水の核―巨蟹・天蠍・双魚―

 ――ある日の朝。

 工房のドアを、慌ただしく叩く音がした。

 ――一体、誰?

 急いで玄関に向かうと、そこには、緊迫した表情をしたシュテルが立っていた。

「シュテル?一体――どうしたの?何があったの?」

「悪い、主神。こんな乱暴な訪ね方を――。だが、ちょっとまずいことになった。澱みが――暴走しかけている」

 ――澱みが!?

「ってことは――、二つ目の核が見つかったの!?」

「――ああ。だが、今回は前回とパターンが逆だ。核の探知よりも先に、澱みが力を増してきたせいで、その悪意が探索網に引っかかった。――今回は、おれたちの失態だ。場所が場所だけに、探知が後手に回ってしまった。すでに澱みは、かなり成長してしまっている」

「場所って――、澱みは一体、どこに発生してるの!?」

「――場所は、シェーン湖の湖底だ。そこに、澱みはある。湖底にあった、水の核を取り込んでな」

 ――シェーン湖!

 シュテルとともに、出かけた湖。あんなに綺麗で、素晴らしい所だったのに――。

 そこが、澱みで汚されようとしている。

「澱みは、既に湖底に収まりきらないほどに広がりつつある。――このままでは、周囲にも悪影響が及ぶだろう。――既に、水の加護の十二柱には召集をかけた。悪いが――、急いで彼らとともに、シェーン湖に向かって欲しい。頼む」

 ――言われるまでもない。

 あそこは、私にとっても思い出の場所だ。そこが失われようとしているなら――、黙って見ていることなんてできない。

「シュテルは、急いで皆を呼んできて!悪いけど、私、一足先にシェーン湖に行ってくる!」

 言うやいなや、役立ちそうなアイテムを選別して、工房を飛び出す。

「あ、おい!――無茶だ!一人でなんて行かせられるか!」

 シュテルが叫ぶけれど、止まれなかった。

「大丈夫!皆が来るまでは、絶対無理はしないから――。行ってきます!」

 そう言って、私はシェーン湖に向かって駆け出した。


 走りながら、気ばかりが焦る。シェーン湖は、シュテルが、改めて私を主神と認めてくれた、思い出の場所なのに――。そこが、本来の姿を失ってしまうのはいやだった。それに、澱みの暴走ってどういうこと?

 ――ああ、だめだ。気ばかりが焦っている。

 シェーン湖までは、それなりの距離がある。しばらく走っていたその時――。

「主神!」

 後ろから、馬の駆ける音とともに、私を呼ぶ声がした。

 この声は――、天蠍宮の、ルピオさんだ!私は、足を止めて振り返る。

「ルピオさん!」

 追いついてきたルピオさんは、ひどく心配そうな顔をしていった。

「――全く!なんという無茶をするのです!お一人で、澱みに向かわれるなど……。どうぞ、このルピオを供としてお連れ下さい!」

 その後から、もう一頭の馬も駆けてくる。

「本当に……おてんばな姫様だ。お姫様の救出は、王子の役目と相場が決まっているからね。助けに来たよ、主神」

 双魚宮の、イッシェさん。その後ろには、巨蟹宮のクレイくんも乗っている。

「主神……!心配、しました。無事でよかった……!」

 皆……。

 水の加護を担う、三人だ。澱みに挑むため、追いかけて来てくれたんだね――。

「皆、ごめん!どうしても、早く何とかしなくちゃって、焦ってしまって……。心配かけて、ごめんなさい」

 頭を下げ、謝ると、ルピオさんは深く息を吐いた。

「――いえ、我々が、間に合ってよかった。どうか、私も共に向かわせてください。――主神は、どうぞ、私の馬にお乗りください。操縦は、私が行いますので」

 え――、ということは、ルピオさんと、二人乗り?

「おやおや、役得だねえ、ルピオ。ずるいなあ。私にも主神をこの腕の中でエスコートする権利を与えてもらいたいのに」

 にっこりと、魅力的な微笑を浮かべながらイッシェさんが言う。

「――戯れを。そのような下心のあるものに、主神のお任せするわけには行かぬ」

「これはこれは、嫌われたものだね、私は。――君のような杓子定規が相手では、主神も息が詰まってしまうのではないかな?」

 イッシェさんは肩をすくめる。

 ――一瞬、二人の間で軽く火花が散った。

 慌ててとりなすように、クレイくんが続ける。

「あ、ああ、あの!時間がないとうかがいました。イッシェさんには今、僕が乗せていただいていますし……、このまま、お一人のルピオさんの馬に主神が乗っていただくのが一番スムーズなのではないかと……。ご、ごめんなさい」

 おずおずと、クレイくんが発言した。

「――確かに、先を急ぐ道程。どうぞ、主神。こちらへ」

 ルピオさんが、馬に乗るためのエスコートをしてくれる。

「――ふん。仕方がないね。今回のところは、ルピオに役目を譲ることにするよ――」

 揶揄するように、イッシェさんが言う。ほっとしたように、クレイくんが息をついた。

 あれ……、もしかして、この三人、あんまり仲が上手くいってない?チームワークが、まるでなってないんじゃあ……。

 ――こんなことで、無事に、核奪還できるんだろうか!?

 

 ようやくシェーン湖にたどり着いた時、私は息を呑んだ。

 あれほど澄んで、陽光を受け煌いてきた湖面が、今や底の方から少しずつ、濁り、「澱み」が立ち上りつつあるのが見えた。

 静謐な雰囲気も、どこか影を感じさせる。

「ひどい……。こんな湖――このままにしておけないよっ」

「――主神の、仰せのままに」

「ふふ、それじゃあ、お掃除といこうか?」

「僕も――、また、綺麗な湖が見たいです」

 皆も、私を取り囲み、身構えてくれる。

「ありがとう、皆。――それじゃあ、はじめようか!」

 ――戦闘開始!


「澱みは、湖の底に溜まっております。まずはそれを、どうにかして引き上げねばならぬかと」

「うん。多分、私が――なんとかできると思う。でもその前に、――『岩鎧(がんかい)』!」

 アイテムを掲げると、堅い岩盤が、まとう様に皆に取り付いた。

「これで、防御力が上昇したはずだよ」

「へえ……手足を動かすには、全く支障はないんだね。邪魔になることもない。さすがは主神だね」

 こんな時でも、イッシェさんは蠱惑的こわくてきな笑顔を向ける。あ、相変わらずだな……。

「それじゃ――、澱みを、引き上げるよ。

――『土柱』!」

 途端、湖の底から、土の山が吹き上がる。

 それに打ち叩き上げられるように、澱みが姿を現した。

 土の核の時と同じように、その姿は禍々しい。いや――どことなく、前に見たものよりもより姿がはっきりしているように見えた。

(……――ヒ、ヒカ……り……)

「!?澱みが――、喋った!?」

「お、おそらく――時と共に、澱みが、成長してるんだと思います……。わずかながらも、思考も生まれつつあるのでは、ないでしょうか――」

 クレイくんの言葉に、気を引き締める。今後も、核の発見が遅くなればなるほど、澱みも進化する可能性があるということだ。――本当に、急がないと。

(ひカり……マブしイ……――ほシイ――!)

 澱みが、私達に触手を伸ばしてきた。

「ハアッ!」

 ルピオさんが、長大な武器――ツヴァイハンダーを振るう。

 だが、澱みを切り払おうとしたその時、澱みは水中に潜り、その本体を隠してしまった。

「何!?」

「わ、分かっているんですね――。水中であれば、攻撃を受けないことを。少しですが、知能がある――」

 動揺したように、クレイくんが言う。

「――仕方ない。攻撃の隙をついて、引きずり出すよ。主神、その手をとらせてくれるかい?」

 イッシェさんが差し出す手に、自分の手を重ねる。

 ――するとなんと、その手の甲に、恭しく口付けをされた。

「ぎゃー!絶対、今の、術には関係ないでしょう!」

 反射的に引こうとする手を、逃がさないようにぎゅっと握られた。

「ふふ。せっかくの機会だからね。許しておくれ」

 いたずらっぽく笑ってから、一瞬姿を見せた澱みに向き直る。

「――主神と双魚宮の名において、見蕩れ、溺れよ――

一“水”の夢ヴァッサー・チャーム

 瞬間、澱みが動きを止めた。

 まるで魅入られたように視線(?)を固定し、不規則な動きを繰り返す。

「――混乱の術をかけたよ。今までのようには、攻撃を避けられないはずだ。この隙に、叩くよっ」

「了解した!」

「はいっ」

 ルピオさんが近接でダメージを与え、クレイくんはクロスボウで遠方から攻撃する。私もアイテムで、澱みの弱点である土のダメージを与えていった。

 徐々に、澱みがその姿を散らしていく。


 ――だが、決め手がない。

 いまだ澱みは、その一部を水底に隠している。その上、折に触れ水中に潜るため、連続でダメージを与えることが難しい。

 とどめがさせないまま、私達の体力も次第に削られていた。

 あと、少しなのに――。

 特に多くのダメージを受けたイッシェさんは、髪も乱れ、その洗練された服も至る所がぼろぼろになっていた。

「――もう、やっていられないね」

 そのイッシェさんが、吐き捨てるようにそうつぶやいた。

「イッシェさん……?」

「きりがないよ、こんなの。あーあ、髪も、服も、我ながらひどいねえ。色男が台無しだ。これ以上、あんな奴に汚されるなんて耐えられない」

 そう言うと、ひらりと馬に飛び乗ってしまった。

「イッシェさん!?」

「後はもう、君たちだけで何とかなるだろう。任せたよ。適当に倒しておくれ。私は、一足先に帰らせてもらうから――」

 そう言うと、一気に馬を走らせ、澱みに背を向け、イッシェさんは走り去ってしまう。

 そんな、イッシェさんが、まさか、こんな逃げるような真似をするなんて――。

「待って!皆が揃っていないと――!」

 思わずイッシェさんを追いかけようとする私の腕を、ルピオさんが、しっかりとつかんで引き止めた。

「主神、行ってはなりません」

「どうして!?イッシェさんが――」

「あの男は、放っておきなさい」

 その冷静な声に、私は凍りつく。

 もしかして、ルピオさんは、もうイッシェさんに愛想を尽かしてしまったの?皆で協力しないと、水の核は取り戻せないのに――。

「私達も、ここでしなければならないことがあります」

 イッシェさんを追わなきゃ――、って。

 ――え?

 私達――、『も』?


  (ひカリ、ヒかリ、にガサなイ――!)

 ざあっ!と、澱みの繰り出した触手が私達に迫り――。

 そして、素通りした。

「え?」

 私は思わず、間の抜けた声を上げる。

 澱みは私達に見向きもせず、一直線に、駆け出したイッシェさんを追い、触手を伸ばし――、それでも届かないと見るや、ついにはその体を浮かせ、彼の後を追おうと水からその姿を現す。

 ――ようやく、澱みの本体があらわになった。


「――この時を待っていたぞ。――主神、失礼を」

 そっと、ルピオさんが私の手をとる。

「――主神と天蠍宮の名において、悪しきものよ、滅びよ――

盛者必“水”ヴァッサー・エンド

 ――直後、凄まじい勢いで、鋭い氷柱と化した湖の水が、いくつも澱みの本体を刺し貫いた。

  (――グ、ぉオ、あ、アア!ああアアアあ――!!)

 通った!

 本体への直接攻撃には、ひとたまりもなかったのだろう。断末魔の声を上げて、澱みはとうとう、跡形もなく崩れ、湖面の輝きの中に散って行った。

「やっと、終わった……」

 長い戦いが終わった安堵に、私は思わず座り込む。


「――どうやら、無事に倒せたみたいだね」

 ――え?こ、この声は!?

「イッシェさん!」

 逃げ出したはずのイッシェさんが、すぐ傍に戻ってきていた。

「イ、イッシェさん――、どうして?」

 困惑して、訊ねると、クレイくんから――、遠慮がちな答えが返ってくる。

「主神。……多分ですけど、イッシェさんは――、ぼ、僕達のために、囮になってくれていたんです。――澱みが、彼ばかりを狙っていたのに、気付きましたか?イッシェさんは、混乱の術をかけたと言っていましたけど、――本当は、あれは、魅了の術だったんじゃないでしょうか。攻撃を全て、自分にひきつける為の――」

 私は改めて、イッシェさんの姿の意味に思い当たる。髪も服も、ぼろぼろに乱れたその姿――。

「そして、逃げる振りをして、澱みをおびき出したのでしょう。それは必ず、自分を追ってくると分かっていたから。気付かれぬよう、私達に小芝居までうって」

 ルピオさんの言葉に、イッシェさんは肩をすくめる。

「小芝居とは、心外だな。――澱みにある程度の知能があることが分かったからね。より確実に追ってきてもらうには、私が本当に逃げると思わせる必要があった。――敵をだますにはまず味方から、と言うだろう?」

 イッシェさんは、彼らしい飄々とした笑みを浮かべる。

「だけど、隙を逃さず、止めを刺してくれて助かったよ。――意図を察してもらえるかは、五分五分だと思っていたからね」

「そんなものは、気付くに決まっているだろう」

 ルピオさんは平然と言う。

「お前が、主神――女性を前に逃げ出すなんて、格好悪い真似をするわけがない」

 きっぱりと断言するルピオさんに、一瞬目を見開いた後、イッシェさんは楽しげに笑った。

「ははっ!――それは、もっともだ。僕のことを、よく分かっているじゃないか」

「――ふん」

 ルピオさんも軽く笑い、二人は、ぱしん、と手を打ち合わせた。


「イッシェさん――、こっちに、来てもらえますか?」

 クレイくんが、イッシェさんに声をかける。そして、私におずおずと手を差し出してきた。

「主神――、僕に、力を貸していただけますか?」

「うん。クレイくん」

 私は、その手を握る。

 クレイくんは目を閉じ、片手をかざした。

「――主神と巨蟹宮の名において、癒しと清浄を――

水得の魚ヴァッサー・キュア

 その手から、温かな光がこぼれでる。

「……っ。これは――」

 イッシェさんが、驚いたように呟く。

 傷ついた体が、みるみるうちに癒えていく。

 それだけではない。

 澱みに汚され、濁りつつあったシェーン湖が――、光により、その清らかさを取り戻し、元通りの澄み切った水面に回復していた。

「クレイの能力は、癒しの術であったか……」

「これは――、素晴らしいね。なんて美しい湖なんだろう。――クレイ、感謝するよ。この姿を取り戻してくれて」

「い、いえ。僕は、このくらいしか出来ないから……」

 年上二人に褒められ、身の置き所がなさそうにするクレイくん。

「いや、充分な働きだ。私達が認めているのだぞ。――もっと胸を張ってくれ」

 ルピオさんが優しく言うと、クレイくんは、誇らしそうに、頬を染めて笑った。

 その三人を見ながら思う。

 ――チームワークがまるでなってないだなんて、とんでもない思い違いだった。

 イッシェさんは身を挺して二人を助け――、ルピオさんとクレイくんは、イッシェさんを信じてその意図を正確に読み取り、見事に澱みを祓った。

そして今も、ルピオさんとイッシェさんは、遠慮がちなクレイくんに対して、お前は立派に自分達と対等の存在なのだと、言ってあげているのだ――。

 充分に、お互いを認め合い、補い合う、素晴らしいチームだった。

「じゃあ、水の核を、――救おうか!」

 なんだか嬉しくなり、張り切って皆に言う。

「――仰せのままに、主神」

「君が望むなら、喜んで」

「これで核は、澱みから開放されますね……」

 三人が、水の核にその手をかざす。

 そしてエレメントが、その核に充填される。

 

 こうして私達は、二つ目の核を、無事取り戻したのだった――。

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女子高生から神様にジョブチェンジ 神田未亜 @k-mia

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