし、お前の言ったことを裏付けちまってるみたいで。


 あれっきり、すっかりお前は俺のこと避けるようになっただろ。逃げられたことに気付いて追いかけても、この身体の体力じゃ追いつけやしない。


 病院の先生や看護師、厚生省のお役人はさ、この病気に罹った時に起きてしまいがちなことだ、切り替えていけって、俺を慰めた。腹が立ったよ。俺から逃げたお前にも、諦めろって言った先生たちにも、そしてなにより、そのことをどこかで納得していた自分自身にさ。




 考えてたよ。変わってくお前が怖いって言われた三ヶ月前から、ずっと。俺がこの先どうなっていくのか、どんなふうにあるべきなのか。仕事のことも、生活のことも。なったばかりの頃に比べりゃ、色んな所が女らしくなったって言われる。伸びた髪も、縮んだ背丈も、膨らんだ胸も、細くなった指も。お前に言われたみたいにな。何を好きになるのか、何を好きでいられるのか、それだって変わるかもしれないって、先生にも言われてる。いろんなことが頭ん中ぐるぐるして、結論なんて出そうになかった。でもさ、今日街でサンタ服を着たカーネル人形を見た時に、思い出したんだ。


 サンタ服を着ながらたらふく飲んでゲロまみれになった時も、お前に金を貸した時も、自転車で何十kmも走った時も、俺はいつだって、その時の自分がしたいと思ったことをしてきたんだって。やらなきゃよかったって後悔する時もあったし、これからも変わらないんだろうけど、それでいい、そうありたいんだ。


 だから俺は、今日この時この場所、お前んちの前に立ってる。今の自分がしたいこと、やりたいことを貫くために、宣言しに来た。もし聞いてるんなら頭に叩き込んどけよ?俺はもう、三ヶ月前みたく、大人しく引き下がったりしないかんな?




ぶぇっくしゅっ。


 扉の向こうで、およそ年頃の成人女性のものとは思えないくしゃみが聞こえたのと、僕が玄関の扉を開いたのはほぼ同時だった。


 足元に入り込んだ風に震える僕の目に飛び込んできたのは、まだ学生だったあの頃、飲酒の末に吐瀉物にまみれ処分したと思っていた、ミニスカサンタのコスプレ衣装を身に付けた、僕の親友の姿だった。


 言いたいこと、言わなきゃいけないことは山ほどあった。三ヶ月前の非礼への侘、借金自体の失念、この十数分、降りしきる雪の中、屋外に立たせ続けてしまったことへの謝罪。


 ぐちゃぐちゃと考え続けた僕の口からこぼれたのは、しかしそのどれでもなく、そんな恰好でここまできたのかという、親友への問い掛けだった。


 あたぼうよ、と自信気な彼、いや彼女の鼻は、この寒さですっかり赤くなっている。鼻水もだだ漏れだ。


「覗き穴からちらっとでも見れば、凍えた姿のミニスカサンタがそこにいるんだ、開けずにはいられまいって思ってたのに。想像してたよりも薄情だな、お前」


 返す言葉もない。


「つうかお前こそ、酷い恰好じゃんか。それ、俺のと一緒だろ。あん時のか?」


 ケラケラと笑う親友の追求に僕は無言の肯定で応える。バツが悪い、というか恥ずかしい。


 久々に一人で過ごすクリスマスの寂しさと侘びしさに耐えかねた僕は、一体何を思ったのか、何年も前、親友と一緒に買ってしまったコスプレ衣装を押入れから出して身に纏っていた。カノジョのいるクリスマスが来たら、着せてやればいいと笑いあった衣装を、小柄な僕はとくに苦労もなく着ることが出来た。結果、着る前よりも加速した惨めさに、脱いで服を着直す気力も沸かず、炬燵に籠もってぼんやりと過ごしていたのだった。


「んなもん頼めば俺が着てやるっつうの」


 信用しろよなーとは彼女の弁。


「新しいことへの挑戦は、いつだって少しワクワクするしさ」


 それに。


 少しもったいぶったかのように溜めを作る。


「相手がお前だったら、それもいいかなってさ」


 歯の浮くような科白に、しかし思わずドギマギした僕。そのリアクションを見てまたケラケラと笑っている親友を見て、そこでようやくからかわれていたのだと気付く。知らないうちにこんな技術まで身に着けていたらしい。


 三ヶ月会話をしない内に親友がそんなことを出来るようになっていて、でもそんな空白を少しも感じないほど、普通に会話をしていることが不思議で、でもたまらなく嬉しかった。


 ぶぇっくしょい。


 僕と親友とが大きなくしゃみを同時に放った。照れ臭さを隠すように僕は尋ねた。君が今したいことは何なのか、と。


「ま、とりあえずこたつに籠もって、ぬくぬくしたいかな。持ってきた手土産でもつまみながらさ。なにより、サンタと赤鼻はセットでなきゃな、今日は」


 名案だ。こんな所で立ち話をすることも無い。なにせ、夜はまだまだ長いのだから。


 後ろで組んでいた手から、まだ少しばかり温かいフライドチキンを僕に手渡して、彼女は玄関へと入る。


「お邪魔しまーっす」


 数カ月ぶりに耳にするその言葉にやはり心地よさを感じながら、僕もそれに応じることにする。ただ一言、いらっしゃい、と。



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