第四話・兄妹の過去。

 犬居舞衣子には兄がいた。名は犬居誠人。親に捨てられ劣悪な環境で育ったふたりは、互いに支えあって生きてきた。

 兄妹は人間ではなかったが、それは彼らの暮らす世界では別段珍しいことではなかった。彼らの世界『ノーゼテルカ』では、世界の管理者である『カミサマ』の許しの下に、天使や悪魔といった存在が当たり前に人間と共存していた。そして、犬居兄弟は悪魔と呼ばれる種族だった。

 ここで天使悪魔の勢力についての説明は省くが、犬居兄妹は本来悪魔の住む『魔界』と呼ばれる領域ではなく、人間が主に支配する『人間界』で暮らしていた。そこに住んでいる悪魔はいわゆる落ちこぼれかよほどの物好きとされているが、兄妹は前者に位置していた。


 ふたりは人間界にある悪魔専門の風俗店で働いていた。兄妹は悪魔の中でも特殊な性質を持っており、肉体の強度は普通の人間と変わらないものの死後二十四時間が経過するとその死体が消滅し、死んだ場所もしくはその付近のどこかに蘇るというある種の不死身だった。

 その特性を活かし、ふたりは風俗店では異例の『殺され屋』で生計を立てていた。両者ともお世辞にも美男美女と言えるような容姿ではなかったが、それなりに話題となり食うには困らない程度の収入を得ていた。



「ま、まま待って、ついていけないよ。僕が、君も、あ、悪魔……?」

「聞くって言ったのはお兄ちゃんでしょ。ここまでは前提なんだからさらっと受け入れてもらわないと困るよ」

「そう言われても……」



 あるとき、兄の誠人に恋人ができた。名を阿笠ゆかりと言う彼女はごく普通の社会人だったが、優しく誠人の良き理解者で、舞衣子とも仲良く話せる間柄だった。犬居兄妹にとって、ゆかりの存在は癒やしであり、彼女と過ごす時間はとてつもない幸福だった。

 やがて、誠人はゆかりに結婚を申し込んだ。ゆかりは当たり前にそれを喜んだが、問題は彼女の両親だった。誠人の素性を調べあげ、いかがわしい仕事をする悪魔などとの結婚は許さないと猛反対した。

 誠人とゆかりは何度もゆかりの両親を説得しようとしたが、頑なに拒まれ続けていた。心配する舞衣子に、ゆかりは笑ってこう言った。

「大丈夫よ、私はあきらめない」


 そして、ある雨の夜。誠人をアパートへ送り届けたのち、車を運転して自分のマンションへ帰ろうとしたゆかりは、誠人の目の前で運転を誤り電柱に激突した。大きな音と誠人の叫び声に驚いた舞衣子が外へ出ると、ずぶ濡れの誠人がゆかりの身体を抱いていた。ゆかりの頭部からは血が流れ、意識はないようだった。

「お兄ちゃん!」

「ま、舞衣子、ゆかりが、ゆかり、が」

「きゅ、救急車を早く……あ」

 そのとき、兄妹の目に、ゆかりの魂が抜けていくのが映った。天使や悪魔は人間の魂を自分の糧にすることができる。そのため、彼らの目には抜けた魂が見えるのだ。

「ゆかり!」

 誠人は反射的に手を伸ばし、空へ昇ろうとするそれ、火の玉のようなかたちの半透明なかたまりを捕まえた。ゆかりの身体に戻そうとするも、もう死んだ身体には入っていきそうになかった。

「お兄ちゃん……」

「きっと、きっと、疲れてたんだよね……こんな事故起こすくらい、心がすり減ってたんだね……ゆかり……」

 やがて誠人は、ゆかりの身体を片手でそっと自分の上からどかせた。そしてゆかりの魂を両手で包むようにしながら、ふらりと立ち上がり自宅へ入っていった。

「お兄、ちゃん……?」

 舞衣子は一瞬だけこちらを向いた兄の無表情に、何かぞくりとするものを感じた気がした。



「ユカリさん、っていうのは……こ、恋人だったんだ」

「そ。でも、死んじゃった。すっごく優しくてきれいな人だったんだよ」



 やがてゆかりの遺体は適切に処理された。ゆかりの両親はこんなことなら結婚を許してやればよかったとひどく悲しんだそうだが、それを聞いても兄妹には何の救いにもならなかった。

 一方ゆかりの魂は、誠人のそばにあった。ジャムの空き瓶に蓋をして閉じ込めたそれをときおり眺めながら、誠人はずっとパソコンに向かっていた。

「お兄ちゃん、ゆかりさんのそれ、どうするの」

「…………」

「魂だってずっとは置いとけないの知ってるでしょ、三日が限度だよ。今日もう二日目だよ」

「わかってる……」

「何調べてんのずっと。知らない人とメールしてさ」

「…………」

 誠人は画面から目を離さない。舞衣子は溜息をついて、仕事へ行く準備をしようと兄から離れた。

「舞衣子」

「ん?」

 呼び止めておきながら、誠人はそれからしばらくキータッチを続けた。そして何やらメールを送信し終わると、振り返って少し微笑んだ。

「どうしたのお兄ちゃん……あの、気持ちはわかるけど、ホント最近のお兄ちゃん変な感じだよ。あたし、心配だよ」

「舞衣子」

「何」

「し、心配してくれてありがとう……それから、ご、ごめんよ」

 舞衣子は眉根を寄せ、「何それ」と返した。

「あたし仕事行くよ? お兄ちゃんもほどほどにね」

 そして舞衣子は、その後兄と言葉を交わすことなく家を出たが、それがノーゼテルカで兄を見た最後となるとは思いもよらなかった。


 仕事中、客に身体を切り刻まれながら、薄れゆく意識の中で舞衣子は思った。

(なんであたしは、ゆかりさんが死んでるのに冷静でいられるんだろう。人の死なんて沢山見た、自分だって数えきれないほど死んだ。でも、ゆかりさんは大切な、特別なひとだったのに、なんで)


 死後二十四時間が経過して蘇った舞衣子が自宅に帰ると、置き手紙を残して兄は消えていた。瓶に入ったゆかりの魂も、一緒になくなっていた。

 置き手紙には、『ごめんね舞衣子。僕はゆかりと、別の世界に転生します。君をひとりにしてしまうのは本当にすまないと思う。わがままを許して下さい』とあった。

 そして、それから待てど暮らせど、兄が帰ってくることはなかった。



「異世界転生は禁術なの。本来カミサマの許可がないと使えない、特別な術」

「僕は、それをやってここに来た、ってこと……?」

「そう。でも、ただ単純に、ゆかりさんと一緒に転生は、できなかった」



 転生の術は、誠人がメールでやり取りをした人物(彼も悪魔だった)の協力の下行われた。誠人とゆかり(の魂)はノーゼテルカから消滅し、術は成功に思えた。しかし。

 それから二十五年が経ったあるとき、別のカミサマが管理する世界『ヴァイデメリア』で異常事態が起こった。



「お兄ちゃんは最初の転生のあと、二十五歳で死んだ。でも、その死後二十四時間が経過した時に、おかしなことが起こったの」

「おかしなこと?」

「世界そのものの時間が、二十五年巻き戻ったの。お兄ちゃんはもう一度生まれ直して、また別の人生を歩みだした」



 ヴァイデメリアの時間は、誠人が死ねばその二十四時間後に必ず、誠人が生まれた日まで巻き戻るようになってしまった。禁術の影響で、誠人の持ち前の特性が強化されたのだろう。世界はずっと、前に進めないままになってしまった。

 やがてそれを二十回以上繰り返したあたりで、管理をしばらく怠っていたらしいヴァイデメリアの管理人であるカミサマが異常に気づいた。そして原因である誠人を探り当て、ノーゼテルカの管理人のカミサマに苦情を言ったのだ。



「ヴァイデメリアのカミサマは一人だけど、ノーゼテルカには七人のカミサマがいる。カミサマたちは話し合って、お兄ちゃんを消去することにした。まあ当然だよね、大して力もない落ちこぼれ悪魔だし、カミサマの許可もなしに禁術発動してるんだもん」

「…………」

「でもね、カミサマのうちの一人が、あたしの常連さんだったの。すごく気に入ってくれてて……あたしには、何でもしゃべっちゃうの。おかげであたしにその情報がきた」

「それで……頼み込んで、三日間猶予をもらった、ってこと?」

「そう」



 ヴァイデメリアにやってきた舞衣子は、誠人と再会を果たした。しかし誠人は一切の記憶を失っており、舞衣子はなんとか記憶を取り戻させねばと決意を新たにしたのだった。



「……と言うのが事の顛末なんだけど。……お兄ちゃん、何か思い出した?」

「い、いや、全然……」

「もう! ……いいよ、まだ時間切れじゃないもん。あたし、お兄ちゃんを救うために何だってやるんだから」





 話が終わり、鼻息を荒くする舞衣子を見ながら、犬居は「まいったな」と呟いた。

「とりあえず……外の空気でも吸いに行こうか……」

「そうだね、せっかくだからヴァイデメリア観光も悪くないかも」

 こくりと頷く舞衣子を連れ、犬居はアパートの部屋を出る。そして、はあ、とまた溜息をついた。


(こんな話、急に信じられるわけないよなぁ……)

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色恋沙汰から。 涙墨りぜ @dokuraz

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