□8
僕は家族を失っている。
とても幼い頃だったと思う。だから家族のことをよく覚えていなかった。どんな家族構成でどんな家庭だったのかも、モヤがかかって思い出すこともやめた。
はっきり覚えているのは施設に連れてこられた日。
僕はショックからか、ほとんど口を開くこともなく笑うこともなく、何を糧に生きているのかわからない日々を送っていた。
小さな僕でも、こんな僕を引き取ると言ったこの施設がどんなとこなのだと気にはなっていた。だって、いつも出ていくのは綺麗で愛想のいい子だけ。僕にはないものを持った子だけだったから。
大きな建物の中には僕と一緒で生気を感じられない人たちがたくさんいた。それも「赤」を体のいろんなところに散りばめていた。
……まともなところではない。
そう確信した。
ボスと呼ばれる男の部屋に連れていかれ告げられたのは、どう考えても小さな僕に教え込む内容ではなくて。ああ、ここで道具として働くのかと思った。
ボスは「それ相応の金は払う」と言った。
何となく銃やナイフの扱いも武道も身についた時、出会ったのがミックだった。
僕らは一緒に過ごすようになった。
ミックは生き生きとした瞳で僕に話しかける、珍しいやつだった。同じ年代が僕しかいなかったからかもしれないが、僕からしたら変なやつだった。この施設で唯一笑っている、変なやつ。
ミックは僕にたくさんの話をした。
こんな店が増えた。
通りにある店の美味しいもの。
こんな遊びがあった。これが流行りだ。
施設内で受ける学びが終わったら、すぐに施設の自室に戻る僕に知らないことばかりを教えてくれた。だけど、どの話にも僕は興味が湧かなくて適当な返事ばかりしていた。
それなのに、まるで気にしてないかのようにペラペラと楽しそうに話しては僕の隣に居続けた。
――いつしかミックの存在が僕の仲間であり、ライバルのような存在になった。
ライバルというのは、ミックの銃の使い方、ナイフの手さばき、武道の優れた能力などが僕と同等……いや、それ以上だったかもしれない。とてもさくさくと自分のものにしていったからだ。
僕とミックが十六歳になった頃。初任務を与えられた。
相手は僕たちよりずっと年上の大人。顔写真と居場所を見せられただけで、後は何も言われなかった。聞く必要も無いと思った。
――パンッと乾いた音がリビングに響いた。
ゆっくりと倒れていく目の前の大人に、僕は表情ひとつ変えずに見ていた。僕に感情があったなら少し笑っていたかもしれない。「なんて滑稽なんだ」と。
案外簡単に引き金を引けるものだ。
使い終わった銃を見て思った。
これで終わりだと、終わったのだとミックに知らせに行こうとしていた時、右側にあったドアがキイッ……と開く音が聞こえた。
素早く銃を構えて、僕は目を見開いた。
僕より小さな男の子だった。
ドアの隙間から見えた父親であろう姿に、目から大きな水の粒をこぼして「お父さん」と声を絞り出した。
父親の足元にいた僕の姿をその目に移してもなお、その場に立ち尽くしたままだった。きっと銃をゆっくり下ろしていく僕が、自分の父親を殺した犯人だと解釈したのだろう。
「それでうったの……?」
純粋な瞳が僕に訴えかける。グサグサと刺さる視線とその姿に僕は気づいてしまった。
この子は僕と同じになってしまった。
部屋から見るとこの子に母親はいない。たくさんある写真のひとつに花が活けてあったのに気づいて、父親がたったひとりの肉親なのだと知った。
……気づかない方が良かったのかもしれない。銃なんか眺めていないでさっさとこの家から出るべきだった。
じゃないと、僕はこの子に「自分自身」を重ねてみてしまうから。この子も両親を失い途方に暮れるのかと、もしかしたら僕と同じような道をたどるのではないかと。
僕はこの大人を殺すべきだったのか……。
ゆっくり息を吐き出した途端、小さな子の額に小さな穴があいていくのが見えた。少量血が飛び散ったあと、大きな音を立てて倒れた。赤い鮮血が小さな子の白い服を汚していく。
「危なかったな、ミサキ」
平然と僕に話しかけるミック。
僕が引けなかった引き金を簡単に引いてみせた。
「…………なんで」
「お前が出てったあと詳しく聞いたんだよ。家族構成とか、まあ、そのへん。センパイがさ、そういうのは知っといた方がいいって言ってて」
ミックのいうセンパイは、こういう状況を見越して情報を得ておけという意味なのだろう。騒がれず、静かに殺せるように。
銃の残弾を確認してすぐに死亡確認に取りかかった。
――なんで、殺したのか。そう聞きたかった。
そりゃあ生きてた方が大変だろうし、僕らの存在も危うくなるのはわかっている。死ぬ方が何も苦労することなく、悲しみも背負うことはない。
だけど僕は疑問に思ってしまった。
こんなに小さな命を奪っていいのだろうかと。
僕は復讐するために、僕のように同じ目に遭わすために、この施設に入ったわけじゃない。けれど、子供から親を奪ったことに変わりはない。僕と同じ目に遭わせたことには変わりなかった。
「様子見に来て正解だったよ。だってミサキ、撃たずに立ってんだもん。何事かと思っ…………ミサキ?」
名前を呼ばれたことに気づき顔を上げる。
「泣いてんの?」
何に対して流した涙なのかさっぱりだった。
ただその時の僕は思ってた以上に幼くて弱かった。ミックのように簡単に殺せなかった。簡単に出来ると思っていたことが出来なかった。
ミックは何も言わずに後処理だけをして「帰ろう」と言った。僕はそれに静かに応じた。
ミックは上司に僕の失敗を言わなかった。
完璧に終わらせたと報告した。
部屋に戻ってベッドにダイブする。お世辞にも綺麗だとは言い難いシーツに顔を埋めて、今日のことを思い出す。あの男の子の顔が頭からこべりついて離れてくれない。「お父さん」と呼んだ声が胸を締め付ける。
呼吸が早くなり、罪悪感に襲われる。
何も考えたくなくて、その日は食事も風呂も済ませずそのまま寝た。
初めての任務。
僕は家族を殺さないと決めた。
彼女の髪は綺麗だった。 吉田はるい @yosi
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