いずれ必ず?道は分たれます。
特別支援学校なり作業所なり
一般とかけ離れた独特な社会。
異なる感覚で過ごすはずです。
良し悪しでなく理解でもなく
あるものを見て受け入れる?
それが学びや気づきかなぁと。
作者からの返信
ありがとうございます。
そういう意味でも、普通の子供に混ざってなんとか普通にやっていけるのは、いまのうちなのだろうとは思います。
自分たちや息子に関していえば、特殊な空間での生活が成立してしまうので、それはそれで構わなくて、でも普通の社会の接触は必然的に残るので、そこでどう折り合いをつけるかという話なのでしょう。
保育園の友達に関していえば、ああいう子がいたけれど、わりと普通にやれていたなあというのをこの先も頭のどこかで覚えてもらえたら、僕等は少しうれしいかなと思っています。
編集済
こんにちは。個人的には臆病だと思います。
もちろん障がい児のせいでと思う親もいらっしゃるでしょう。
しかし友人のお子さんは幼稚園の時にダウン症ではなく自閉症児と幼稚園に通っていたそうですが、行き帰りのバスを含めてすべてその子には専属の先生の補助があり、親御さんはバスに乗るなども含めて一切一緒にいなくて良かったらしいです。(つまり健常児と同じという意味です)そういう環境であったけれど、友人は(自分の子供は)「人に優しくすること、助けること、違いがあることを学べた」と言っていました。そちらの幼稚園は自閉症児だけではなく、ダウン症、保護施設のお子さん、聴力障害のお子さん、視力障害のお子さんも受け入れているとのこと。それについてどなたも文句は言わないし、そればかりか自閉症のお子さんが入園したばかりの頃は、列に並ぶどころか、すぐにパニックになり叫んだりしていたのが、年長さんのおゆうぎ会では彼のパートを一人でがんばって踊れるようになったことに、多くの親御さんが感動して泣いていたと言っていました。(ちなみにその子は、年長さんの頃は専属の先生が付かなくなっても良い状態になったそうです。6歳で言葉もまだというかなり重度の自閉症だったそうですが)
幼稚園や保育園で学ぶ平仮名や運動能力や計算など、個人的には小学校でも十分学べるし、逆にその時期は友人が言ったことのように心を成長させることにも十分意義があると思います。
最後にその幼稚園を卒園した子供はみな優しくて思いやりがあり落ち着いていると一年生の時に先生に言われたと、友人は自慢げに話してました(笑)