ロボットに育てられた少女

深水えいな

ロボットに育てられた少女

 ロボットに育てられた少女のことを初めて知ったのは、五年前のことであった。


 何気なく見ていたテレビで報道されていた『ロボット少女・発見される』というニュース。


 そこに映った、ボサボサの髪で汚い身なりの少女。その爬虫類の様な冷たい目を見た時、私の心は、なぜだか酷く惹き付けられたのだった。


 少女が保護されたのは、とあるごみ処理施設だったという。


 ゴミとして親に捨てられた赤ん坊を、ごみ処理施設で働く、卵に手足が生えたかのようなロボットが拾い、十一年間も育ててきたのだとニュースは伝えた。


「十一年間も? いったいどうやって生きてきたのかしら」


 当時結婚したばかりだった妻が、興味津々に ニュースに見入る。


 報道によると、このごみ捨て場には、賞味期限は過ぎたものの、人間の害になるほど傷んではいない食べ物や廃棄された粉ミルクが大量にあったたため、食べ物には困らなかったのだという。


 そしてその日から、ゴシップ雑誌やワイドショーが『ロボットに母性が目覚めた!?』『ロボットに心を与えた少女!』と世間が騒ぎ立てる日々が始まった。


 会社の同僚も近所のおばちゃんも、皆こぞってロボット少女のことを話題にする光景は少し異様でもあった。

 しかし当時は、私も含め皆がこのロボット少女に熱狂していたのだ。


 一度、ロボット学の権威であるスズキ博士に会う機会があった時、このことについて私も尋ねてみたことがある。


 スズキ博士は『ロボット母性説』については否定的な意見を述べた。


 スズキ博士曰く、現在日本で製造されているすべてのロボットには『人間に危害を加えてはならない』『危険にさらされている人間が居たら、その人間を保護しなさい』という命令がプログラムされているのだという。


「ごみ処理場のロボットたちはただ単にその命令に従っただけだろう」


 スズキ博士は極めて冷静に説明してくれた。

  

 なぜこの少女が十一歳になるまで発見されなかったのかということも疑問だったが、このことについても、すぐさま原因が明らかになる。


 ゴミ処理場のロボットたちが『人間が侵入しています』という信号を管制室に送り続けていたにも関わらず、管制室の機械の不備により、『侵入者あり』のボタンが光らなかったのだ。


 これにより、信じがたいことだが、管制室にいた四人の職員は、そこに十一年間少女がいたことに誰一人として全く気づかなかったというのだ。


 事件を受け、全国のごみ処理施設では、すぐさま緊急点検が行われ、人間の目による点検漏れチェックを行うことが義務付けられた。


 マスコミは『コンピューターに管理された社会の弊害』と一斉に騒ぎ立てた。


 私の会社でも、人間による管理体制が強化されることとなり、その皺寄せで私の残業もほんの少しだが増えたりもした。


 数週間後、今度は少女を引き取る養父母が決定したというニュースが耳に入ってきた。


 この養父母は、学校の先生を定年退職した上品な老夫婦で、彼らは娘や息子が一人立ちしたのでこの子を引き取りたい、と記者会見で語っていた。


 そしてこの記者会見の会場に、例のロボット少女は初めて姿を現した。


 それまで名前の無かったロボット少女には、明るい未来が待っていますように、という老夫婦の願いからミライという名前が与えられた。


 保護されたときとはうって変わり、ミライは仕立ての良いグレーのワンピースを着て、髪もさっぱりとしたボブヘアーになっていた。


 私はその時、初めてこの子が目鼻立ちの整った賢そうな顔をしていることに気づいた。


 ミライは抑揚のない機械じみた口調で語る。


「お父さんお母さんの子供になれてウレシイデス」


 まるでインコが人間の口真似をして喋ってでもいるかのような口調に、私は少し違和感を覚えた。


 ほどなくしてミライの私生活が次々と耳に入ってきたが、そのどれもがあまり良くない評判ばかりであった。


 人間の子供と上手く付き合えない、周囲になじめない、自分の殻に閉じこもっている――そんなネガティブな報道が繰り返しなされる日々。


 「幼少期に人間と関わらなかったせいですね。ロボットに面倒を見させている子供はいずれ皆こうなるでしょうね」


 ワイドショーのコメンテーターや社会学者がそんなことを言ったせいで、子守りを主な任務とするシッターロボ業界は大打撃を受けた。


 ミライのこういった「周囲になじめない」現象について、ミライが自閉症である、という説を唱える者もいたが、専門医は自閉症説を否定しているという。


 『ロボット少女』の存在は、論争に論争を呼んだ。


 ロボットに管理された社会のあり方、ロボットによる子守の是非やその影響、子供の発達について――


 『ロボット少女』は日本を揺るがし、日本社会を変えた。


 だがそんな『ロボット少女』にまつわる狂乱も、時が経つにつれ徐々に収まっていく。


 人々は供給され過ぎたこのニュースに飽きはじめ、やがて別の餌を見つけると、そちらに群がるようになったのだ。


 ロボット少女・ミライのニュースは旬をすぎカビの生えた過去のものとなり、人々の頭からゆっくりと消えようとしていた。


 私がミライに会ったのは、そんな時であった。


 前述したミライが定期的に会っているという医師、それが私の友人であるサトウ医師だったのた。


 別件でサトウ医師を訪ねた時、そこで偶然にもミライと出くわしたのだ。


 十六歳になったミライは、まだ幼さは残るものの、落ち着いた知的な女性に変貌していた。


「こんにちは」


 ミライは、私に会うとそう言って口の端を少し上げる。


 記者会見で見た時よりは自然な喋り方になっていたが、どこかまだぎこちなく、無理矢理人間の喋り方に似せようとしていると思える喋り方だった。


 試しにミライと世間話を少ししてみたが、どうもロボットと会話をしている、と言う感じがぬぐえない。


「ミライは本当に自閉症ではないんですか?」


 サトウ先生にそう尋ねてみた。


「少なくとも自閉症児に多く見られるような脳波の乱れや、脳の伝達異常は見られませんでしたね」


 先生は穏やかな口調で言った。


「他に異常な点は無かったんですか?  知能とか」


「知能は、驚いたことに、同年代の子供よりはるかに高いことが判明しました。これは、ロボットたちによる最適化された教育が行われていたせいかもしれません。特に数学分野の能力が高く、ほとんどの計算ならば暗算でできるほどです」

 

「まるでロボットみたいですね」


 思わず口走ると、サトウ先生は笑った。


「確かに、能力が高すぎる子供はロボットじみて見えるかもしれませんね。周囲と上手くやっていけないのも、周りとの能力差がありすぎるからかもしれません」


「今やっている実験は何ですか?」


 頭を機械につながれたミライ。まるでSF映画に出てくる怪しげな実験のようだ。


「今やっているのは、人間や動物の写真と、機械やロボットの写真を交互に見せて脳波を測るという実験です。普通の人ならば人間や動物の写真に多く興味を惹かれるものなのですが、この子の場合は機械やロボットにより興味を惹かれているようですね」


 サトウ先生はこう付け加えた。


「これは科学的根拠のない、あくまで私個人の考えによるものですが――ミライは、理屈では自分を人間だと分かっているのですが、心の奥底では、自分はロボットだという感情を捨てきれないのではないでしょうか」


「感情、ですか。私には、ミライの感情や本心は話していても全く見えません。一体何を考えているのか」


 そう言いつつも私は、この何を考えているのか分からない、感情があるのかすらも知れない少女に惹かれ、興味深いと感じていた。要するに科学的好奇心という奴だ。


 この日以来、私は何度も先生のもとに行き、ミライと会った。なんとかしてこの少女の人間らしい感情を取り戻そうと躍起になったのだ。


 美術館で名画を見せたり、動物園に行って動物と触れ合ったり、登山をして綺麗な眺めを見せたり。私はミライの感情を取り戻すためできうる限りのことをした。


 しかしその結果はあまり芳しいものではなく、ミライは「おもしろいです」「興味深いです」と言うものの、感情ではなくプログラム通りに喋っているようにしか見えなかった。

 

 そんなある日のことだった。たまたまやっていたあるニュースが私の目に飛び込んできたのは。


 映し出されたのは『電柱と電線、コンクリートまみれの村を世界遺産に』というニュースだった。


 ニュースでは、景観を損なうとして電線の地中化が進んだ今ではめったに見られない、電線まみれの村が特集されていた。


 電線や電柱の他にも、今ではほとんど見られなくなった、コンクリートで覆われた川やコンクリートでできた灰色のウサギ小屋みたいな集合住宅などがテレビ画面に映し出される。


「こんな醜悪で人工的なものが世界遺産だって。 一体どこに価値があるんだい?」


 思わずそう漏らす。


「私も良さは分からないけど、平成生まれのおじいちゃんたちは、こういうのに郷愁を感じるみたいよ。どうも、私たちとは感覚が違うみたい。道理でこの世代とは話が合わないはずだわ」


 妻が答える。


 映像を見ると、確かに年を取った人たちが大勢この村を訪れ、中には涙している人もいる。


「郷愁か」


 私の頭にある計画が浮かんだのはその時だった。



「おじさん、今日はどこへ行くの?」


 ミライが私に問いかける。


「きっとミライにとって、懐かしい場所なはずだよ」


 サトウ先生が笑う。


 反対にミライの養父母は不安そうな顔をしている。ミライにとって嫌なことを思い出してしまうのでは、と心配なのだ。


「さ、着いたよ」


 ハッとミライが顔を上げた。


 そこはミライが捨てられていた、あのごみ処理施設だ。


 ミライは、ゴミ処理場の中を興奮した様子でキョロキョロと眺めている。


 今までどんな素晴らしい名画や、美しい自然を見せた時にも見せなかった反応であった。


 ミライは一台のロボットを見つけると、急いでそのロボットの元へ駆け寄った。


「RV-703!」


 そこにいたのはミライが保護されるまで、十一年間ミライを育てていたゴミ処理ロボットだった。


 ミライは、愁いを帯びた瞳でごみ処理ロボットを見つめた。


 こんなミライの顔を見たのは初めてだ。私も、サトウ先生も、養父母も、ミライの今まで見せたことの無い感情の動きに驚きを隠せない。


「触ってもいいですか?」


 ミライが振り返る。


「いいとも」


 案内していた職員が頷くと、ミライは、そっとごみ処理ロボットに触れた。


 RV-703の金属の目が、ぴかり、と赤く光った。


「対象識別。侵入者――No。入館許可書を所持。当該人物、過去に入館経験アリ。我々の保護対象」


 ミライは、それを聞いて早口に、ロボットのように呟いた。


「――Yes。五年前、当機の保護下にアリ。RV-703、周囲の異常の有無を報告せよ。定期点検の結果を求む。」


 しかし、そんな風にロボットみたいに喋っているミライは、全然無理をしているように見えない。いつもよりずっと、生き生きして、人間のように見えたのだった。


 その時私は気づいたのだ。ロボットとして生きる、それこそがミライにとって「自然な」事だったのだと。


 それからというもの、ミライは「人間らしく」振る舞うのをやめた。


 ロボットのように無感情に早口で喋る。人と目は合わせない。それでも、ミライは前より生き生きとして見えた。


 周囲の期待に答えるために人間らしくあろうとすることをやめ、ロボットらしい自分を受け入れたのだ。


 やがてミライは研究者となり、ロボットや人工知能の分野で目覚ましい成果を上げた。


 ミライはとある雑誌のインタビューでこう語っている。



「ロボットらしく生きる。これが私にとって人間らしく生きるやり方なんです」




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