9
目が覚めたら、僕は見知らぬ部屋のベッドで横になっていた。
ズキズキとする頭痛に眉をひそめながら、僕は錆びついたブリキ人形のように半身を起こす。視界は霧がかかったように曖昧で、全身がただただ気怠い。胃の深いところに違和感があって、耳栓をしても床から伝わってくるクラブの重低音サウンドのような吐き気が喉元までせり上がってきては、またゆっくりと水位を下げていく。
疲れた。喉が乾く。眠りたい。
それでも僕の体は何かに支配されているかのように、部屋をぐるりと見渡した。
品の良い赤いベルベットの壁紙。ちょっと古いけれど丁寧に維持されている絨毯。椅子や机といった調度品も、なかなかに年季が入っている。
天井には質素なシャンデリアが不安げに揺れていて、朦朧とする僕の視界の中でその灯りはじんわりと明滅を繰り返している。
僕は――いや、ここは、いったい?
最初に思ったのは、僕が泊まっているリッツ・カールトンホテルの医務室なんじゃないか、ということだった。でもそれにしては、あまりにもここは医務室っぽくない。
お恥ずかしい話だけれど、シンガポール・リーグを戦っていた現役選手だった頃、僕は
もともと僕は体が強い方ではない。そして困ったことにストレス耐性も低い。緊張すると途端に食事が喉を通らなくなるし、重要な試合の前日は徹夜で作戦研究してプレッシャーを誤魔化すことも日常茶飯事。飛行機の中ではあれだけ大熟睡できるのに、星が3つも4つもついたホテルのベッドでは眠れない。それが現役時代の僕だった。
……いやまあ、僕は途中からそういう病弱キャラとして人気が急上昇したせいで、マネージャに「試合が終わったらその場でぶっ倒れていいから」みたいな甘やかされ方をしていたってのも、わりとある。マイケルには毎度毎度渋い顔をされたけれど。
ともあれそういう経験もあるので、僕は医務室という空間の特徴をわりとよく知っている。そして僕の脳内にあるいろんな医務室の記憶と、この部屋は、あまりにも一致しなさすぎる。
そうやって呆然としていると、強烈な吐き気と頭痛がこみ上げてきた。
思わずうめき声をあげてベッドに横になったつもりだったが、何をどう間違ったのか僕はベッドから転げ落ちてしまう。床の絨毯は柔らかく、落ちた痛みはほとんど感じなかったが、ぐるぐると視界が回る。
泥の中を這うような思いをしながら、なんとか片手をベッドにかける。それから上体を起こしてベッドの中に這い戻ろうとしたけれど、体がまったくついてこない。
そうやってしばらくもがいていると、ふと部屋の扉が開いた。
反射的に視線が扉の方に吸い寄せられる。
そこには、歳の割に老けた顔をした男が立っていた。
見間違えようもない。
「ナギサ君。無理をしてはダメだ。
君はまだ、寝ていたほうがいい」
彼は落ち着いた声でそう言うと、ベッドと床の狭間で芋虫のようにもがいている僕の額に手を当てた。彼の手はひんやりしていて、熱でぼんやりした僕は思わずその手にすがりつきそうになる。
「熱が上がっている。
解熱剤が効かなかったか……」
ボリスは僕の体を横抱きにすると、軽々と僕を抱え上げ、ベッドの上に下ろした。NEなんていうデスクワークの極みみたいな仕事をしているわりに、ボリスの胸板は厚く、両腕の筋肉もたくましい。そういえば彼の趣味は筋トレだったっけ。
赤ん坊をベビーベッドに寝かしつけるかのように僕をベッドに横たえたボリスは、懐からハンカチを取り出すと僕の額や首筋を拭ってくれた。自分でも気が付かないくらいにベットリと汗をかいていたようで、あっという間にハンカチが重く湿っていくのを感じる。
「君が
だが警告した通り、SRHMDはまだまだ実験段階だ。長時間の利用は想定していないし、君にテストしてもらっている〈Crimson Angels〉もまだしばらくαステータスから抜け出せそうにない。
なんというか……つまり、無理をしないでほしい」
いつもどおりのボリスの説教をぼんやりと聞きながら、僕は吐き気を抑えこむべく深呼吸を繰り返す。
そんなわけで新しいゲームのテスターという仕事は今の僕にとっては理想的な仕事となった。それが人類史上かつてなかったような野心的なゲームともなれば、なおさらだ。
「ボリスさんの〈Crimson Angels〉は……最強のゲームだと――思います。
だからこそ僕ら最強のEPEsは――それと戦わなくちゃ」
そんなことを言いながら、自分の声が頭蓋骨の内側で跳ね返るひどく不快な残響に、顔をしかめる。
「最強、か。
ナギサ君にそこまで褒めてもらえると、ちょっと怖いな」
ボリスは生真面目な顔をピクリとも崩さない。でも僕は彼の口元がほんの少し笑みを浮かべたのを見逃さなかった。僕に手放しで褒めちぎられるのは、それなりに嬉しいらしい。
だから僕はもっとボリスに喜んで欲しくて、強烈に痛む頭から絞り出すように言葉を発する。
「まるで――魔法です。
思いつく限りの……技術を駆使しても――体験が破綻しない。
これなら本気で――オープンワールドを名乗って……いいのでは?」
大聖堂のど真ん中でパイプオルガンが不協和音を奏でるような、不快感。
「オープンワールドか……。
郭CEOはそれをウリにしたいと言ってる。
俺としては不本意だがね」
吐き気と頭痛が止まらない。
「いえ――これは、オープンワールドを、名乗るべき……です。
そう名乗っても、開発関係者やテスターが――恥をかくようなことには……ならないと、思い――ます」
脳が焼けそうなほど熱い。
「それくらい、これは――、
視界が回る。意識が遠のきそうになる。
「ナギサ君。安心しなさい。
アミタ・Aは、ここには来れない」
ボリスの言葉に、僕は深くため息をつく。
口から漏れる息が、体全体の熱っぽさを運び去ってくれる。
そんな妄想をしながら、長く、長く、息を吐く。
「アミタは、本質的には君を救いなどしない。
つまり、彼女では、君に勝てない。
それは君も理解しているんだろう?」
「俺はアミタと違って、君が望むものそのものを用意する、などとは言わない。
だが俺は、君が望むものに極めて近いものを用意できる。
そしてそれは、最強の君でなければ成し遂げられないものだ」
「
we can't decide what the death is, based on the Disconnection."
何もかもが、
「人間がそう信じたいほど、
I can say nothing about this "question", like the-most-famous Dane in the world.
だから I asked him a question.
「あなたは――
ボリスはいかめしい顔を崩すことなく、でも口の片端でほんの少しだけ笑ってみせる。
「君は疲れすぎている、ナギサ君。
精神的消耗を回復させたいなら、自然生成された食物の摂取が一番だ」
そう言いながら、彼は僕の枕元にプラスチックのパッケージを置いた。皮がむかれ一口大に刻まれたリンゴがチマチマとつめ込まれた、コンビニでも売っている類のカットフルーツ。
僕が少し変色しつつあるカットリンゴを呆然と見つめていると、ボリスは踵を返した。そして何事もなかったかのように、彼は部屋を出ていこうとする。
「行っちゃダメだ――ボリス……」
そんな言葉を絞り出した僕の意識は、暖かな闇へと沈んでいった。
代替現実 ふじやま @miscforsale
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