3-8 魔剣リジル

 テオギア王国王都テオドールでは今、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図とも言えるような光景が広がっていた。防壁を破って入ってきた魔物の軍勢が逃げ惑う人々を襲い、次々に屍で道を作るかのように安全であった町の中へと徐々に侵食していく。

 聞こえてくる叫び声に恐怖しながら隠れる子供、大事な家族を襲われて叫びながら立ち向かう者、子を庇う親でさえも無慈悲に魔物達は殺しにかかる。

 魔物達にとってみれば人族は排除すべき対象だ。生かす必要も、辱める意味すらもない殺すべき相手としてしか認識していない。当然ながら、そこに慈悲などない。


 そうしてまた一人――女性へと飛びかかろうとしていた魔物が、突如として視界の隅から現れた何者かによって吹き飛ばされた。地面を滑るように吹き飛ばされ、建物の外壁に叩きつけられた魔物が顔をあげる。

 そこに立っていたのは、一人の若い男であった。


「――死ね」


 たった一言、無感情に吐き捨てるように向けられた言葉と共に振り下ろされた剣が、魔物の身体を縦に両断した。


「大丈夫ですか?」


「あ……ありがとう、ございます……」


 自分を助けてくれた命の恩人。戦いに明け暮れていたのか、裾の敗れた外套を揺らしながら佇む、柔和な笑みを浮かべて振り返った男。にも拘らず、女は男の浮かべている笑みに、どこか危険な――狂気を孕んでいるように思えてならなかった。


 聞こえてくるのは叫び声。

 見渡せば人であったものが転がっているような場所にありながら、柔和な笑みを浮かべてみせる。緊張している様子もなければ、切迫する状況に特に何かを感じているようにも見えない、自然体で振る舞っているのだ。状況に対して、あまりにも不似合いな存在である。


「逃げた方がいいですよ。ここから先はもっと危険な戦いになりますから」


「あ、は、はい……!」


 いっそ自分からも逃げるように駆け出していく女を見送って、剣を手に持っていた男――『勇者の末裔』であるアレンはゆっくりと魔物達へと振り返った。


「……ふ、ふふふ……」


 小さな笑みを浮かべてゆらりと身体を動かしたかと思えば、アレンは上体を倒して一瞬で加速――前方にいた魔物を切り裂き、さらに新たな獲物を求めて視界に入る魔物達を斬り刻んでいく。


「あははははッ! ほらぁッ、どうしたッ! まだまだ僕は満たされない! さぁ、かかってきなよッ!」


 アゼルとの戦いに敗れ、旧レアルノ王国からテオギア王国までやって来ていたアレン。一時期はやつれ、狂人そのものといった様相を呈していたアレンも、今では当時の好青年らしい見た目を取り戻してはいる。


 しかし――それはあくまでも表向きの姿でしかなかった。


 魔物との戦いが激化していると聞けば殺す為だけにその場所へと赴き、火事場泥棒よろしく悪事を働こうとする人族さえも殺しながら、ただただ戦場を練り歩く。幽鬼のようにふらりと戦場に現れては次々と魔物を殺しながら哄笑をあげるアレンに、もはやかつての面影は容姿以外には残っていなかった。


「僕の“敵”は僕が殺す。――さあ、さあさあさあッ! もっとだ! もっと殺させておくれよ!」


 勇者の加護を身に纏うアレンにとってみれば、それが幾らアゼルにとってみれば微弱な代物であるとは云え、魔物達には非常に有効な防御となる。だからこそ、紙一重、まさにギリギリの回避行動を心がけながら、真っ直ぐ最短距離で剣を振るう。

 綺麗さも華麗さもかなぐり捨て、ただただ“敵を殺す”という一点を突き詰めるように戦場を渡り歩いてきたアレンの一撃は、かつてのアレンとは比べ物にならない程に鋭く、疾いものへと昇華されていた。


 哄笑をあげているとは言え、次々に魔物を斃すアレンに助けを求めてやって来る者達も多い。そうして人の流れ、魔物の侵食が停滞している実情に気が付いたのだろう。

 アレンの目の前には、黒い肌に坊主頭、耳の尖った魔族が降り立った。


「……貴様、勇者カ」


 どこか片言にも聞こえる短い言葉に、アレンはそちらを見やる。

 魔族の中でもゾルディアと同じ悪魔族。もっとも、中位魔族であるこの魔族とゾルディアでは知恵も実力も雲泥の差があるが、人族にとってみれば驚異的な実力者である。


 そうした背景は知らずとも、アレンは目の前へとやってきた新たな――否、な獲物を前に獰猛な笑みを浮かべた。


「……勇者、ね……。確かに僕は『勇者の末裔』だよ」


「――ナラバ、死ネ」


 先程までの魔物とは比べ物にならない、素早く重い、伸ばした爪を振るう一撃。

 しかしアレンはそんな一撃をあっさりと剣で捉え、にやりと笑みを浮かべた。


「死ね……? ――死ぬのはお前だよ、魔族」


 アレンの身体からは加護による金色の淡い光が放たれ、同時にアレンが構えた剣の刀身が、禍々しさすら思わせる紫色に輝き始めた。

 魔族の目がみるみる見開かれ、後方へと跳んでアレンを睨みつけた。


「……魔剣カ」


「あぁ、そうだよ。魔剣リジル。心臓を喰らう度に力を増す、災いの魔剣だ」


 手に入れたのは幸運か、はたまた運命であったのか。


 元々は大手の商会が偶然にもリジルを手に入れ、それを王都で開かれるオークションに流す予定であったのだが、アゼルによってレアルノ王国内は混乱に陥り、暴徒らによって金目のものを持つ商会が襲われた。

 その際、皮肉にも暴徒であった一人がリジルを用いて人を殺し、封印され眠っていたリジルの覚醒を促す事となってしまったのだ。

 以来、そのまま文字通りに人を喰らおうと、所有者を乗っ取っていたのである。

 ちょうどその頃、旧レアルノ王国内を渡り歩いているアレンがその暴徒ら――盗賊集団を殲滅した際に手に入れたのが、魔剣リジルだった。


「素晴らしい剣だよ、これは。悪人は殺すべきだ。そういうゴミを殺せば魔剣リジルの力になり、それは僕の力になってくれる。相手が強ければ強い程、リジルは僕の力になってくれる」


 アレンは勇者と呼ばれるに相応しい、どこまでも甘く優しく、それでいて真っ直ぐな青年だった。困っている人がいれば己の利益を二の次にしてでも助けようと動いては、損な性格だと周囲から揶揄されようとも笑っていられる程度に、優しかった。

 しかし、魔王アゼルはそんなアレンの心を砕いた。

 あと少しで届くような戦いですらない、ただただ徹底的に、一方的に。


「――魔王アゼル。アイツには感謝しているんだ。確かに僕は『勇者』足り得ない程度の覚悟しかなかった。汚名を雪ぎ、周囲から揶揄されないようにと必死だった――いや、必死になったでいた僕の目を醒まさせてくれたからね」


 魔剣リジルを振るい、アレンは微笑みを湛えたまま続けた。


「圧倒的に足りなかった力も覚悟も、それらを得る為に何が必要なのか――それを教えてくれたのは魔王だった。だから、僕がと決めたのは必然だったんだ。自分の道を進む為には手段を選ぶつもりもない、省みるつもりもない。ただただ強さを求め、“悪”を斬ろう。そう決めた僕にとって、この魔剣リジルは実に相応しい存在だった。どうしようもない、救いようのないクズでさえも僕の力になってくれるんだから、きっと本望だろうさ」


 笑みを浮かべながら滔々と語るアレンを見ながら、魔族は己の背を走った悪寒に気が付いた。目の前にいる人族は有象無象のそれとは違うのだと、本能が警鐘を鳴らす。

 甘く見れば、痛い目に遭うのは己の方だと認識を改めた魔族が動き出すより早く、アレンは続きの言葉を紡いだ。


「――さあ。キミも僕に、リジルに心臓を喰われるといい。糧となる栄誉をあげよう」


 ――――それは、ほんの一瞬の出来事だった。


 ゆらりと身体を動かしたかと思えば、ほんの一瞬――それこそ瞬きをした次の瞬間には、魔族の視界からアレンの姿はかき消えていた。

 代わりに襲いかかる熱と衝撃。

 魔族がゆっくりと視線を落とせば、そこには禍々しい紫色の光を宿した刀身が、自らの胸から


「……ガ……、アァ……」


「――喰らえ、リジル」


 刀身の光が、アレンの言葉に呼応する。

 心臓を貫いたリジルがあっという間に魔族の身体から、力という力を全て吸い上げていく。刀身を掴んで無理矢理引き抜く事もできず、かと言って振り返る事すらできないままに魔族が崩折れる。

 そうして倒れた魔族の身体は、骨と皮しか残っていなかった。

 その光景は魔剣リジルによって心臓を喰われた者に訪れる、共通した最期。血肉ですら力の一部としてリジルが喰らってしまっているような、そんな姿だけが残るのだ。


 魔剣を通して流れ込んでくる力の脈動に、アレンの笑みが深まっていく。


「――いいね、魔族。やっぱり力がある者を喰らうのは、一番いい」


 恍惚とした笑みを浮かべたかと思えば、次なる獲物を求めてアレンは戦いの音に誘われるように歩き出した。




 ――――王都内でのそうした戦いの一方、テオドールへと続く地下通路を進むルーファとノエル、エーティアの三人の間に会話はなかった。


「――また、ですね……」


 時折聞こえてくる、遠くで鳴り響いた轟音が反響するような音。

 テオドール内で一体何が起きているのかを未だ確認できていない三人であったが、それらがただ、防壁の外での戦闘によって偶然聞こえてくるような代物ではない事ぐらいは察しがついていた。


「……ボクが先に行くよ」


「ルーファ様……?」


「わたしもいく!」


「ノエルとエーティアなら、いざと言う時に馬車を守る事もできるし、前線には一人で出るつもりだと言ったはずだよ。ノエルはエーティアを守ってあげるんだ」


 何かが起こっているであろう事が明らかな現状で何が最善手かと問われれば、恐らくはこれだろうとルーファは思う。ノエル一人では高位の魔族を相手にできる程の実力はなく、エーティアに至ってはそもそも戦闘能力で言えば魔族と戦える程ではない。

 そういった背景を悟ってか、ノエルは押し黙り、エーティアも思案に耽るように瞑目した。


「……消去法から言っても、ルーファ様のご意思を考えてもそれが最良の選択という訳ですね」


「うん、そうだね。エーティアとノエルなら、高位の相手でもない限りは戦えるはずだし、ボクは実力者と危険な場所から優先して叩くよ」


「畏まりました。わたくしとノエルは急ぎ、情報の収集と怪我人の治療に動きます」


「うん、頼んだ。――ノエル、キミがエーティアと町の人を守ってあげるんだよ」


「……うん」


 ルーファに返したノエルの返事は、どこか不安げなものであった。

 かつての戦いでシルヴィとロザリーという二人を失ったノエルにとって、この状況で姉とも妹とも慕っているルーファと離れる事は、必然的に苦い記憶を呼び起こす呼び水となってしまっているのだ。

 そうしたノエルの心情を推し量り、ルーファはそっとノエルの頭を撫でた。


「大丈夫だよ。ボクは魔族にも――魔王にも負けないから」


 ――『魔王』を創ったのは自分であって、その力の限度も知っているのだから。

 そうした本音を胸にしながら、ルーファは頷いて答えたノエルに微笑みを返して、走る馬車の速度をそのままに外へと飛び出した。

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