氷が溶けたら春が来る

いぐあな

氷が溶けたら春が来る

『見て見て、お父さ~ん!!』

 娘の亜子あこが満面の笑顔で走ってくる。手には一枚の紙。彼女はグレッグの前まで走って来るとパンと勢いよく、ところどころイラストの入ったカラフルなテスト用紙を開いた。

『先生にすっごく褒められちゃったの!』

 ぷへへと笑いながら、テスト用紙の問題の一つを小さな指で指す。 【物の状態】の理科のテスト、その問題の一つには赤い小さなペケ印と大きな花丸が付いていた。

 【氷が溶けた状態を何というのでしょう?】

 簡単な問題だ。氷、個体が溶けたら、水……つまり液体になる。そう答えて欲しい問題なのだろう。だが、亜子はよほど自信があったのか、堂々と大きな文字でこう書いてあった。

 【春】

 …………。

 思わずグレッグの単眼が点になる。

『あのね、先生がこれは理科としては間違いだけど、とても良い答えだね。って褒めてくれたの。だから、点数はあげられないけど、大きな花丸をあげるよ。って』

 亜子が得意そうに見せる花丸の横には、先生のものらしい赤い文字が添えられている。

【子供らしい、とてもユニークな発想です。是非褒めてあげて下さい】

 グレッグはにっと単眼を笑ませると、亜子の頭を触手で撫でた。

『亜子はすごいな~。本当に素敵な答えだ』

『うん!!』

 亜子は小さな胸を張ると、にっこりと誇らしげに笑った。



 娘の名前は速水はやみ亜子あこ。そして……父の名前はグレッグ。ごく普通の父娘はごく普通のマンションに住み、ごく普通の生活をしていました。

 でもただ一つ違っていたのは……


『いいんです。先輩達の子はオレが育てます』


 父さんは触手だったのです。



 東京のオフィス街。天に高く突き刺さるようなビル街には、もう三月だというのに寒風が音を立てて吹き抜け、ちらちらと小雪が舞っている。 そんなビルの一室、多星間企業のオフィスの課長の机で、グレッグは卒業式を終え、受験の重圧も去り、一足早い春休みを満喫している中学三年生の愛娘、亜子の作ってくれたお弁当を広げた。昨日の夕飯の残りの煮豆に卵焼き、冷凍食品のコロッケにホウレンソウのゴマ和え。ご飯の上には甘辛く煮つけた豚肉のしぐれ煮が乗せてある。亜子が学校で使っていたデザート用の密封容器には、ラップに包まれたうさぎさんリンゴ。思わず目元を緩ますグレッグにベテランのOL、竹中たけなかがお茶を差し出した。

「あら、いつもながら美味しそうなお弁当」

「今日は『最後のお弁当だから』って奮発してくれたみたいです」

 礼を言ってグレッグは、竹中から自分の湯飲みを受け取る。

『これでお父さんにお弁当作るのも最後かぁ~』

 いつも弁当当番のときは、ぶうぶう文句を言っていたクセに、今日は妙に神妙な顔で亜子は『いってらっしゃい、お父さん』と弁当箱を差し出した。

「亜子ちゃん、明日から……ですか?」

「ええ、明日、少し早いですが学校の寮に移ります」

 亜子ことグレッグの養女、速水亜子は明日都内のとある高校の寮に入る。本来なら都内の生徒は規則で入ることは出来ないのだが、グレッグが彼女を寮に入れたい理由を話し、学校の先生方がそれを了承して、特別に入れて貰えるようになったのだ。

 グレッグの言葉に一瞬、オフィスがシンと静まる。グレッグは弁当の蓋の裏についた、しぐれ煮のショウガを箸で器用に摘むと、頭頂にある口を開けて、それを入れた。

 この一見、北の海の妖精と呼ばれるクリオネ……羽根が触手、顔の真ん中に単眼が一つついているが……に似た、海洋浮遊生物系触手型星人グレッグが、その前の前の課長だった女性の娘を引き取って育てていることは、課の者全員が知っている。異種族にも関わらず、非常に仲の良い父娘であることも。

「でも、これで、亜子ちゃんに妙な噂が立たなくなりますよね」

 重い空気を明るくしようと声を上げた、今年二年目のはやしにオフィスから非難の目が集まった。

「お前みたいな奴がいるから、課長が娘さんを寮に入れなくてはならなくなるんだ」

 隣の席の同僚の原田はらだが林の頭に拳骨を落とす。

「しかし……普通……」

「普通じゃありません!」

 お茶を配っていた竹中がぴしゃりと林の言葉を遮る。微妙になった空気に、原田がデパートの紙袋を出して席を立ち上がった。

「これ、バレンタイン・デーのお礼です」

 そういえば今日はホワイト・デー。 デパートで買ってきたらしいクッキーを女子社員に配り始める。気配りの出来る男として社内でも有名な原田らしい。オフィスが和やかな空気に戻ったことに感謝しながら、グレッグは彼を呼んだ。

「すまん。原田、これも一緒に配ってくれんか?」

 グレッグも課長として女子社員にチョコを貰っている。こちらはカラフルなキャンディを包んだ小袋を入れた袋を出す。

「あら、課長。ありがとうございます。」

 早速、原田にクッキーとキャンディを貰った竹中が礼を言う。

「いや……オレは実は忘れていたんですが、亜子が気づいて買ってきてくれたんですよ」

『ちゃんと返さないと女は怖いよ~』

 彼女は地球の習慣に今一つ疎い父を脅しつつ、カバンに通販でまとめ買いしたキャンディを、小分けにラッピングして入れてくれた。その様子を想像したのか、竹中と原田が目を細める。

「しかし、おそらく来年は気付かないから、来年のバレンタイン・デーのチョコはいらないです」

 苦笑しつつ弁当のご飯を頬張り、お茶でそれを流し込む。オフィスがまた少し静かになる。その中をグレッグの小さな溜息が流れた。



 明日は娘の引っ越しの為、定時に会社を出たグレッグの背広の内ポケットが鳴る。短い電子音に、取り出したスマホの画面をタップすると亜子からメールが来ていた。

『帰りにボディソープとシャンプーの替えと、液体洗剤、柔軟剤、トイレットペーパーと明日の朝のパンを買ってきて』

 そういえば、春休みに入ってから引っ越すまで、なるべく家に籠もるようにしている亜子は、今日は朝から家中を掃除するのだと言っていた。その掃除の最中に気が付いたのだろう。

「……これ、全部オレの小遣いから出すのか?」

 今月はそろそろ苦しいのに……、ぼやきながら駅前のドラックストアに向かう。

「生活費、まだ余裕あったっけ」

 出来れば、生活費から返して欲しい。 亜子が中学に入ってから、生活費は別通帳に入れて、そこから二万円ずつ引き出しては、手さげ金庫の封筒に入れている。互いに買い物当番の際は、そこからお金を出し、レシートと共にお釣りを返し、後でチェックするのが、この父娘の習慣だった。

 いつか、亜子が独立したときに、きちんとした金銭感覚がつくように決めたルールだ。

「それも、もうしなくてもいいんだな……」

 亜子お気に入りの肌に優しいボディソープを棚から取る。それをカートに入れて、グレッグはまた息をついた。



 ちらちらと雪が舞い始める。グレッグは買い物袋を肩に、右に通勤カバン、左にトイレットペーパーを抱えると足早に歩き出した。

 淡い春の雪。アスファルトの道路に舞い落ちる度に、すぅ、すぅっと消えていく。周囲の人々も暗くなり始めた道を急いでいる。遠くで誰かが通報したのか救急車のサイレンが聞こえた。



『スリップした車に巻き込まれたんだってね……』

『夫婦共に即死だったらしいわよ』

 読経の声が流れる中、入社三年目のグレッグと、子供が小さい為、パート事務員の竹中は喪服姿で通夜の末席に参列していた。

 喪主は先輩の夫の友人だという男が務め、遺族席には、ぽつんとまだ幼稚園の亜子が制服姿で座っていた。

『亜子ちゃん、どうするんですかね……』

 グレッグが隣の竹中に訊く。

『先輩は社会人になったばかりの頃にお母さんを亡くして、もう身寄りが無いって言ってました』

 異星人、しかも余り地球人には好かれるタイプでは無い、触手型星人のグレッグを先輩、課長の速水はやみ美奈みなは新入社員の頃からよく面倒を見てくれた。地球生活に不慣れな彼を週末自宅に呼んでは、夫や子供と一緒に夕飯をご馳走してくれたものだ。

『亜子がさ~、もう休みになると、お兄ちゃん今日は何時に来るのってうるさいんだ』

 お陰で旦那がグレッグに焼いてるよ。そう先輩が冗談を言うくらい、懐いて一緒に遊んでいた亜子が、今は、ぼぅっとした顔でパイプイスに座っている。

『旦那さんの方も御家族がいないみたい。本当にどうするんでしょうね』

 竹中も心配そうに囁く。

 読経が終わり、弔電が読まれ、喪主の挨拶が流れる。その後、しめやかな音楽と共に、明日の葬儀の日程が告げられ、解散となった。

 後で来た参列者が焼香する中、葬儀社の人が会場に泊まる人を訊いている。喪主の友人と何人かの友人が泊まり、その奥さんらしい人が亜子を家に連れて帰り、また明日葬儀の時間に連れてくるということで話が纏まったとき、友人の奥さんを戸惑った顔で見ていた亜子が、帰ろうとするグレッグを涙目で見つめた。

『あ、あの……、もしよければ、オレが亜子ちゃんを預かります』

 思わず言葉が出る。亜子が彼に向かって駆け出し、ぎゅっと抱きついた。

『差し出がましいようですが……亜子ちゃん、結構オレに懐いてくれていて……。明日はオレも葬儀に参列しますから、そのとき連れてきます』

『だったら、私が明日朝、迎えに行きます』

 竹中が口を添えてくれる。

『下着の替えを買って持って行くから、お風呂入れたり、髪を整えたりしてあげますね』

『すみません、そうしても良いですか?』

 肝心の亜子は、もうグレッグから離れるもんかとでもいうように、ぎゅうぎゅうに抱き付いている。

『じゃあ、頼みます』

 友人達が顔を見合わせて頷く。『よろしくお願いします』と彼等はグレッグに頭を下げた。



「あの日以来、亜子はオレん家に住み着いちゃったな」

 マンションに続く坂を、えっちらおっちらと大荷物を手に上がりながら苦笑する。結局、亜子は一、二度、彼女の服や幼稚園の道具等を取りに家に戻ったきり、グレッグの家に留まった。先輩の家の処分や亜子の相続の手続きは友人達がやってくれ、亜子の様子をしばらく見た後、竹中夫妻に手伝って貰って、グレッグと亜子は養子縁組を結び父娘となった。

 本当に良い人達ばかりに助けられたなぁ……。

 ここまでやってきた道のりを思い返し、グレッグが微笑む。そのとき、何か視線を感じ、彼はキッと道の左側にある住宅の二階の窓を睨む。 素早くカーテンが閉まる。

 だからといって、ずっと父娘の回りの人々が良い人ばかりとは限らない。

 雪の降りがどんどん強くなる。 亜子を寮に入れなければならなくなった原因に、彼はしばらく、その窓を睨み付けると足早に坂を上がっていった。



 マンション入り口の郵便受けを開けて、中にチラシと広告メールしか入ってないのを見て息をつく。オートロックを開けて、素早く中に入り、六階の自分達の部屋にたどり着くと、背広の内ポケットから鍵を出して開けた。

 ガチャン。鍵の開く音に安堵して、グレッグは中に入った。

「ただいま」

「おかえり~」

 暖かな空気と共に亜子の声が返ってくる。短い廊下を渡り、ダイニングキッチンに入る。ほっこりと出汁と野菜の煮える匂いがした。

「味噌汁とサラダはもう出来てるよ~」

 エプロン姿の亜子が出迎える。テーブルに買ってきた荷物を乗せると、グレッグは心配そうに「今日はどうだった?」娘に訊いた。

「お父さんに言われたとおりカーテン閉めて、掃除してたから解んない」

 亜子が首を振る。「寒いから家から出なかったし、友達とはLineで話したし」

 警察が警告してくれてから、何もないし大丈夫でしょ。暢気な答えに、やれやれと肩を下ろす。

「それより、お父さん、約束は?」

 鶏もも肉、もう解凍済みだよ~。娘のせき立てる声に、グレッグは「解ってる」と返して自分の部屋に入った。

 背広を脱いでネクタイを外す。開けたクロゼットの扉の裏の鏡に、どうしても地球人には化け物にしか見えない自分の姿が映る。

「オレのせいで、亜子を怖い目に遭わせてしまったな……」

 カッターシャツを脱ぎながらグレッグは重い息を吐いた。



 それは去年の夏、ちょうど亜子の中学最後の夏休みが始まった頃だった。

『なんだこれは!!』

 郵便受けに入っていた手紙を開けていたグレッグは最後に開いた、百円ショップで買ったものらしい、シンプルな薄いピンクの封筒の封を開け、これもたぶん同じ店のものだろう、どこかチープなデザインの便せんに書かれた文字を読んで、思わず声を上げた。

『どうしたの!? お父さん』

『いや、お前は読むんじゃない!!』

 後ろから覗き込んできた亜子に、慌てて便せんを伏せる。

 封筒を改めて見る。差出人は何も書いてない。宛先は白いラベルシールに、この家の住所と亜子のフルネームだけがパソコンで印刷されていた。

 手紙の内容は……思い出したくもない。

 触手である自分と亜子を題材にしたエロ小説……いや小説というには余りに失礼すぎる下劣な散文だった。

 そして最後にはこう書かれていた。

『亜子ちゃん、お父さんとばかり遊んでないで、ボクとも遊ぼうよ』

 この一文に、もし何かあったら連絡して欲しいと連絡先を渡されていた、先輩夫妻の友人達に連絡したところ、襲われる可能性もあるからと、友人一家が亜子をしばらく預かってくれた。

 その後、原田や竹中と協力して犯人を突き止め、数々の同様の手紙や郵便受けに突っ込まれていた『大人のおもちゃ』や『汚物』を警察に提出し訴えたところ、ストーカー案件として犯人に警告してくれたのだ。

 犯人はマンションから少し離れた住宅街に住む、今年三十歳になるニートの男。通学で家の前を通る、母親似のはっきりした綺麗な顔立ちの亜子に懸想し、グレッグという血の繋がらない触手型星人の父親と住んでいるところから妄想を広げ、勝手に触手と遊んでいる女なら、自分も遊べると思ったらしい。

 吐き気がするような男の妄想が起こした事件だが、解決までグレッグも亜子も嫌がらせと恐怖と互いの心配に、かなり神経をすり減らした。

 幸い、近所に住む竹中の子供達が、夏休み明けの亜子の登下校に付き合ってくれ、休日はグレッグが娘に張り付いていたお陰で、面と向かって犯人が彼女に接することはなかったが、これを切っ掛けにグレッグは亜子を自分から離すことを考えたのだ。

 これから先も起こるかもしれない、このような妄想や謂われのない誹謗中傷から娘を守る為に。



「幸い、学校の先生が理解して寮に入れてくれたからな」

 ポロシャツを着、Yシャツを洗濯場の籠に入れると、台所に向かう。まな板の上には既に解凍の終わった鶏もも肉が、包丁と共に置かれていた。側にはノートとスマホを構えた亜子がいる。

「随分、真剣だな」

 エプロンを付けて、包丁を握り、鶏もも肉を一口大に切っていく。

「今日こそは絶対に、お父さんの唐揚げをマスターするんだ」

 スマホで父の手元を撮り、ノートにメモしながら亜子が答えた。

 思わず笑う。寮に行く最後の晩、何かして欲しいことがないか訊いたグレッグに、亜子が頼んだのが父の唐揚げの伝授だった。

 この唐揚げは昔、グレッグが亜子の母、美奈に教わったものだ。

『絶対に美奈先輩の唐揚げをマスターします!』

 張り切ってデジカメにノートを持ち込んだグレッグを、美奈と美奈の夫、そして亜子が笑っていた。

 思わず、その笑顔が浮かび、目頭が熱くなるのを堪え、ショウガとニンニクをおろし、醤油、酒を加えた中に一口大に切ったもも肉を入れる。

「しばらく漬け込むぞ」

 手を洗って振り向くと、あのときの自分と同じように、亜子は一生懸命にノートに字を書いていた。



 本当は亜子が大人になったら、自分は彼女の側を離れようと思っていた。彼女が作るかもしれない新しい家族や、家庭の邪魔にならないように……そう考えていた。

 だが、寮に無事申し込みが終わった帰り道。その日も珍しく都心に降る雪を見ながら、亜子がぽつんと言ったのだ。

『離れて暮らしてもお父さんは、ずっとずっと亜子のお父さんだよね』



『高校卒業して、大人になってもお父さんは、亜子のお父さんだよね』

 引き取られて以来、初めて別れる父に、昔両親を失ったときのことを思い出したのか、亜子は必死に訴えた。

『『寄り道』だからって、どこかに消えていったりしないよね!!』

 そういえば、引き取ってまもなくの頃、本当に自分と暮らせるのか、何度も確認する亜子に言ったことがある。

『大丈夫。オレ達の寿命は亜子ちゃん達の何倍もあるんだ。こんなのちょっとした『寄り道』だよ』

 その時は亜子の、自分がグレッグの負担になるのかもしれないという心配を和らげる為に言ったつもりだった。が、亜子にはこれが心のどこかに、小さなトゲになって刺さっていたらしい。父がいつか『寄り道』をやめて、どこかに行ってしまうのではないかという不安。グレッグは昔の自分のうかつさを呪いながら答えた

『どこにも行ったりしないさ。だって、亜子との暮らしは父さんにとっても、かけがえのないものだから』

 もう『寄り道』じゃない。これが彼の人生の『本道』。そして、たぶん、これから先も、『死』という形で彼女と別れたとしても、ずっとずっと心に残るだろう大切な思い出になるに違いない。



 漬け込んだもも肉の水気を切り、片栗粉と小麦粉を混ぜた粉にまぶす。中華鍋に油を熱し、もも肉を落とすとジューンと音が弾けた。

「父さんは二度揚げしてるんだ」

 菜箸でもも肉がくっつかないように離しながら話す。

「私も二度揚げするけど、カスカスになっちゃうよ」

「油から上げるタイミングってのがあるんだよ」

 キッチンペーパーの上に次々と、一度揚げした唐揚げを乗せていく。

「それ、教えて!!」

 亜子が目を輝かす。

「それがなぁ~。これは父さんの勘だからな~」

「何それ~!!」

 抗議の声と醤油の香ばしい匂いが台所に広がった。



 ジャガイモに人参、白菜とキノコの味噌汁に、温野菜にマヨネーズソースをたっぷり掛けたサラダ。漬け物に昆布の佃煮。メインはキャベツの千切りの上に乗せた唐揚げ。

 カーテンを開けると、すっかり闇に落ちた外は雪が止んで、雲の隙間から星が見える。

「う~ん、美味しい!!」

 唐揚げを頬張る娘を振り返り、笑む。

「雪がやんだな。もうすぐ春だ」

「えっ?」

「今日みたいな雪を春の雪っていってな。春が来る前にさっと降る淡雪なんだ」

「ふ~ん」

 たわいも無い話をしながら、娘と食事をする。明日からは、今までのように毎日は出来ないが、それでもこの父娘の絆は今日の淡雪のように消えてしまうものではない。

「私が寮に移ったら、今度はお父さんの引っ越しだね」

 例のニート男から離れるため、グレッグも来週末には引っ越しする。

「ああ、今度のマンションは会社に近いから、今より寝坊出来るよ」

「新しい部屋、楽しみだな」

「楽しみは良いが、あのマンガの本、全部今度のマンションに持って行く気か?」

「うん! 寮には持っていけないし」

「……自分で自分の部屋に片づけろよ」

「了解!」

 氷が溶けたら春が来る。巡り巡り回る季節のように、この絆はきっとずっと続く。



 夕食後、グレッグは奥の部屋に入った。電気を付けると引っ越しの為に不要品を詰め込んだ段ボールの向こうに、小さな茶色の仏壇がある。そこに唐揚げを供えて、グレッグは触手を合わせた。

「すみません。どうやらオレ、先輩達の分の親の幸せ、全部貰ってしまいそうです。その代わり、最後まで亜子の父親を務めますから」

 鉦を鳴らして、いつまでも若い夫婦の笑顔の写真に謝る。

「お父さ~ん、お風呂沸いたよ~!!」

「今行く」

 グレッグは写真に頭を下げると、部屋の電気を消して出て行った。



 チーン……。闇の中、鉦が小さく鳴る。それは『良いよ。全部貰っていって』と笑うかのように響いた。



                        氷が溶けたら春が来る END

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