3-10 対峙
王都テオドールの地下通路から姿を現した聖女エーティアと、『本物の勇者』ノエルの二人は、即座に参戦したルーファとは異なり、まずは戦況を把握しているであろう二人の『人族同盟』の将の元へとやって来ていた。
「――なるほど。どうにか膠着状態を維持できている、といったところなのですね」
お世辞にも楽観視できるような状況ではないが、それでもエーティアはカーマインから齎された状況報告に小さく安堵の溜息を漏らした。
前線で指揮を執っていた、ここテオギア王国の将軍の討死により、急遽指揮権を委託される形となったカーマインとブルーノ。元エルセラバルド帝国の大将軍であるブルーノは自ら補佐する立場に回り、実質的にはカーマインが代表する形で落ち着き始めたものの、状況は芳しくはなかった。
幸い『勇者の末裔』と呼ばれる者や冒険者、そして兵達の活躍によって魔族は討ち倒されている。全ての民を守り切る事はできてはいないものの、それでもどうにか壊滅寸前のところで持ち堪えられている今の状況は、奇しくも突如として空襲してきた黒竜――エイヴァンのおかげとも言えた。
「町の西部に現れた黒竜によって、西部地域は壊滅状態になりましたが、幸い多くの魔物達も巻き添えを喰らったようです。突如として現れた何者か――いえ、あなた方が連れて来てくださった『真なる勇者』殿と黒竜は、現在王都近郊の地で戦闘中のようです」
「分かりました。では、引き続き怪我人の治療と王都内の掃討を優先しましょう」
「黒竜との戦いに援軍は……?」
カーマインの問いかけはもっともであったが、しかしエーティアは左右に頭を振りつつ「不要です」と短く告げた。
「お伽噺にも出てきた災厄の象徴とも言える黒竜と、『真なる勇者』様の戦いは常人にどうこうできるものではありません。いたずらに被害を増やすどころか、いっそ足を引っ張りかねません」
身も蓋もない言い方ではあるが、エーティアの言葉は正しい。
アールスハイド神聖国の精鋭ですら敵わない『本物の勇者』。その一人であるノエルですら、一切手も足も出ず、手加減に手加減を加えてあしらえるのがルーファの実力だ。同時に、黒竜と言えば破滅の象徴、絶望の権化のような存在ですらある。
ルーファと黒竜の戦いに参加できる程の実力者と言えば、精々がノエルでギリギリといったところだろう、というのがエーティアの見立てだ。
そうした見解を口にするエーティアに対し、カーマインとブルーノの二人もまた軍人として思うところがない訳ではないが、くだらない自尊心に折り合いをつけられる程度には魔王軍の幹部の実力は理解できていた。
二人が前線に飛ばされた理由となった、リッツバード王国とエルセラバルド帝国との戦争。その際、エーティアと共にいる『本物の勇者』が、両軍をかき回す程の力を見せつけ、更にはそんな『本物の勇者』ですら、まるで赤子の手を撚るかのようにあっさりと殺されかけていた光景は今でも忘れられない。
「黒竜との戦いはルーファ様にお任せするしかありません。それが最善にして、同時に唯一の手立てでしょう」
カーマインとブルーノは軍人だ。確かに魔王軍の強さが尋常ではないが、しかし自分達では何もできないと言われて「はい、そうですか」と素直に飲み込めるかはずもない。
しかし、魔王軍の幹部と思しき『
反論こそ口にしないものの、それでも二人の悔しさを握り締めた拳が雄弁に語っているのを、エーティアは気が付いていた。
「――……私達には黒竜を打倒する力はないかもしれません。ですが、民を守る為の力に必要なのは、『勇者』だけではありません」
「……それは……」
「あの方が剣であるとするのなら、剣と共に敵の前に立ち、剣を支え守るべき盾であるのが私の役目。そして民を――守るべき肉体を守るべきあなた方は、外敵の脅威を前にその身を挺して守り続ける鎧です」
「聖女殿……」
「たとえ敵を討つ刃がなくとも、私達にはできる事がありますわ。――違いますか?」
まっすぐ己を見つめるエーティアの瞳に込められた強い意思を前に、カーマインとブルーノは思わず息を呑んだ。
――これが、『聖女』と呼ばれる少女。
まだうら若い十代中盤といった年齢であろう少女だ。己の在り方など不安定である方が自然であるというのに、目の前の少女は全く違う。
全てを懸けるだけの信念を。そして、成すべき事だけを見据える覚悟を確かに抱いているようだ、と二人は悟った。
「……畏まりました。我らはあくまでも防衛に専念致しましょう」
「ありがとうございます。まずは怪我人の治療を。私も手伝います」
「ありがたい。では、怪我人が収容されている区画へ案内させましょう」
アールスハイド神聖国の『聖女』と言えば、治癒の魔法の使い手として最高峰の実力者が得られる称号でもある。現状、魔物を率いる魔族との戦いはまだまだ終わっておらず、これからも続く事を考えれば、戦線に復帰できる兵というのは必要不可欠でもある。
もちろん、精神を病んでしまっていたり、大量の血を流した兵が治癒の魔法によって回復したところで即座に動けないのは、カーマインもブルーノも重々承知している。それでも、『聖女』がいると分かれば士気も上がりやすい。
政治的な立場から考えれば“借り”を作る事になりかねないとは言え、この状況、前線を預かる立場であるカーマインとブルーノが、今更そのような外聞を気にするつもりにはなれなかった。手を貸してもらえると言うのなら、素直に応じる以外の答えは持ち合わせていない。
そうした背景を理解した上で提案したエーティアではあるが、一方でノエルは遠く――テオドールの外にある魔力の塊を感じ取っているのか、一切会話には興味や反応を示そうともしない。
ちらりとノエルへと視線を向けたエーティアは、ノエルの変化に気が付き、同時に「やはりこうなってしまったか」と思うと、一度瞑目した。
カーマインやブルーノにとっても未だ記憶に新しい、イレイアらと『本物の勇者』の戦い。あの時のノエルには戦場であるという緊迫感や緊張感といったものは一切存在していなかったが、今回は違う。
ノエルの表情は明らかに強張っており、カタカタと僅かに身体を震わせていた。
エーティアは目を開けると、虚空を見つめて動こうともしないノエルの視界に入り込むように歩み寄り、そっと震えるノエルの手を取った。
「ノエルさん、聞いてくださいませ」
しっかりと手を握られ、ようやくノエルが我に返ったのか目に光が戻る。
そんな僅かな変化に気が付いたエーティアは、小さく微笑みを浮かべてから改めて続けた。
「あなたはどうしたいのです?」
「え……?」
「ルーファ様はあなたに、私と町の人々を守るように仰せになった。けれど、いくらあの御方でも、相手がかの黒竜と言うのなら、一筋縄ではいかない可能性もあります」
テオドール郊外から感じられる強大過ぎる力の塊であるエイヴァンの存在を感じ取っていたエーティアは、敢えてノエルには最悪の可能性を示唆する形で続けた。
「魔王軍の幹部クラスともなれば、その力は比にはならないでしょう。それを体感したあなただからこそ、厳しい戦いになるのは誰よりも理解しているはず」
ですが――とエーティアは続けた。
「――そのままで、いいのですか?」
「……っ」
「これから先も、私達は厳しい戦いに身を置く事になります。その度に、ルーファ様の後方で守られるだけで、満足できるのですか?」
「……そんなの……っ! そんなの嫌だよっ! でも……ッ!」
今でも眠る度に、ノエルは思い出す。
圧倒的な力で屠られる、姉のように慕っていた二人が殺される瞬間を。圧倒的な力を前に何もできなかったという現実。悔しさを通り越して、ただただ絶望したあの瞬間を。
――どうにかしたい、とはノエルも思う。
だが、再び剣を握れるようになったとは言え、心に刻まれた記憶はそう簡単に払拭できるものではないのだ。
エーティアとて、そうしたノエルの傷を理解している。
それでも、ルーファと共に戦うと決めた以上、いつかは乗り越えなくてはならないものだ。 急いで乗り越える必要はないかもしれないが、それでもノエルがいずれは向き合うべき問題だと思うからこそ、敢えて今、現実を突き付けたのである。
俯いたまま答えられないノエルの頭を撫でて、エーティアは小さな声で謝罪を口にした。
「ごめんなさい。でも、憶えておいてほしいのです。いずれ向かい合わなくてはならない問題だという事を」
小さく頷いたノエルに微笑み、エーティアは改めて口を開く。
「ノエルさん、ルーファさんとの約束を果たしましょう」
「……うん」
短く答え、ルーファを追いかけるように出ていくノエル。彼女を見送るなり、エーティアもまたカーマインの部下に連れられる形で部屋を後にした。
「……やれやれ。あのような年端のいかない、子供のような少女達ですら、己の歩むべき道を見据えているとはな」
「ならば、先人である儂らが立ち止まっている場合ではないであろうな」
それぞれにできる事を最優先にして、迅速に解決に乗り出す。
ただそれだけでも、不利な状況に置かれ焦燥に駆られていたはずのカーマインとブルーノにとってみれば、ようやく進むべき道が見えたような気がした。
一方、王都テオドール近郊に広がる崖に囲まれた平原。
強烈な一撃を見舞われる形となった黒竜エイヴァンは、まるで先程の一撃など何事もなかったかのように悠然とその地に佇んだまま、襲撃してきた張本人であるルーファを待ち構えていた。
竜種の代名詞とも言えるブレスによる攻撃を結界で弾き、かつ己の巨躯を吹き飛ばしてみせた何者か。明らかに普通であるとは言えない存在である事は間違いないが、そんな存在との戦いを前にしながらも、エイヴァンは一切苛立ちや荒ぶるような気配もなく、凪の海を思わせる程に静かに待ちの姿勢を崩そうとはしない。
やがて、王都から飛んできた存在――ルーファに気が付き、紅玉のような瞳を向けた。
《問おう。貴様が新たに現れた勇者――否、神の使徒であるな?》
竜の姿を取るエイヴァンから向けられた思念に、ルーファは肩を竦めてみせた。
「そこまで知っているとはね。さすがに優秀な諜報部隊を人族側に紛れさせているだけの事はあるね」
夢魔族を通じて人族に宣戦布告してみせたアゼルを思えば、そうした情報を握られているのは当然と言えば当然だ。もっとも、ルーファの場合、アゼルを通じて舞台裏とも言える場所を知っていたからこそ導き出される答えではあるのだが。
「正直に言えば、理性あるキミ達とは戦うつもりはないんだ。ボクとしては交渉したい」
《ほう。交渉、だと?》
「そうだね。無益な殺し合いには正直言って興味はないんだ。魔族であるキミ達を殺さなきゃいけない、なんて事も考えていない」
《……神の使徒にとって、我々魔族は異物であろう。なのに、何故そのような事を?》
それはエイヴァンにとっても純粋な疑問であった。
世界の『歪み』から生み出された魔王ジヴォーグと魔族達は、世界にとっての異物でしかない。それはかつての戦いの中でも十分に分かりきった事であり、神々にとってみれば魔族とは世界に存在する事すら許容されていない存在だとまでされている。
だと言うのに、神の使徒としてやってきた新たな勇者であるルーファが、そのような言葉を口にするのはエイヴァンにとっても意外であった。
「キミ達には理性がある。そして今、形はどうであれアゼル――魔王の下に一つの国を形成している。なら、どちらかが全滅するまで殺し合う必要なんてないんじゃないかってね。ボクは確かに神の使徒であるけれど、何もキミ達を討ち滅ぼす為にやって来た訳じゃないんだ。殺し合わなくて済むのなら、それに越した事はないんだよ」
その言葉はエイヴァンにとっても予想外なものであった。
《……陛下を止める為にやって来た、と?》
「その通りだよ、黒竜。いや、アゼルが招集した魔王軍の幹部の一人、エイヴァン」
己の名まで口にされて、エイヴァンは目を丸くした。
アゼルを通して魔王軍の内部を知るルーファにとってみれば、知っているのも当然だ。しかし、エイヴァンにしてみれば奇妙でしかない。エイヴァンの名を知る者は人族にはいないはずであり、絶望の象徴とさえ呼ばれる黒竜が会話できるという事でさえ、人族側には知られていないはずなのだから。
しかし、相手が神であると言うのなら話は別だ。
世界の管理者とも呼べる存在がどのように情報を得ているのかはともかく、やはり目の前の神の使徒――ルーファは人族や勇者といった括りで考えるべきではないのだろうと考えを改めつつ、エイヴァンはルーファを睨めつけた。
《――我らに交渉するつもりなどない》
「……やめた方がいいよ。『歪み』から生まれたジヴォーグと同じキミ達じゃ、ボクにはどう足掻いても勝てない」
決して見下している訳ではなく、純然たる事実としてルーファは告げていた。
勇者に与えられる『加護』とは、神々にとってみれば『歪み』を正す為の力。魔族に対する“修正力”とでも言うべき代物だ。それを扱う事ができるルーファにとってみれば、負けるはずのない戦いでしかないのだ。
しかし――エイヴァンは止まろうとはしなかった。
《クッ、ハハハッ! 面白いッ! ならば試してみるが良いッ!》
大きく翼を広げたエイヴァンの動きを皮切りに、戦いの火蓋が切って落とされた。
魔王の称号 白神 怜司 @rakuyou1214
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