エピローグ


 退屈な入院生活が二か月も続いていた。病室はまるで監獄だ。学校すら行かせてもらえなかった。

 医師たちの口ぶりからすると、当分の間はこの生活を続けるようだ。

 神木の言う通り、私は化け物を生み出す要注意人物だから、しばらく監視下に置いておこうという算段なのだろう。

 いい加減、退院させてくれと根を上げ始めた頃。

 当初は取り合う気のない医師たちだったが、突如、条件付きで仮出所を認めると言い出した。

 条件とは、ざっくり言うと、保護観察官の下でのボランティア活動。


 その条件を果たすべく、私はひとり、指定された住所へと足を運んだ。


 そこはやや古びた雑居ビルで、私はこの場所を知っていた。

 ここには彼がいるはずだ。

 何故こんな所に私を呼び出したのか、おっかなびっくりそのビルの最上階へと向かう。


 一つしかないその部屋の扉をノックすると「どうぞー」と能天気な男の声が聞こえてきた。恐る恐る扉を開ける。


 「おや。来ましたか。いらっしゃい」

 書類の積みあがったデスクで頬杖を付きながら気だるそうに紅茶を啜る喪服男。

 忘れるわけがない。神木礼だ。


 「……初めまして。妃崎莉音です」


 私は丁寧に頭を下げた。

 繰り返すが、私は記憶を失ったことになっている。

 この男とは初対面、という設定だ。

 記憶が消えていないとバレてしまったが最後、再び消されてしまうだろうから、ヘマはできない。


 が、そんな私を他所に、神木が気だるい声を上げた。

 「あー、いいですよ、私の前で知らないふりしなくても。全部覚えているでしょう」


 ぎょっと私は目を見開く。

 どういうことだ? はったりか? 私の記憶が消えているかどうか、試しているのだろうか。


 「あ、あの、何を……?」

 「だって私あのとき、記憶消しませんでしたもん」

 「はぁ!?」


 非難の声を上げた私を無視して、神木が説明を始める。


 「概要は医師たちから聞いているでしょう。あの病院で刑期満了を待つか、私の監視の下、この事務所で働くか。

 まぁ、あんなところに閉じ込められて十八歳の青春を終わらせるよりかは、ここに居た方がだんっぜんマシだと思いますけれどね。あ、これ就業規則です」


 神木がデスクに積みあがった書類の山から一枚の紙ぺらを引っ張り出して私に差し出した。

 内容を黙読して、私は眉をひそめる。


 「……何なんですかコレ。『就業規則① 勤務中は高校の制服を着用すること。ただし、靴下は不可』……意味が分かりません」

 「仕方ないでしょう。私は黒いタイツが大っ嫌いなんです。ハイソックスでも構いませんが、もういっそ履かなくてもいいんじゃないかと思って」

 「いや、靴下と仕事になんの関係が……」

 「私のモチベーションに大きく左右します。ねぇ、マユラちゃん?」

 

 名前を呼ばれたマユラが、部屋の奥からひょっこりと顔を覗かせた。

 相変わらず愛らしい童顔。が、少々笑顔が引き攣っている。


 「どさくさに紛れてそんな条件を入れたんですね。先生の人間性を疑います」 

 「何を言っているんです。感謝こそされ非難されるようなことは何一つしていませんよ。何しろ、面倒な保護観察官に立候補してあげたんですから」

 神木は得意げに鼻を鳴らしながら、椅子の上にふんぞり返る。


 「ちなみに、莉音さんをアルバイトとして迎える予定だったのに、財政難だとかなんとか言ってボランティアに変えましたよね」

 「……」

 神木が素知らぬ顔で目を逸らす。冷ややかな視線を送る私とマユラ。


 ふとマユラが私へ、神木に聞こえないくらいのボリュームでこっそりと耳打ちしてきた。

 「先生、あんなこと言ってますけど、莉音さんのことが気がかりだったみたいで。『厚生心理保安省』職員の保護観察付きなら、あの病院から出られる決まりだったので……その……一応あれも先生なりの善意ということで……」

 「だからって、公務員のくせにこんなセクハラ許されるわけ?」

 私は諦め半分で深くため息をつく。


 まぁ、彼らの言う通り、病院の中で終わりの見えない監禁生活を送るよりかは、セクハラ上司に足を晒す方が幾分かマシかもしれない。


 素直に喜べない私を覗き込んだ神木が、ニヤリと笑う。

 「不安ですか? 大丈夫です、私が手取り足取り教えて差し上げますから。JK女子高生の教育係かぁ……これまたそそる響きですねぇ」

 うっとりとしながら変態が言う。


 前言撤回。


 「やっぱり私、病院でおとなしくしています」

 「ああ、待って莉音さん! あの変態は私がどうにかしますから、思い留まってください」

 

 追いすがるマユラを振り切って帰ろうとする私に、神木が思い出したかのように口を開いた。

 

 「そうだ。莉音ちゃんに一つご報告が」

 「……報告?」


 振り返った私に、神木が意地の悪い笑みを投げる。


 「君の大好きな佐原貴臣くんと、大嫌いな山野美香さんは、破局したそうです。嬉しいですか?」


 神木の、挑発的な視線。

 私は一瞬沈黙したあと、素直に答えた。


 「ええ。安心しました」

 「正直ですこと」フフっと神木が含み笑う。


 押し殺すのはもうやめた。正直な気持ちを受け止めたい。

 そうでないと、欝々とした感情を抱えたまま、何一つ解決できないことに気が付いたから。


 「それでいいんですよ」神木がむしろ嬉しそうに答える。

 「嫉妬も憎しみも羨望も、当たり前の感情です。人間が生き延びるために刻まれた本能なのですから。大切なのは、それを受け入れた上で前を向けるか、なのでは」

 神木のその表情は清々しくて。

 今まで目にしたことのない、裏のない言葉に思えた。

 「とはいえ」神木が不意に向き直り、少し真面目な顔をする。

 「君は対外的には記憶喪失少女ということになっているので、佐原貴臣くんとの関係もゼロからのやり直しです」

 

 そうだった。私は貴臣の前でも、記憶を失くした振りをしていなければならないのだ。

 今までの長い歴史を、全て封印して。


 「……かまわない」

 私は胸を張って答えた。どや顔ってやつを、思いっきりぶつけてやる。

 「その方が、今までよりも素直になれそうでしょ?」


 神木がふっと目を伏せる。その唇は綻んでいた。

 「おまけした甲斐がありましたかねぇ」

 それはたぶん笑顔だ。今までの胡散くさい営業スマイルとは違う。

 はにかんだ、ささやかな、本心からの笑み。

 


 「……っ先生! 大変です!」

 突如、マユラが声を上げた。

 デスクの上、パソコンのモニターを凝視しながら、ただならぬ叫びを上げる。

 「本部から緊急要請です! この近くに、葬が現れたとか」


 「仕方ありませんねぇ」

 神木が後ろ髪をくしゃくしゃと掻き混ぜながら面倒くさそうに立ち上がった。

 すかさずマユラが小ぶりのジュラルミンケースを神木へ差し出す。中を開けて小型の銃を取り出すと、スーツのジャケットを翻し、右腰のホルスターへとしまった。


 「さて。初仕事ですよ莉音ちゃん」

 神木が私の頭にぽふんと手を添える。

 「今度は君が、彷徨える心を葬る番です」

 

 出動準備を終えた神木とマユラが、颯爽と事務所の出口へ向かう。

 二人が肩越しに振り返り、視線で私を手招いた。


 「はい!」


 二人の後を追って、私は走り出す。

 


 雑居ビルを飛び出すと、太陽は真南にあって、煌く白光が世界を眩しく照らし出していた。

 もしも今、自分の心を覗くことができたなら、それはきっとこんな風に、目が眩むほどの白なんじゃないかと思う。



 ――悲葬ハートリッパー・終――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悲葬ハートリッパー 伊月ジュイ @izuki_jui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ