余談 とある玉の輿の末路

 時間とは流れ行く雲の如く、そこにあると思っていても気づけば過ぎ行く物だ。

 ハルザス共和国がブリュン・グラーネ帝国及びヴァラスクジャルブ連邦に対して行った武力侵攻、戦争行動の一切を人々が人民戦争と呼び過去の物だと認識して早十年が経った。

 結果を端的に言うと、帝国は分割統治されるに至り連邦とは停戦協定が締結された。

 圧倒的に兵力の劣る当時のハルザス共和国軍が帝国軍を殲滅せしめた最大の要因はジャック・アルーソン将軍が採用した魔力砲を主とした魔力投射部隊の存在が大きいと言われている。戦場の女神と評された砲兵は人民戦争以降の兵士から死神、魔神とまで言われるほどだ。




 ハルザス共和国首都パリスは今、熱狂に包まれていた。

 我が家で一番見晴らしがいい、俺の自室から大通りを埋め尽くす民衆の熱狂を見ていた。

 テーブルには一通の手紙。その内容はこの熱狂に起因する物だ。

「奥様、お時間ですが本当に式典には向かわれないのですか?」

 入室を許してあるメイドが心配そうにそう言った。

「えぇ。こうしてあの人から直々に離婚届を突き出されたのよ。今更昔の女が二回目の結婚式に顔を出すなんて、そんなことあたしには出来ないわ」

「そうですか・・・」

「紅茶でも淹れてちょうだい」

「畏まりました」

 テーブルにティーセットが用意され、ティーカップに赤茶の液体が注がれる。

「ありがとう。あぁ、そうだ。あなたも座って一杯いかが?」

「いえ、奥様・・・私は・・・・」

 地方の農村から出稼ぎで来た少女は遠慮しているようだが、この部屋の主が長年口説き続けた成果がようやく表れたようで渋々と言った様子ではあるが向かいの席に座った。

「ほら、カップを用意して・・・・」

「お、奥様!自分で出来ますから!」

 メイドはそう言うが、勝手にメイドのカップを用意して紅茶を注ぐ。紅茶の優しい香りが部屋に満ちた。

「偉大なる皇帝陛下は昔の女に屋敷を下賜くださるそうなのだけど、あなたは新しい働き口はあるかしら?」

「いえ、ありがとうございます」

 紅茶を口に含む。爽やかな味が口の中に広がる。この好みの味を彼女が出せる様になるまで、一体どれほどの茶葉を駄目にしただろうか。

「あたしが口説かれた時は人々が全て平等な国、と言われたのだけど・・・・さて、これからハルザスはどうなるのかしらね」

「田舎娘には考え付きません」

 彼女もまた自分の淹れた紅茶を口に含んだ。紅茶を啜らないように、と言ったのがもはや懐かしい。

「そのわりには毎晩遅くまで熱心に本を読んでいるようだけど」

「そ、それは・・・せっかく奥様に字の読み書きを教えてもらったので・・・・」

 目にクマが出来ている。これは、元とはいえ人の出入りが多い将軍夫人のメイドとして恥ずべきことなのだが。

「勉強熱心なのは結構。一体何を読んでいたのかしら」

「ツェルストの深淵です」

「・・・・・そう」

 互いに正義の為に戦うが、両者の正義は互いに理解出来ない物と断じて相手の思想を破壊しようとする二か国の物語だ。主人公の所属する国家が共和制であったことから発表当初から人民戦争をモチーフにした社会的な作品と評されていた小説だ。

 懐かしい。よく読んだな。それこそ表紙が擦りきれるくらいには。

「ツェルストが見たら今のハルザスをどう思うんでしょうね」

 紅茶の二口目を口に含んで、よく味わわないままに飲み込む。

「さぁ・・・・」

 大通りから歓声が沸き上がった。本日の主賓が到着したようだ。

「来ましたね。奥様の恋敵、ですか?」

「違うわよ・・・。スタートラインから全っ然違うわ」

 今、大通りを馬車に乗っているのは旧ブリュン・グラーネ帝国、現在の分割されてしまった国の一つ、ワルシャ王国の王女殿下マリーズ=ブリュン・グラーネ。齢にしてなんと十二歳。政略結婚ここに極まれる。

「自分の意思があったかどうかの違いしかないけれど。認めるのはとっても癪だわ」

 なんにせよ。今日、この日から解放される。自分の身体を縛っていた見えない鎖から。

 時間は全てを押し流す。人の感傷も。国家の在り様も。

 ハルザスに来てから十年。だが、それ以上に自分は老けたと思う。これでまだ三十路前だ。本当に精神的に老けたな。

「人の求めた物はいずれ人間がその手に収める物となる。でも、時間ばかりは不可逆で人が冒せない唯一の物、か」

「奥様?どちらの方の言葉ですか?」

 さて、誰の言葉だろうか。オリジナルでは無いな。

「あたしが老けたって話よ」

自分の歳の何十倍もね。




 ハルザスの眩い空に花火が上がる。

 この日、ハルザス共和国は初代皇帝ジャック・アルーソンを戴き、再び王政の国家に戻る。

 これが歴史書に残るであろうハルザス帝国の誕生だ。









「そうだわ」

「どうされました奥様?」

 これからは将軍夫人でも無いのだし、きっと暇だろうから久しぶりに知己を暖めるのもいいだろう。

「いいことを思いついたの。あなたもきっと喜ぶわ」

「はぁ・・・?」

 うん、みんなハッピーになるナイスアイディアだな。

「食客として屋敷に招きたい人がいるのよ」

「誰ですか?奥様、勿体ぶらないでください」

「押しも押されぬ大作家。十年で頭角を現した早熟の天才、あとあたしの親友、とだけ言っておきましょうか」

 あぁ、これから楽しくなりそうだ。

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異世界で貧乏貴族家のメイドになりました 漂白済 @gomatatsu0205

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