第4話 夢だから
肩が触れ合うほどの距離だった。
動物の鳴き声も聞こえない深夜、一つの部屋の寝台の上で二人の男女が隣り合って座っている。
「本当に、今日は月が綺麗だ・・・・・・お前もそう思わないか、カズマ?」
先に口を開いたのはダクネスの方だった。隣人を覗き見る彼女の表情は、年長者だからだろうか、どこか余裕さを感じさせる。
一方、話を振られたカズマはいまだ動揺の余韻が消えていないようだった。うつむいて顔を逸らしたまま、ごにょごにょと口を動かしている。
「それ、俺の方が先に言ったんですけど・・・・・・」
「ふふっ、そうだったな」
そう言いながら、ダクネスは黄金色の長髪を掻き上げた。貴族らしい優雅な仕草の後、彼女の頭によぎったのは、いつかの月夜の光景だ。
「こんな日は、そうだな・・・・・・風呂場でお前にしてやられた一件を思い出すな」
「え? な、何のことですか・・・・・・?」
「とぼけなくてもいい。もう全部知ってる」
あからさまに動揺するカズマを安心させるような、それでいて追い打ちをかけるような声でダクネスは言った。
「サキュバスの店で予約した後だったのだろう? それで、あの状況を夢だと勘違いしてあんな破廉恥な命令を私にして・・・・・・何が『サキュバスに操られていた』だ? このスケベ男」
「あー、いや・・・・・・その、すんません」
「謝らなくても良い。もう・・・・・・あんなのは時効だ」
そのように言ったのは、今まさに夢魔のサービスを受けている自分の立場を省みたからかも知れない。少しだけ申し訳ない気持ちになりながら、ダクネスは思案する。
あのときのカズマの気持ちが、今は分からないでもない。
人間、目の前の状況が夢だと分かっていれば、普段なら出られないような強気な態度や行動を取れるものだ。特に、サキュバスが見せている夢の中だと勘違いしていたなら、男ならいやらしい命令の一つや二つしてみたくなるものなのだろう。
思っているだけで出来ないことを。
してみたくなるのだろう。
「・・・・・・うむ、今になって思えば、お前が夢だと勘違いしていると気づかなかった私にも非があったのだ。小心者で肝心なときにヘタレるお前があんな大胆不敵なことをするなど、サキュバスの夢の中でもなければあり得ない。お前のヘタレさを知らなかった当時の私も悪かったのだ、うん」
「んだとこら!」
そのからかうような物言いに思わずカチンときたカズマだったが、ダクネスはお構いなしだった。楽しげな表情で追い打ちをかける。
「だって本当のことじゃないか。例えば、見合いの最中に自分から持ち出した『凄い事』を適当に済ませたのは誰だった?」
「あ、あれは、お前が本当に嫌がりそうなことを的確に・・・・・・」
「一週間メイド服を着せられたときもロクにお仕置きをされなかった気がするな?」
「いや、その・・・・・・」
「私の実家に忍び込んできたときは『本当に腹筋割れてんのな』とか言ってよくも雰囲気をぶち壊してくれたな。私は覚悟を決めたつもりだったのに」
「・・・・・・」
返す言葉もないらしく、カズマは無言のまま身を縮こまらせてしまった。そんな彼の姿を見て、ダクネスは少しだけ反省する。
しかし、思い返してみれば、色々な出来事があったものだ。
エリス教会で「仲間がほしい」と祈りを捧げていた頃は、そんなセクハラを受ける事どころか、モンスターと戦うことすら単なる妄想に過ぎなかった。夢見たことは夢のまま叶うことなく、実際には貴族の一娘としてつまらなく一生を終えるのだろうと心のどこかで諦めていた。
それが、カズマのパーティに入ってからどうだった?
モンスターとの戦いどころか、想像を絶する強敵との連戦に次ぐ連戦だ。ベルディアやバニル、ハンス、シルビアといった魔王軍幹部に加え、あの悪名高き機動要塞デストロイヤーとまで戦った。鍛え上げた防御力を存分に使って、パーティの一員として活躍したのだ。クリスに連れ出されるまで、ロクに家の外に出たことのなかった小娘だったのに・・・・・・昔の自分が聞いたら、さぞ驚くことだろう。
エリス様、感謝します。
あの日、あなたに願ったことは全て叶いました。
「なあ、カズマ」
「何だよ、まだ文句が言い足りな・・・・・・」
「今度は逃げるなよ?」
金髪の少女の身体が、少年のことを強引にベッドへと押し倒した。
自分の身に何が起こったのか、それをカズマが理解したのはすっかり組み伏せられた後だった。慌てて抵抗を試みるも、既に手首はダクネスによってガッチリと掴まれ、身動き出来ないようにされてしまっている。
「え? ちょ・・・・・・だ、ダクネスさん!?」
「前回とは立場が逆だな。お前が下で、私が上だ」
カズマの顔を見下ろしながら、ダクネスは微笑を浮かべた。心なしか、彼女の頬は火照っているようにも見える。
「そ、そんなこと言ってるけど、どうせ本気じゃないんだろ? 人のこと散々ヘタレとか何だとか言ってるけど、お前だって本当は同じだって俺は知ってるんだぞ!?」
「ほう、そう思うか?」
心外だと言わんばかりにダクネスはつぶやいた。
いや、本当はカズマの言うとおりなのかも知れない。
今のところ、自分はこの男に対して何一つ積極的な行動を取れていないのだから。
確かに、屋敷の中で身体のラインが浮き出る服を着たり、『凄い事』を命令されてみたり、女としての覚悟を決めてみたりはした。しかし、これらのアプローチは一見、積極的な態度に見えて、その実全て受け身なのである。
何か起こってくれないか。
何か起こしてくれないか。
そんな風に相手の行動を期待して、ただ待っていただけなのである。
「・・・・・・残念だが、私はお前とは違うぞ、カズマ」
だが、今回は違う。
自分の深層心理は、確かにこの状況を願ったのだ。そう願ったからこそ、サキュバスは他ならぬこの夢を自分に見せている・・・・・・今、この瞬間は、確かに自分が行動したからこそ生まれた状況のはずである。
心の中で自分が一歩を踏み出したことを確認すると、ダクネスは自分の両手をカズマの頬にそっと添えた。
「カズマ」
「は、はい! カズマです!! 前から思ってたけど本当にお前って馬鹿力だよね・・・・・・?」
ああ、きっと現実のカズマも、こんな風に茶化すのだろうなぁ。
自分の夢の再現率の高さを、ダクネスは心の中で微笑ましく思った。そして、相手の動揺を意に介すことなく、瞳に強い意志を宿す。
そう、これはただの夢だ。
臆することは、何もない。
ダクネスは自分の唇を、
カズマの唇に押しつけた。
「・・・・・・っ!? 〜っ!!」
少年にとって、それは本当に予想外の行動だったようだ。頭がパニックを起こして、藻掻くように身体をバタつかせようとする。
しかし、相手の抵抗を許すダクネスではなかった。ここぞとばかりに自分の怪力を使って身動きを封じ、その間に艶めかしい舌を口の中に侵入させていく。
唾液が絡み合う粘度の高い音が、静かな部屋の中に響いた。
一体、何秒ぐらい続いただろうか?
やがて貪ることに満足したのか、ダクネスは重ねた唇をそっと放した。そのまま、どこか得意げな顔つきで尋ねる。
「・・・・・・初めてのキスの味はどうだ、カズマ?」
「えーっと・・・・・・すごく、美味しかったです」
「ふふ、そうか」
何ともムードのない返答だったが、ダクネスは喜んでいるようだった。いかにも実際のカズマが言いそうなことだったからかも知れない。全身を嬉しい気持ちで満たしながら、子猫が甘えるように自分の頬を相手に擦りつける。
ダクネスの中で、段々と何かが溶けていく。
ただの冒険者仲間という線引き、少女としての恐れ、貴族としての責任、ライバルへの遠慮・・・・・・それは、普段のダクネスを律している理性だ。『今』を壊さないために、居心地の良さを守るために自らに嵌めている形なき枷だ。
そんなもの、この夢の中では何の意味もなさない。
それを知ったら、かつてない解放感に包まれてしまった。天使のように微笑みながら、ダクネスは言う。
「カズマ・・・・・・私は、お前のことが好きだよ」
ダクネスは再び、カズマに口づけをした。
胸の中に押し込めていた言葉と共に。
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