「私」を見つけた少女

 SciFi杯1605連動企画としてのレビューです。
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 狼に育てられた子供が思い浮かぶ。ただし、これはどうやら実際の話ではないようだ。
 そこで他に思い浮かぶものは、「火星の人類学者」(オリヴァー・サックス)に収録されている自閉症の動物学者の症例、逸話、あるいはエッセイだ。どのように似ているという話ではない。ただ思い浮かぶという程度のものだ。

 人間らしさという概念は難しい。私が、あるいはあなたが、誰かを人間らしいと感じるとき、それはどのような基準でそう判断しているのだろう。それはつまるところ、私が、あるいはあなたが、その誰かの言動や思想に共感や理解ができるかというところだろう。それは逆に、私の、あるいはあなたの共感や理解から外れた誰かをどのように見るかという問題にもなる。まずは、自分の理解の範疇に収めようと働きかける。だが、それが機能しない場合もある。その場合、どのように見るかは、簡単な話だ。例外として扱う。例外としてしまえば、それはもはや共感や理解の対象とする必要すらない。その際に使う言葉は、非常識、集団行動ができない、異常者などなどといろいろとある。
 それは、「私は何者か」という疑問にすら適用される。「私自身」すら、実際のところ、理解の範疇の外にある。そこで使うのが、どのようなグループや社会に属し、どのような地位であるかだ。そこには何かしらの人間らしさは微塵も要求されない。ただ、「私」という幻想があるのみだ。
 そうして考えると、この作品の少女は幸運だろう。理解しようという人々に恵まれている。そして、少女自身が「私は何者か」も見付け、受け入れている。
 だからこそ、「あなたは誰なのか?」という疑問を読者に突き付けている作品だろう。

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