3-9 絶望と希望

 心臓を喰らう度に力を増すという魔剣リジルを操る『勇者の末裔』、アレン。彼の実力は王都テオドールを攻める魔族達にとってみれば、規格外とも言える程度には厄介な存在であった。


 勇者が持つ『勇者の加護』。

 触れるだけで身体を焼かれ、存在を消滅しかねないという、魔族にとっては忌々しい力に抗う事ができる実力者は、魔王軍の中でも幹部クラス以上。此度の人族に対する攻撃に参加している魔族達とは異なり、本当の意味で魔族の精鋭とも呼べる者達しかいない。

 まして、今のアレンは魔大陸に攻め込んできた頃のそれとは全く異なる。

 当時のアレンが振るっていた正統派とも言える剣技は生き汚く研磨され、鋭く研ぎ澄まされ、ただただ敵を殺す事に特化した代物に変わった。奇しくも魔王アゼルとの邂逅と屈辱により、アレンは一皮剥けた強い剣士として成長したのだ。

 そこに加わったのが、心臓喰らいの魔剣リジル。心臓を喰らう度に強化されるという、あまりにも危険極まりない魔剣を手に入れたアレンの力を前に、魔物達の攻勢は停滞し、必然的に戦線もまた押し戻されつつあった。


 そうした城下の様子を知らぬ、テオドールの地下通路を守る衛兵達。

 先程まで激しく怒号と悲鳴が空気を震わせていたというのに、すっかり鳴りを潜め始めた事に不安を覚えつつ佇む三人の衛兵であったが、不意に地下通路の奥から聞こえてきた足音に慌てて振り返った。


「……来るぞ。何者だ!」


 他の二人にも声をかけ、男が睨みつける暗がり。その中から姿を見せた少女――ルーファの姿に、三人は目を丸くした。

 胸当てと腰に提げた細剣の収められた鞘から見れば戦いに慣れてこそいるようだが、見た目からは戦いに備えているようにも見えない服装。もっとも、魔物との戦いで鎧を身に着けたところで、圧倒的な膂力の前では意味を成さないのは事実であり、回避に重きを置くのが鉄則とも言えるのは事実だが。


「……女?」


「アールスハイド神聖国の勇者、と言えば伝わるかな?」


「……勇者、だと? たった一人でやって来たというのか?」


「戦いの音が激しかったからね。馬車から飛び降りて、そのまま走ってきたんだ。もう少ししたら聖女も来るよ」


 馬車を飛び降りて、走ってきた。

 そんな発言に訝しげな視線を送る男達であったが――そんな彼らへと、ルーファとは反対側に位置する王城内の入り口側から何者かの声が聞こえてきた。


「――下がれ」


「た、隊長……!?」


「アールスハイドより聞いておる。そちらの御方は勇者様だ」


「この少女が……――いえ、失礼致しました。どうぞ」


 確かにアールスハイド神聖国に新たな勇者が現れたという噂は前線にも流れてきているが、それがまだ年端のいかぬ少女であるとまでは聞いていなかった。

 男が納得して構えた槍を立てたところで、ルーファは隊長と呼ばれていた男へと歩み寄っていく。


「アールスハイド神聖国の『真なる勇者』、ルーファ殿とお見受けしたが」


「『真なる勇者』とかいう肩書きについてはボクが関与するところじゃないけれど、そうだね。間違ってはいないよ。さっきもこの人達には言ったけど、もう少しすれば聖女も来るよ」


「なるほど。では、聖女の案内は部下に任せましょう。現状の報告がてら案内致します。こちらへ」


 地下通路の繋がる先は、テオドールの中央に位置する王城の一角に佇む倉庫を思わせる建物の中であった。かつては隠し階段を設け、一見するだけでは地下通路の存在を隠していたであろう建物内だが、荷物の搬入ができるように内部を工事していた。


 ――なるほど、確かに賢い選択だ。

 歩きながら周囲の様子を窺っていたルーファは、王族の避難経路を荷の搬入口として転用したという選択に対し、改めて感心していた。


 要塞と呼ぶのが相応しいテオドールは陸の孤島といった様相を呈している。

 戦争で補給路を断たれようものなら、王族のみならず町に住む民の命すらも当然ながら危険に晒される。地下通路を広げれば民の避難にも使える上に、新たな王族専用の抜け道が設けられていようとも、追手を分散しやすくもなるのだから。


 為政者ならばそうした背景も計算の内に含まれているのだろう。

 故に、ルーファは賢い選択だと評している。


 そうした評価を下しつつも、道筋を頭の中に叩き込みつつ王城の敷地内を歩き、そのまま王城の作戦本部が設けられた場所へと進もうとしていた男とルーファであったが、何やら兵たちが慌ただしく駆け回っているのが見えた。


「何事だ!」


「お、オルヴァ隊長! リンド将軍閣下が討死しました!」


「な……ッ!? なんて事だ……。防衛軍の指揮はどうなっている?」


「はっ! 現在、リッツバード王国軍のカーマイン卿、それにエルセラバルド帝国軍のブルーノ卿が部隊を再編しつつ防衛に当たっております!」


 ルーファを連れていた男――オルヴァに向けられた報告を耳にして、ルーファは二人の姿を思い出した。アゼルがリッツバード王国とエルセラバルド帝国との争いに介入した際に、お互いに敵同士の立場で睨み合っていたという事はルーファも知っていた。

 ノエルらがアゼルに敗走したかの戦争の結果としては、お互いに失態と言っても過言ではない。戦果も何も、アゼルに邪魔されたせいでお互いに痛い目に遭った両国の将は、結果として前線に飛ばされてしまったのだ。

 いくらアゼルが――否、魔王が現れ、『人族同盟』が一丸となるきっかけこそ与えられたものの、まつりごとの世界ではここぞとばかりに揚げ足を取るのも珍しくはない。

 そうした背景に当たりをつけつつ、ルーファは自分を引き連れて歩いていた男――オルヴァへと声をかける。


「どうやら、悠長に歩いている場合ではないみたいだね。ボクは行かせてもらうよ。一番危ない所はどこだい?」


「えっと……、隊長……? そちらのお嬢様は……?」


「アールスハイドの勇者、ルーファ殿だ。聖女殿らと共にお越しくださったようだ」


「おぉ……、御助力感謝致します! 現在は『勇者の末裔』の皆様の奮闘もあって、どうにか市街地で戦闘を食い止められております! ですが、魔族どもはどうやらまとまって行動していないようでして……」


 そもそもが独立独歩の風潮が漂う魔族という種だ。さらにルーファらは知らないが、そんな中でも我が強い者達ばかりが前線を任されている。そういった者達にとっては、当然ながら団体行動よりもいっそ好き勝手に暴れる方が自然と言える。

 魔族らしいと言えば魔族らしい行動ではあるのだが、ルーファにとっては気にかかる行動であった。


 ――やはり、

 魔族の動きに対するルーファの評価は、その一言に尽きる。


 確かに魔族は個の力が強く、人族にとっては驚異的とも言える。しかし、弱まってこそいるとは言え、加護を持つ『勇者』の力に太刀打ちできる程の実力ある魔族など、限られているのだ。

 イレギュラーな存在である幹部クラスの者達はともかく、一般的な魔族は『歪み』の力で生み出された存在は、加護に抗う術を持っていないとも言える。


 ――では、何故? 果たしてそのような愚行を、無為に戦力を削ぐような真似を、アゼルが行うのだろうか。

 当然ながら、ルーファが導き出した答えは否である。


 ともあれ、現状を打破するのが最優先だろうと思考を切り替える。

 戦力が分散されているのは厄介ではあるが、ルーファにとっては有象無象が分散しているに過ぎないのだから。


「――じゃあ、行ってくるよ」


 短く言葉を残して、ルーファは王城の中庭に面した通路を駆け出し、城壁を一足飛びに飛び越えた。


 ――これは……酷い光景だ……。

 城壁を飛び越えたルーファの目に映ったのは、本来ならば雑多ながらに美しいテオドールの町並みであった。

 戦禍により崩れた家屋、あちこちから風に乗って漂ってくる焼けた匂いと、死臭。常人ならば唖然としかねないような光景が広がっていた。


 魔族側の攻勢は一段落しているとは言え、魔物達はただただ全てを蹂躙しようと町の奥へと足を進めている。孤立した魔物を囲む兵達が数の有利を活かして魔物を討伐している姿も見えるが、一般人が魔物に追われているというような危機的状況はすでに過ぎたのだろう。

 死体を貪る魔物達に顔を顰めつつも、ルーファは屋根から屋根へと飛び移りつつ戦場と化す町の状況を見極めるべく駆けていく。


「……なるほど」


 少しばかり奇妙な気配を漂わせている存在――魔剣の影響下にあるアレンが魔族を討ち倒したおかげか、町の東部での混乱は落ち着いているようであった。

 アレンがアゼルによって辛酸を嘗める結果となったのは知っていたが、魔剣という厄介な代物を手に入れている事までは知らなかったが、ともあれ東部を任せても構わないだろうと判断する。


 一際高い建物を見つけて、ルーファはアレンとは逆側――町の西部の様子を窺った。


 町の西部は比較的多くの冒険者が戦っているのか、戦線は維持されているようであった。この調子ならば、新たな魔族さえ登場しなければ押し返せるのも時間の問題だろう。『勇者の末裔』を中心に魔物達と戦う冒険者達の力も伊達ではないらしく、自分が介入する必要はないと判断したルーファは、ならばと町の防壁の向こう側――魔族側の本陣に攻め入り、根本から断つという選択肢を選ぶ事にした。


 しかし――次の瞬間、ルーファは目を大きく見開くなり、西側を任せるべきだと判断したはずの冒険者達へと向かって疾駆した。

 屋根から屋根へ、さながら打ち出された矢のように鋭く加速したルーファは、『勇者の末裔』率いる冒険者達の上空へと飛び出すなり、己の力を開放し、周囲を守るような半透明の光の膜を展開した。


 刹那――ルーファの生み出した光の膜に、凄まじい音を奏でながら、上空から漆黒の奔流が襲いかかる。


 あまりにも唐突過ぎる上空でのやり取りに唖然としつつも、ルーファに守られる形となった『勇者の末裔』や、冒険者達が慌てて顔をあげ――そのまま目を大きく見開き、身体を震わせた。


「……嘘、だろ……」


 その呟きを口にしたのは誰だったか。それは定かではないが、少なくともその絞り出すように紡がれた絶望は、その場にいた誰もの心情を表していた。


 彼らが見上げた先――上空に佇んでいたのは、あまりにも巨大な黒き竜の姿であった。

 かなり高度はあるのだろうが、それでも一目見るだけでその巨大さが分かる程の圧倒的な質量。つい先程放たれたのは、ただの挨拶代わりとでも言わんばかりに、巨躯の周囲には濃密なあまり可視化した魔力が、まるで雷のようにバチバチと迸っている。


 ――あれには、勝てない。

 戦いに身を置く者達だからこそ、その存在の持つ圧倒的な力の片鱗に気付けた――否、気付かされてしまった、と言うべきだろう。


 死を体現するような、全てを飲み込みかねない黒い巨躯を持つ竜。

 それはかつての英雄であった初代勇者の物語でも何度も描かれてきた、絶望の権化。国一つを一晩で更地に変えるとさえされている、魔王軍が擁する最強戦力として有名だ。

 もっとも、空で悠然と佇む黒竜――エイヴァンに言わせてみれば、自分など幹部の中でも下から数えた方が早いだろうと自覚しているが。


 ともあれ、そんな悪夢の存在が姿を見せたのだ。

 幸いにして先程の一撃の影響か、町に侵入してきた魔物達すら町もろとも消滅させられる事になったおかげか、唖然とする余裕は僅かにあった。


 だが、彼らが目を疑う事になるのは、何も黒竜の突然の登場ばかりではなかった。

 ドン、と空気が弾けるような音が聞こえたかと思えば、何かが――ルーファが黒竜に突進し、町の外へと吹き飛ばしてみせたのだ。


「アレの相手はボクがする。キミ達は邪魔にしかならないから、ついて来なくていい」


 あんまりな物言いではあったが、事実空で滞空したままくるりと振り返ったルーファの言葉には、誰も反論できなかった。

 今更ながらに、先程の一撃でどうして自分達が死なずに済んだのかを理解したのだろう。請われた人形よろしく上下に頭を振る冒険者達を一瞥して、ルーファは吹き飛ばした黒竜を追いかけるように虚空を蹴り、再び矢のように町の外へと躍り出た。


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