物と思念のアラベスク

 その迷宮は極めて広大に入り組み、あらゆる生きとし生けるもの、有機物から無機物、霊魂から物質まですべてが包括されている。それは道が幾重にも重なって、一度そこを過ぎれば、二度と元の所へは帰れない。霊魂は専ら黒く塗られた壁面の縁取る迷路を進み、物質は専ら白く塗られた壁面の照らす迷路を歩む。二つの道が交錯するとき、それらは一つの存在に融け合い、こうして生命が生まれる。生命は、ひたすら物質の道を歩む。ところがそれには、若干の霊魂が混ざり合っているために、時折道を踏み外して霊魂の道へ移る者がいる。それを人は、怪異と呼び、また彼らは時々物質の道に姿を現すから、怪談が出来上がる。人はそれを人類特有のものだと思っているようだが、妖木や移動する沼があるというのに、どうしてその他の動植物が怪談を得ないことがあろうか。ひとえにすべての経験は共有されうるのである。

 迷宮には、忽然として現れ、彗星の如く消え去るものがある。それは霊視者と呼ばれる。彼らは、人間の前に現れる際には様々な形をとる。それは預言者となり、終末や王国の衰亡を論じる。それは魔術者となり、様々な不可視の霊力を使い、衆目を驚かし、やがて人類の人類による人類のための宗教によって、火にあぶられる。いずれにせよ、彼らは並の人間とは一線を画すから、その霊魂と物質の比率は極めてアンバランスになっている。

 迷宮は奥へ進むほどに、その複雑さを増していく。人間はそこを進むために、ある議論をした。それは哲学と呼ばれている。ある哲学者は、そこを進むためには理性による思惟が必要であると説いた。ある哲学者は、そこを進むために、己の霊魂と向き合うことによる直観を最重要視した。ところで宗教は、より簡明に、神を想定することで進もうとした。その議論は、人類がさらに奥へ行った今となっても、終わることがない。

 迷宮の中央には、この世界最大の異端者がいる。それは霊魂も物質も伴っていない。見る者だけがそれを見る。それは身体のほとんどの部分が闇に沈み、いつも大きな声を上げては、続いて嘆息している。その現象は迷宮を新たに創り上げる。人はそれを創造と呼び、また破壊と呼ぶ。

 迷宮は誰も知らず、また誰も理解できない。原初から、全てがそこに収まった。空間と時間は、そこを主宰することに成功した。迷宮は、中央の怪物と全てを共にしているのである。

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