応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • (nil)さんへの応援コメント

    (ゼロの使い魔←関係ない)

  • トーキングカード。
    昔の施設時代使おうとした支援者がいました。

    自分は(言葉でなく)指先の方向で示して伝える。
    これが重度の自閉症者に伝わりやすい気がします。

    前回の大阪(文学フリマ)初めて出かけました。
    いろんな出会いが有意義で楽しい一日でした。
    ※いつかきっと東京にも行きます。

  • ヒカキンとトカチンへの応援コメント

    イントネーション?

    音の響きと感じ方かもしれません。
    お疲れ様でした。

  • 奇遇ですね(笑)

    自分が現在かかわる組織名
    いんくるーじぶが含まれていますw

  • 真珠腫性中耳炎の経緯への応援コメント

    安心?
    ※たぶんそんな感じですw

  • 放課後デイについてへの応援コメント

    ほんそれ(笑)
    ※だがしかし
    「同時に声を上げにくいので
    意味がない」そんな世界です。

  • 息子がひとりで○○した話への応援コメント

    人間そんなもんですw

  • 見せてあげたいものへの応援コメント

    素晴らしいお父さんですね。

    「相手の気持ちに寄り添うこと」
    ※相手の望む環境を与えること
    (見えている世界が違う? 
    難しいですが……理想論として)

  • 卒園して入学したへの応援コメント

    随分とおひさしぶりになります。
    お元気そうで(?)安心しました。

    福祉業界のIT化……
    現状おそらく難しいです。

    PC慣れの施設管理者が増えれば
    (大半は役所の天下りなので)
    いずれ可能になるかもしれません。

    効率化? なにそれ?
    みたいな支援者が大半なのですw
    ※なにも起こさずに時間を過ごす
    それが一番大事な業界なのです。

  • どうなさっているのかな、と勝手に少し心配をしていました。
    色々と心労が絶えない状況と思いますが、共有をして頂きありがとうございます。
    ご家族に少しでも穏やかな時間が来ることを切に願っています。

  • 友達を噛んだへの応援コメント

    私にもダウン症の息子(3才半)が
    あります。上の子達とは違った子がほしいと思っていたら トリソミー21の この子が授かりました。 心房に穴がいくつもありましたが ふさいできてくれています。特別かわいいです! 家族に笑顔が増し、気持ちを繋げてくれました。
    この頃はあまり噛まなくなりましたが、噛むときは ケンカより 愛情表現の方が多かったと思います。保育園とかには行ってないので家にいて 姉2人兄1人と遊びます。誰かがケンカすると心配そうにみていて 当事者たちを抱き寄せて仲直りさせてくれます。
    筆者の息子さんと同じく 我が強く たくましく育ってくれています。(まだ2、3話しか読んでませんが。)トルコのイスタンブールに住んでいるのですが、何度か"この子ちょうだい"とか言われました。夫も"この子たちのお陰で世界がきれいだ "と言われたとか。
    出生前診断とかで ダウン症だとされると 中絶するなんて とんでもない ひどいこと やめてほしいです。


  • 編集済

    五歳になった息子への応援コメント

    私もダウン症の娘がいる父です。
    今年生まれたばかりなので、まだまだ親としてひよっこですが、とても可愛くてしょうがない日々を過ごしています。

    どの様に娘は成長していくんだろう、と期待と不安とを併せ持った気持ちでいますが、木本様の言葉に感動し、コメントをさせて頂きました。
    ~~
    そうだよな、お喋りしたいよな。
    でもそうか、やっぱりお喋りしたいか。
    そうだよな、お喋りしたいよな。みんなと同じようにお喋りして、みんなが話しかけてくれるように、話したいよな。
    ~~
    私もこういう風に思う時が来るのだろうな、と思い、涙腺が少し緩んでしまいました。
    心の声を聞かせて頂き、本当にありがとうございます。

    ーーーーーーー

    追記:
    今は23年1月、19年11月にコメントをさせて頂いてから、3年ちょっと経ちましたが、私達家族も元気に過ごしています!
    少しずつこの時の年齢に近付いており、娘も頑張ってとても良い成長を見せてくれています。
    これからも、立ち寄らせて頂きます。
    お互い、心と身体に気を付けて、過ごしていきましょう。

  • ダウン症の顔貌などに関する表現について、モンゴル人に失礼ではないですか?医学情報を提供する者として知性のバランス感覚に欠けると思います。

    ”うちの息子なんかは、目元は僕にそっくりだし、耳や鼻や口は妻にそっくりだ。髪の毛のクセは僕のほうを受け継いでいると思う”

    あなたとあなたの息子がダウン症様顔貌ならば話は別ですが。

  • たとえば、今日のこと。への応援コメント

    こんにちは、初めてコメントします。
    息子さんはこんなに理解のある父親を持てて幸せだろうと感じる文章でした。

    たとえば、たとえば、と、彼の気持ちを汲み取ろうとする木本さんは
    素晴らしい父親です。

    作者からの返信

    ありがとうございます。自分が父親としてどんなものなのか、正直いまだに分からずにいるのですが、観察対象があった時に、この人がどういう表現をしてそこにどういう意図があるのか理解できるようになりたいと思ってしまうのは、理系の性なのかもしれません。

  • 書いていて思うことへの応援コメント

    発散すること。
    まとめること。

    書くことが脳内の整理になり
    不特定多数に発表することが
    どこかの誰かにいつか役立つ。

    続けることが何かを生み出す。
    新たな可能性や価値観を形成
    世界を変えられるかも(笑)

  • はじめにへの応援コメント

    こんな作品も良いですね!応援しています‼

    また追々閲覧させていただきますね‼


  • 編集済

    こんにちは。個人的には臆病だと思います。
    もちろん障がい児のせいでと思う親もいらっしゃるでしょう。
    しかし友人のお子さんは幼稚園の時にダウン症ではなく自閉症児と幼稚園に通っていたそうですが、行き帰りのバスを含めてすべてその子には専属の先生の補助があり、親御さんはバスに乗るなども含めて一切一緒にいなくて良かったらしいです。(つまり健常児と同じという意味です)そういう環境であったけれど、友人は(自分の子供は)「人に優しくすること、助けること、違いがあることを学べた」と言っていました。そちらの幼稚園は自閉症児だけではなく、ダウン症、保護施設のお子さん、聴力障害のお子さん、視力障害のお子さんも受け入れているとのこと。それについてどなたも文句は言わないし、そればかりか自閉症のお子さんが入園したばかりの頃は、列に並ぶどころか、すぐにパニックになり叫んだりしていたのが、年長さんのおゆうぎ会では彼のパートを一人でがんばって踊れるようになったことに、多くの親御さんが感動して泣いていたと言っていました。(ちなみにその子は、年長さんの頃は専属の先生が付かなくなっても良い状態になったそうです。6歳で言葉もまだというかなり重度の自閉症だったそうですが)
    幼稚園や保育園で学ぶ平仮名や運動能力や計算など、個人的には小学校でも十分学べるし、逆にその時期は友人が言ったことのように心を成長させることにも十分意義があると思います。
    最後にその幼稚園を卒園した子供はみな優しくて思いやりがあり落ち着いていると一年生の時に先生に言われたと、友人は自慢げに話してました(笑)

  • 子供から見て(良い)親は

    いて欲しい時に傍らで寄り添い
    話しかけられた際には受容する。

    過去の蓄積(経験上)から

    最速で最適解を見つけることと
    否定せず静かに聴いて共感する。

    最後まで見捨てず守るだけです。
    ※実務対応と経験論ですが


    追伸

    最初から完璧な人間はいません。

    子供が成長するのと同じ歩みで
    一歩ずつでも勉強して良き親に
    近づく努力を死ぬまで続けるw

    ※小池一夫大先生がtwitterで
    人間として正しい行動と呟きを
    残しておられましたよ(笑)

    作者からの返信

    僕はどうも共感力というのが乏しい人間らしく。
    とは言え、話を聞こうとは思うので。
    話してくれるようになることを楽しみにしています。
    いまでも頑張って話そうとしてくれてきているのですが、
    なかなか読み取ってあげれないことも多くて、
    それが今は申し訳ないです。

  • 今、仕事で まさに5歳ダウン症児と関わっています。
    可愛いです。
    どうすればより
    その子が、まわりと楽しく過ごして 成長していけるか 考える日々です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。息子がまさに5歳なのですが、やんちゃで周囲にも色々迷惑をかけています。
    だけど、周囲の友達に関して言えば、5歳というのは全然柔軟で、息子についても特徴として他の子と違うところはあるけれど、そういう子、として受け入れてくれているように思います。
    だけどそれは、保育園の先生方が色々考えて同じように扱ってくださっているからだろうなとも思います。
    本当に感謝しかありません。

  • いずれ必ず?道は分たれます。

    特別支援学校なり作業所なり
    一般とかけ離れた独特な社会。
    異なる感覚で過ごすはずです。

    良し悪しでなく理解でもなく

    あるものを見て受け入れる?

    それが学びや気づきかなぁと。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    そういう意味でも、普通の子供に混ざってなんとか普通にやっていけるのは、いまのうちなのだろうとは思います。
    自分たちや息子に関していえば、特殊な空間での生活が成立してしまうので、それはそれで構わなくて、でも普通の社会の接触は必然的に残るので、そこでどう折り合いをつけるかという話なのでしょう。
    保育園の友達に関していえば、ああいう子がいたけれど、わりと普通にやれていたなあというのをこの先も頭のどこかで覚えてもらえたら、僕等は少しうれしいかなと思っています。

  • 最初の一手の難しさへの応援コメント

    彼らは個性の塊。よく語られる言葉で説明するなら
    「見えている世界が一般的な人間と少しだけ違う」
    想像力? 創造性? ボタンの掛け違い的な部分が多く
    「見通しを持てない」分からない故にパニック?
    良し悪しでなく「楽しい」「やってみたい」など
    手本を示して「周囲の行動を眺めながら理解する」
    教育として長い繰り返しが時間も必要になります。

  • 「相手を理解したいと思う気持ち」
    相手の立場が分からなくても想像する
    それを言葉にしなくても近くで見守る
    それだけでも「支援」かもしれません。