□7
僕は、彼女が僕の「罪」だと気づいた日から、彼女を避け続けている。
避けるといってもあからさまだったわけではなく。彼女と話していても僕の中で「一緒にいてはいけない」という気持ちが溢れて、ほとんど彼女と目が合わせなくなった。一度だけ店番をタウさんに代わってもらったこともある。
彼女といてはいけない。
その気持ちが日に日に大きくなっていく。いっそ僕の「罪」について、全て話してしまおうかと口を開こうとしたこともあった。
でも、言えなかった。
彼女に取り返しのつかないことをしておきながら、僕は彼女に嫌われたくなかった。もう二度と話せなくなると思うと口が言葉を紡ぐことをを拒んだ。つまり僕は矛盾している。
タウさんに店番を代わってもらった時「本当によかったのか」と聞かれたけれど、「すいません」と謝ることしか出来なかった。
そして、黙って本の整理を始めた僕にタウさんは何も言わなかった。きっと僕のことを知っているからこそ、何かを察したのかもしれない。もちろん、彼女が僕の「罪」だと言っていないからそこには繋がらないと思うけど。
でも……どうしていいかわからなかった。
「僕は彼女から離れようと思います」
僕がしたことは決して消えないし戻らない。
わかっていたことなのに、こんなにも過去の僕を恨んだことは無かった。
「僕は雨だから。彼女を濡らすことしか出来ないものだから。きっと怒るだろうけど、彼女にとってはいいことなんです」
あの出会った日のように、彼女を守れる傘になれたならどんなに良かっただろう。
今更、彼女をずっと濡らし続けていたのは僕自身だと気づくなんて。馬鹿だと思うし、彼女が遠い存在だと感じたことは嘘ではなかったのだと思い知らされる。
「僕はもう十分に、幸せです」
彼女が僕を外へ連れ出してくれた。
暖かな光の中へ腕をひいてくれた。
でも、どんなに光のある方へ行っても消せない。僕の後ろから、どろりとした暗闇が足元を飲み込んでいき、
制御出来ないほどの暗闇が僕を飲み込んでいき、最後には最も「罪」が重い僕の手からどろどろと溢れてくる。
……僕は彼女を突き放すしかない。
僕が彼女の腕をひいて、僕の「罪」に巻き込む気は無い。
本当なら暗闇に飲み込まれているはずの僕に光を当ててくれて、人を愛することを教えてくれた彼女に、せめて、笑っていてほしい。
「本当にそれでいいのか?」
タウさんのしゃがれた低い声が響く。
「ウノに聞いてもいないんだろう?」
「…………」
「お前の過去をワシらも全ては知らん。だがお前はここにいる。ワシらが迷惑だと思うのであれば、出ていかせるがしていないだろう」
それは二人が優しいからだと思っていた。僕を仕方なく置いているのだと、雇いとして置いているのだと思っていた。
でも、それが違っていて。
「それとも、お前はここの人間ではなかったのか?」
二人は僕を「家族」だと思ってくれていた。
ただの人として見ていてくれて、僕の過去を通して僕を扱っていたわけではなかった。
「ワシがお前を許すと言える立場ではない。だが、もう幸せを感じてもいいだろう?人を愛してもいいだろう?――忘れなければいいだけだ、お前の過去を」
初めて、そんなことを言われた。
今までは周りから好奇の目に晒される度、鏡で僕の姿を髪を見る度、僕は不幸なままでいなくてはいけないと思っていた。
もちろん、そうでなくてはならないことをしたのは事実だし、忘れたことなんて一度もない。ずっとずっと背負って、ずっとずっと自分自身を責めるつもりだった。
僕が死なせてしまった人たちの幸せを奪ったのだから、僕からも幸せを奪えば少しは「罪」を償えた気がしていた。
「お前が幸せになってあげるのも一つの手だ」
いつの間にか目の前がグシャグシャになって、手に取っていた本の表紙をたっぷり濡らしていた。必死に拭うけれど意味が無く、腕元のシャツは僕の肌にピタリとくっついた。
タウさんは僕に近づくでもなく、ただ本のページをめくってカウンターに座っていた。
すみません、と小さく言う僕に何も言わなかった。
タウさんの言葉で僕の心は少しは救われたはずなのに、やっぱり彼女に僕を知られることが怖くて決心がつけれなかった。それでも、言うしかない。それで突き放されるのであれば、それもしょうがない。
僕が犯した「罪」なのだから。
「タウさん、ありがとう」
ぐちゃぐちゃな顔とぐちゃぐちゃな声で言う僕を、タウさんはそっと笑った気がした。
「ウノはいい子だ。それでも拒絶されるのであれば受け入れるしかなかろう。まあ、そうなったとしてもお前をやめさせてやらんがな」
「…………はい」
タウさんらしくて、ちょっと遠回りな優しさ。僕に居場所をくれた人たちは、ずっと僕に優しかった。
――彼女も優しかった。
僕の髪を好きだと言った。
僕に楽しそうに話をしてくれた。
僕に何も聞かないでくれた。
いつだって支えられていたのは僕で、彼女はたったひとつの笑顔だけで僕を光の中にいるような感覚にしてくれた。
少し苦しいけれど悲しいけれど。
彼女に話してみよう。
彼女の笑顔を見て少しでも胸が痛くならないようにするために、僕の過去を彼女に伝えよう。嫌な話だけれど伝えよう。
「ミサキ、店番を代わってもらえるか。済ませなければいけない用を思い出した」
「はい」
「その本、お前が買い取らないとな」
すっかり濡れてしまった本。新品ではなかったけど僕が汚したから、もちろん売り物にはならない。
僕は苦笑いしながら、出掛けるタウさんを見送った。
店番が座る場所に正座になり、濡らした本をめくる。ちょうど読んだことのない本だったから、展開を分かったまま読まなくて済んだ。二度三度読むことも好きだけれど、やっぱり新しい物語に触れることは面白くて、その中に浸ることが出来る。
たまにお客さんに声をかけられるまで気づかない時もあったけれど。(そのことがタウさんに知られると少し怒られる)
本を半分読み終わったところで休憩を挟むと、リャンさんが暖かい飲み物を持ってきてくれた。それで心を休めてまた読み出す。
本の中の物語はこうだ。
ずっと一緒だった幼馴染みが突然の失踪。それを探す男が失踪の意味を知った時、どうするかという話だった。ありきたりかもしれない。でも著者によって違っていて、これはこれで楽しめた。
――その日も浸りすぎていた。
お客さんが店内に入ってきたことにも気づかず。躊躇いもせず僕のところまで歩いてくることにも気づかず。
最後の一歩。
風に乗って香ったのはひどく懐かしい香りで(匂いと言った方がいいかもしれない)、一瞬で僕を現実に戻し、あの日々を思い出させるものだった。
勢いよく顔をあげれば、そこにいたのは……
「***」
かつて僕とともに歩いていた仲間だった。
「見つけたぜ、ミサキ」
相変わらず真っ黒な服装に汚れた濃い青のマフラー。
たとえ暑くてもマフラーは脱がない。彼いわく顔が隠せるからと。
――何かを決断した時、何かを諦めさせるようなことが男を襲うのだ。
本の主人公と今の僕が酷く似ていた。
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