第3話 私のアツいセイジカツドウ、始まります!
待ちに待った水曜が訪れ、私は車で10分ほどのところに位置している公民館に向かった。駐車場に車を停め、チャイルドシートから娘を下ろし、抱っこ紐で抱っこして入口に向かう。
入口近くには部屋ごとの利用予定が掲載されており、3階の和室の欄に「親子サークル『トライアングル』」と書き込まれている。先日電話で話した内容と相違ない。開始時間より少し早いが、説明などもあるため元より少し早めに来て欲しいと言われている。娘の頭をそっと撫で、私はエレベーターに乗り込んだ。
3階の和室を覗き込むと、50代くらいと思われる女性からすぐに声をかけられた。
「こんにちは、もしかして、電話をかけてくれた……」
「た、田賀谷です」
「そう、田賀谷さん。こんにちは、はじめまして。皆川です」
「はじめまして」
皆川さんは私の胸元できょとんとした顔をしている娘を覗き込んで続けた。
「あら〜、可愛い娘さんね〜お名前は何ていうのかしら〜」
「理亜夢です」
「りあむちゃん?よろしくね〜りあむちゃん」
想像していたより優しい口調で出迎えてもらえて、思わず涙が出そうになった。初対面の人とこんな風に話すのは久しぶりだった。
「田賀谷さん、今日は来てくれてありがとうね」
「い、いえ、そんな」
電話でも話した相手なのに上手く緊張を解くことができない。そんな私の態度も気にせず、皆川さんは普通に話を続けてくれる。
「会費とか詳しい話は後でするから、今日はまずどんなものか見て行って」
「あ、はい」
会費があるなんてチラシにも書かれていなかったし、考えもしなかった。でもよく考えたらあって当然だ。私は自分の甘い考えを恥じた。
促されるまま和室の座布団の上に娘を下ろし、一息ついていると既存メンバーと思われる人たちが次々と集まってきた。当然ながら皆子連れだ。ママさんばかりが10組程度集まり、パパは一人もいない。男の子もいないようだ。
皆川さんは私のことを初めてで見学に来た人だと皆に説明してくれ、私も自分と娘の名前を名乗った。
「そういうことだから、今日はみんなよろしくね」
「はい、【先生】」
どうやら皆川さんは先生と呼ばれているようだ。
これも甘えた考えかもしれないけれど、こうやって代表格の人から自分が何者か紹介してもらえると安心できる。ここに居て良いのだと許された気分になれる。説明を受けた人たちもにこやかに挨拶をしてくれて、人との交流に飢えていた私にはそれだけでもここに来てよかったと思えた。
「トライアングル」の活動はまずみんなで童謡を合唱することから始まった。みんなで輪になって座布団の上に座り、歌う。有名な童謡はもちろんのこと、よく知らないものまで。知らない歌でも子供向けのものならさほど難しくないから、少し聞けば大体ぼんやりと口ずさめるようになる。どの歌も身振り手振りを交えて和やかに歌われ、子供の教育にも良さそうな印象を受ける。まだ娘には早いかなと思ったけれど、機嫌が悪くなるわけでもなかったので安心した。
歌の次は体操の時間になり、古びたラジカセで流される音楽に合わせてみんなで軽い体操をした。
「まだ立っちできない子は抱っこで参加でいいからね。できれば抱っこしてリズムに乗って、ゆらゆらするだけでもいいから、やってみて」
「は、はいっ」
指示されるまま娘を抱っこして動いてみたが、かなり疲れる。それでもなんとか必死についていくと途中で音楽が止まり、休憩の時間になった。
みんな持参した麦茶やジュースを飲んでいる。電話で言われていたのにそういった水分補給の用意をしてくるのを忘れたことを後悔したが、娘がミルクを欲しがらなかったことは幸いだった。
休憩時間らしくあちこちで談笑が始まったがまだ他の人に気安く話しかけるのもためらわれ、手持ち無沙汰に娘をあやしていると皆川さんが薄い新聞のようなものを配り始めた。
「休憩が終わったら絵本読んで、それから読み合わせの時間に入りますからね〜。はい、これ新しい号」
新しい号??
何のことか分からず不思議に思っているうちに私にも順番が回ってきて、手渡されたその表紙には「あおぞら」とタイトルが書かれていた。きっとこのサークルの会報のようなものなのだろう。
・危
・憲
・女性の教育環境の向上を目指し
・独立した日本を守り、子
・世
真っ先に目に飛び込んできたのはモットーのような文言だった。ニュースでしか目にしないような言葉がたくさん並んでいて私は混乱した。全く見知らぬ言葉というわけではなかったけれど、さっきまでみんなと歌っていた童謡の世界と比較すると大分空気が違う。
女性と子供に関する言葉が強調されているけれど、男性はどこにいるんだろう……。
書いてある言葉の意味を必死で咀嚼しようとした矢先に休憩終了の声がかかり、今度は絵本の時間になった。童謡の時間は輪になっていたが、今度は部屋の前方に置かれたテーブルの方に向かって座るらしい。みんなが皆川さんの方を向いて腰を下ろした。
子どもたちがサンドイッチを作るという内容の絵本が読み聞かせられている間、「あおぞら」のその他のページに目を通す。ここに来る前にミルクをあげておいたから、娘はまだぐずらずにいてくれている。
「戦争法廃止 署名頑張ろう」
「9ヶ月の子どもで撮影した9条おひるねアートです」
「立てよ!ママ友!今こそ声をあげる時だ」
「EM菌と水素水を噴霧した文旦で酵素ジュース作り」
正直難しい内容に感じられ、分からないところも多い。どうして憲法9条をそんなに強調しなければいけないんだろう。
分からないけれども、ただ、無視してはいけないとも思っていた。
「それじゃ、次は【読み合わせ】に入りましょうか」
「あおぞら」を読んでいるうちにサンドイッチは作り終わってしまったようだ。皆川さんの指示を受け、みんなが「あおぞら」の8ページを開く。
「田賀谷さん、よかったらみんなの真似をして、私の後についてきてみて」
「は、はい」
ニッコリと微笑んで言われたので、つい返事をしてしまった。よく分からないけど、やらないわけにはいかない。
「フォーエヴァー憲法9条、ダメ政権をノックダウン」
「フォーエヴァー憲法9条、ダメ政権をノックダウン」
「あおぞら」に書かれている言葉を皆川さん、みんな、の順番で交互に読んでいく。
「戦争法反対、子供達の未来を守ろう」
「戦争法反対、子供達の未来を守ろう」
こんな言葉を声に出して言うのは初めての経験だった。戦争法というのは何なのか具体的なことも分からず、ただ後について繰り返す。
初めのうちは少しためらいがあったけれど、繰り返しているうちに不思議と楽しい気持ちも湧いてきた。
みんなでこうやって一つのことをするなんて何年ぶりだろう。
私は中学校の時の合唱コンクールを思い出していた。
*
「トライアングル」の活動は【読み合わせ】をしたら終わるようだった。【読み合わせ】の後にいくつかの連絡事項が伝えられ、解散。帰っていく他のママさんたちを見送り、安堵のため息を漏らした。
娘を泣かせることもなく初めての会合をひとまず滞りなく終えたことに満足感を味わっていると、皆川さんがやって来た。
「ごめんなさいね、ちょっとビックリしたでしょ」
「えっ、あ、ああ、まあ」
「私たちはね、子育てサークルと並行してこういう活動もしているの」
皆川さんが「あおぞら」の最終ページを開くと、「トライアングル」の活動母体という団体の紹介や会費、活動内容が紹介されていた。どうやら「トライアングル」の他にも似たようなサークルが全国にあるらしい。そして、子育てサークルとしての活動の他にも署名活動やデモへの参加、講演、募金などさまざまな活動をしているようだった。
「田賀谷さんはこういうの興味ない?」
「興味ないっていうか、ほんと言うと、よく分からないです」
「分からない……難しいって思ってるとか?」
「ああ、はい、そうですね。難しい。……ほんとはちゃんと分かってなくちゃいけないことだなとも思うんですけど……」
「難しいなんていうことは無いのよ、シンプルに考えればいいの。たとえば……田賀谷さんはりあむちゃんのこと、好きでしょ?」
「はい、もちろん」
「りあむちゃんのこと守りたいって思うでしょ?」
「はい」
「そのためにはね、憲法9条は守らなければいけないの。守らなければ将来りあむちゃんが安心して暮らせる国を保てなくなるのよ」
「はあ……」
実を言うとこうやって生返事しかできない自分が恥ずかしいとも思っていた。
政治。
自分の頭で考えてきちんとした意見を持っていなければいけないと分かっているのに、しっかりと向き合うのが面倒で避けていた分野だった。
りあむが安心して暮らせる国を守るために……。
子供が生まれたタイミングでこそ、じっくりと考えるべきことなのかもしれない。
分からないなら分からないなりに、試している間に分かってくるかもしれない。後は自分でも勉強してみればいい。
私が言葉に詰まっていると、かすかにむずがる声が聞こえてきた。
「あらいけない、りあむちゃん、お腹空いちゃったかな?もうそろそろ帰る時間だね。田賀谷さん、よかったら来週、こういうデモもやるから来てみて。ベビーカーで参加もオッケーよ。こないだなんて岩手支部の人は子供と一緒にテレビに映ったって大はしゃぎしてたわ」
手渡された冊子には「戦争法反対!」との主張が大きく掲げられ、デモ決行の日時や場所が記載されていた。
「忙しかったら無理しなくてもいいんだけど……」
「いえ、私、行きます。りあむと一緒に」
子育てに次ぐ新たな生きがいを見つけた気分になって、私は毅然と答えた。それに応えてくれるかのように【先生】が微笑む。
ここならもう私は一人じゃない。
りあむ、一緒にがんばろうね。
子育てサークルに行ったら政治活動に勧誘された件 石林グミ @stein
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