役者

 俺は人を殺した。

 通りすがりの見知らぬ他人だから、名前も住所も分からない。なぜ殺したのかも分からない。どうやって殺したのかも覚えていない。気が付いたら、目の前に、さっきまで生きていた男の死体があったのである。

 俺はとりあえず逃げることにした。一か月逃げたが、あっけなく捕まった。

 俺は尋問を受けた。なぜ殺したのか、凶器は何か、なぜ逃げたのか。俺は全ての質問に、分からないと答えた。そうしたら、俺は取り調べの役人にぶん殴られ、杖でこっぴどく打ちのめされた。それで俺は痛くてたまらなかったから、全てをでっちあげることにした。つまり、相手がこちらにいきなり唾を吐いてきたからカッとなり、持っていた製図用のコンパスでめった刺しにした後、そのコンパスを川に投げ入れ、怖くなって逃走したと説明したのであった。コンパスによる刺殺の件はかなりいい加減だったが、役人はあえてそれには目をつぶった。

 俺は死刑判決を受けた。斬首刑だった。一か月後に執行するから、それまでに身の回りのことを整理しろと言われた。俺が家に帰ると、まず妻と両親が俺を目いっぱい罵ってきた。一家の恥、忌み子、血の汚染だなどと散々な言いようだった。俺は頭を垂れて、黙って聞いていた。何しろ、弁解するための正当な理由が無かったのである。俺は手ひどく打ちのめされた後、家から追い出され、二度と我が家の門をくぐるなと言われた。

 俺は次に勤めていた店へ行くと、そこの店長は俺の顔を見た瞬間、お前の顔なんか見たくもない、お前はクビにしたから安心して消えろと言った。こうして俺は、行く場所を失った。このような人間のたどり着く場所は、決まって都市部の近郊、あぶれ者がたむろするギャング街だった。俺はそこにひっそりと身を休めた。そうして明日の飯の心配をした。刑罰はしっかり受けて死にたかったから。

 二週間後に、政府の調査によって、俺が殺した男が実は、他国の忌むべき内通者だったということが判明した。我が国はそれを口実に、かねてから敵対関係にあったその国を攻め滅ぼし、かくして大陸が統一され、地上に安寧がもたらされた。事態は全てひっくり返り、俺は犯罪者から国民的英雄へと成り上がった。俺を見る人は駆け寄ってきて、俺の足に接吻し、握手を求め、思いつく限りの讃辞を並べて俺を称えた。妻は英雄を支えた良妻と自ら称し、国民の関心を買い、情夫を何人もつくった。そうして俺に対してはさらなる媚態を見せ、俺に飽きられないよう、若さを保つために魔術にも手を出した。両親は、己らは英雄を育て上げた豪傑なりと吹聴して、街中を我が物顔で歩き回った。そうしていたるところで、自分は英雄の親なりと叫び、種々の特権を恣にし、貴族や王族までをも平伏させ、子の親たちからは、その教育法をどうか伝授してほしいと、大量の依頼と巨額の報酬を申し込まれた。

 そんな国家的な熱狂を見た俺は、自殺をすることにした。今こうして述べている事実が、どれだけ滑稽な空想譚に思われるかも分からないが、とにかくこうしたことは事実として現れたのである。明日は、ちょうど男を殺してから一か月になるから、刃物を用いて自ら首を斬ろうと思っている。

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