一輪の花

りつか

一輪の花

 ──この状況は何年振りのものだろうか──。


 アッシュはとても懐かしい感覚を味わっていた。口許には人好きのする笑みを貼りつけ、目は周りのご令嬢方に順番に流しながら、彼女たちの話をただ聞いている。これと似た状況に身を置いたことが、前にもある。


「末のご子息さまとご友人でいらっしゃるの?」

「どんなおかたなのかしら? お優しくて?」

「遠目にとても素敵なかたとお見受けしましたけれど、今はどちらに」

「もう心に決めたおかたはいらっしゃるのかしら」


 おっとりと和やかに歓談しているように見えてその目は抜け目なく獲物を狙うが如くのご令嬢たち。年頃は皆似たり寄ったり、顔付きや髪の長さやドレスに香水と、それぞれがそれぞれに違うものを身に着けているのに何故か全く差異を感じられない。

 こういう女性に囲まれるのも、親友とともに過ごした学生時代にはよく経験したものだった。本当に懐かしい光景である。




 自分がいわゆる〝イケメン〟と呼ばれる類いでないことくらい、アッシュもしっかり自覚していた。オリーブ色の目は奥二重で華やかさに欠けるし、濃い茶色の髪は父譲りの癖っ毛で朝の手入れが大変だ。眉も鼻も口も、美しさを主張する形とはお世辞にも言い難い。

 それでも人並み程度に整っている顔だという自負はある。黄色い声が全て素通りして飛んでいくのはもはや自分のせいではなく、親友が目を引く顔立ちをしているからなのだ。世の女性は揃ってイケメンが好きらしい。昔も今もそこは変わらないようだと、愛想笑いの裏で浮かべる思考もすでに他人事になっている。

 今日の宴にしてもアッシュをこうして取り囲んでいるご令嬢方のお目当ては親友の方だった。始めは同年代ということで目配せや声が掛かるが、素性を明かした途端に話題は親友へと華麗にすり替わっていく。


 このガーデンパーティーを主催する侯爵家の四男にあたるセイル。折紙付きの身分に、長身で容姿も文句なしとくれば「あわよくば」と考えるのも頷ける気はする。

 ただ彼は非常に裏表のない性格なので、ご令嬢たちのお気に召すところかどうかは定かでない。それ以前にセイルの方から「願い下げだ!」と一蹴されるのがオチだろうな、とはアッシュの見立てである。付け加えれば彼女たちが真っ赤な顔をして腹を立てるところまでがワンセットだ。

 セイルとは始めに簡単な挨拶を交わしたきり顔を合わせていなかった。面倒なことには出来るだけ関わらない彼のこと、きっと早々に退散したのだろう。「顔を売ってこい」という父の命により笑顔を振りまいていたアッシュもいい加減口許が引きつってきていた。そろそろ親友に倣い、抜けてもいいかもしれない。




 黄昏の迫る庭園にはたくさんの人がたむろしていた。至る所にテーブルが置かれ、真っ新なテーブルクロスが掛けられ、様々な料理や飲み物が乗せられている。一画に陣取った楽団による楽しげな調べは歓談に花を添える。

 その楽の音が、流れるような円舞曲に変わった。庭園の丁度真ん中あたり、開けた場所にペアを組んだ男女が集まってくる。

 渡りに船だ。アッシュはさも先約があるような空気を醸し出し、そっとその場を離れた。


 ──さてこれからどうするか。


 歩を進めながら思案する。辺りを眺めれば人々の顔はどれも明るい。皆美しく着飾り、祝辞を述べてまわる者、はたまた自身の誼みを結ぶべく奔走する者など、それぞれが思い思いに過ごしているようだ。

 宴は数日続くというし、本日分のノルマは充分に果たしただろう。このまま引き上げるのも手だとすれば、実姉を探すのが妥当な気がした。ここまでともに来た姉が今どこにいるのか知らないが、何も言わずに黙って帰るわけにはいかない。


 夕風が前髪を揺らしていた。なんとなく風上に目を向けると随分離れた場所に鮮やかな黄色がぽつんと見えた。その小さな塊はさながら草原に咲く一輪の花。だが距離を考えると実際は小さくもなんともないのかもしれない。

 恐らくは人。女性のドレス。

 反射的に脳裏に浮かべたのは今日の姉だ。確か深い緑色のドレスを着ていた。赤い髪に似合う最適の色を求めて何週間も前から大騒ぎしていたから間違いない。

 ここから見えるあの黄色は姉の緑には程遠い。だがこの黄金色の陽光を浴びればもしかするとあんな色に見えるものかもしれない。


 石畳の小径を逸れて緩やかな下り坂を行く。柔らかな草の上をまっすぐに視線を滑らせていけば低木の茂みにぶつかった。その先は湖だ。金色に輝く湖面は細波が立って実にきらきらしい。

 目指す黄色い花はその低木より遥かに手前だ──そう知覚したアッシュの足下で何かが跳ねた。見る間に草むらに姿を消してしまったそれがであると認識した瞬間、アッシュは足を止めていた。

 姉は極度の虫嫌いである。男児に人気のカブトムシはもちろん女児が大好きな蝶も含め、虫と名のつくものを目にした瞬間けたたましい悲鳴を上げる。その姉が、こんなバッタのいる草むらにずっと伏せていられるだろうか。


 ──人違いか。


 小さく息をつき、アッシュは踵を返そうとした。身体を反転させつつ肩越しに目に入れた女性は身じろぎひとつしていなかった。動く気配もないようだ。

 結局あの人は何をしているのか。考えられることはいろいろあるが──そうして幾つか可能性を思い浮かべた次の瞬間、アッシュは顔色を変えた。

 お気楽に昼寝を楽しんでいるとか、あるいは何か嫌なことがあって拗ねているとか、そういった類いであればいい。問題は、もしあれがものでなかったとしたら──。




「どうされました? どこかご気分でも……」


 慌てて駆け寄り、件の人物をつぶさに観察する。と言ってもこの状態でわかることは髪色が黒だとか、うなじや足首が細いことくらいのものだ。

 身体を上向けるか起こすべきかと伸ばしかけた手はそのままピタリと止まった。明るい黄色のドレスを着たその人は、予想に反し素早い動作で半身を起こした。

 目があって、時が止まった。

 年は同じ頃だろうか、あどけなさの残る顔立ちをしている。頭の横から編みこまれた髪には生花が挿され、毛先は花を模した銀細工のバレッタで一つにまとめられていた。榛色の瞳はアッシュを捉えると「ごめん」とばつが悪そうに笑った。


「なんでもないんだ。珍しい虫を見つけて、つい」

「……ムシ」


 彼女の視線の先を辿り、アッシュは合点がいった。白い野花の上に小さな甲虫がちょこんと乗っていた。長い触覚を持ち、光の加減で体躯を七色に煌めかせるその虫には遠い昔の幼い自分も初見ではしゃいだ覚えがある。


「ニジイロハナカミキリですね」

「ニジ……何だって?」

「ニジイロハナカミキリ。カミキリムシの一種です」

「ああ、カミキリムシなんだ、これ」


 彼女は甲虫に顔を近付けしげしげと眺めた。


「……虫がお好きなんですか?」


 小さな驚きを持ってアッシュは尋ねた。女性というのは大なり小なり虫を苦手にしていると思っていた。それが目の前の彼女は全く物怖じしないどころか逆に興味があるようだ。また実際にカミキリムシを知っていたこともアッシュの心に新鮮な風を吹かせていた。


「まあ、嫌いではないかな」


 彼女は落ち着き払って身体を起こした。結わずに残した横髪を指に巻きつけながらうーんと宙を見上げている。


「なんでこんな色してるんだろうとか考えるとね、面白いし楽しい」

「色ですか。確かに興味をそそられる色ですよね。ニジイロハナカミキリに関して言えば、光を反射させることで天敵の目を眩ませるんだそうですよ。ハナカミキリの名の由来は花粉や花の蜜を主食とするところからきていて、普段は花の上にいることが多いんです。そうすると上空の鳥などからは一目瞭然なので……っと。……すみません、つい語ってしまいました」


 アッシュは頬を掻いた。経験上こういう話は嫌というほど敬遠されてきたのにまたやってしまった。好きなことを語り出すとつい熱が入り過ぎる。これが女性受けする内容ならば問題ないのだろうが虫の話はさすがに場違いであろう。

 だが目の前の彼女の表情は至って明るいままだった。


「なんで謝るの? とても興味深いしボクは好きだな。もっと聞かせてよ」


 口許を綻ばせ小首を傾げる様にアッシュは胸が熱くなる思いがした。こんな反応を返してきた女性は初めてだ。

 甲虫に再び目を落とした彼女は感心したように小さく息をついた。


「ある意味、好戦的な虫なんだね」

「好戦的ですか?」

「だって擬態して隠れるんじゃなくて、見つかった後を見越しての色ってことでしょ。天敵にばれても別に構わないんだ、この子。良い根性してると思うよ。……あ、ばれてもいいってことはもしかして毒持ってるのかな」

「……毒はなかったと思います」


 彼女にとっては大発見の連続なのだろう、キラキラと瞳を輝かせ考察を続ける様子にアッシュもつられて口角を上げる。

 思えば虫の根性を褒める女性というのも初めてだ。




「キミ、色々詳しいね。ウィンザール家こ この人? ええと──」


 顔を上げた彼女にアッシュは笑みを浮かべたまま「いち招待客です」と首を振った。それから改めて姿勢を正した。


「申し遅れましたが私はアーシェラントと言います。アッシュと呼んでいただいて構いません。長いので」

「そっか。ボクはネリー。ええと、今日呼ばれてるってことはアッシュもどこか良いとこのお坊ちゃんなんだと思うけど、ボクがここにいたことは秘密にしておいてくれると嬉しいな」

「残念ながら我が家は名家でもなんでもありません。父の中ではいずれそうなる予定のようですが、今はしがない商家です。私もダンスタイムになって逃げてきたようなものですから」


 アッシュが肩を竦めて告白するとネリーはアハハと笑った。


「なぁんだ。じゃあボクたちは仲間だね」

「ネリーさんも逃げてこられたんですか?」

「んー。……ね、そのネリーさんってやめよ? さん付けは、こそばゆい」


 ネリーの申し出にアッシュは困惑した。察するに彼女の方は本物の貴族のお嬢さまだ。そのお嬢さまを、知り合ったばかりの自分がおいそれと呼び捨てで呼んでいいわけがない。

 戸惑うアッシュを前に、ネリーは唇に人差し指を当て何やら考えていた。が、そのうちにその指をピッとアッシュに向けた。


「アッシュ。キミいくつ?」

「十五です。あ、半月後には十六になりますが」


 素直な回答を聞いてネリーはにんまりと笑った。


「ボクは十九。年上の言うことは聞くものだよね。はい、ただのネリーだよ」

「年上ならばますます呼び捨てにするわけには……」

「ボクがいいって言ってるんだからいいの。ね、決まり」


 強引に押し切られ、アッシュは仕方なく了承することとなった。本当にいいのだろうかと思案しつつも、至極満足そうな顔を見せる彼女にくすりと苦笑を漏らす。しな人だなと思った。可笑しいが微笑ましい。有無を言わせぬ態度なのに決して嫌いな類いの人間ではない。




「そういえば、私たちは具体的にはどの辺が仲間なんですか?」


 アッシュの差し出した手に掴まりネリーが立ち上がる。背の高さがあまり変わらないことにギクリとしたがどうやらヒールのある靴を履いているせいらしい。こっそり安堵の息をついたアッシュの顔をネリーが悪戯っぽく覗きこんだ。


「ダンスから逃げてる仲間で、虫のこと語れる仲間」


 その瞬間、アッシュは息を呑んでいた。魅入られたと思った。どことなく猫を連想させるネリーの瞳の榛色が、脳裏に鮮やかに焼きつく。

 彼女は唇に漂わせていた笑みをすぐ溜息に変えて、自身のドレスの裾をひらひら振った。


「本当はさ、こういう格好あんまり好きじゃないんだ。動きにくいし。けどさすがに今日はね……。父さまがさ、姉の婚約披露会のときくらい着飾れ、なんて言うんだもん。それで高嶺の花を目指せだって。……いくらなんでも無理だよ。ボクより綺麗な人なんて山のようにいるし、別に花になりたいとも思わないし。高嶺の花って言うより、せいぜい壁の花?」

「待ってください……。今、って仰いました?」


 アッシュは眉間に指を当て考えこむ。

 ネリーの言う通り、今日のこの宴は婚約披露会だ。ルイダーフレット侯の嫡子とシェルテン伯の長女が縁を結ぶことを周知させる会。といっても正式な挙式はまた数ヶ月先の話のようで、シェルテン伯爵令嬢はこれからウィンザール家で花嫁修行に入るらしい。

 アッシュの脳裏にシェルテン伯の基本情報が浮かび上がる。何代にもわたり産業の要衝地を治めてきたヴェルマイン家は名門中の名門だった。子どもは上から女、男、女の三人。それでは、この人は。

 アッシュは目を見開いた。


「──イルノーレさま!?」

は要らないってば」

「主賓じゃないですか! こんなところにいていいんですか?」


 思わず指を差し、叫んでいた。敬称がどうのと言っている場合ではない。〝ウィンザール家の末子セイルが親友〟という縁で招待状を出してもらったアッシュとはわけが違う。

 対するネリーの方はケロッとしたものだった。


「主賓だけど主役ではないからね」

「……それ、ただの屁理屈ですよね」

「そうとも言うね」


 ネリーがニヤッと笑った。

 アッシュは唖然とした。おおよそ良家の子女らしからぬ笑みだった。彼女は人差し指を立て、さも講釈を垂れるが如く口を開いた。


「中の人間はこんなものだよ。ヴェルマインの家名だけが一人歩きしてる感じというか……ボクは動物や植物相手の方が楽しいもん。延々ご機嫌伺い聞くなんてそんなの、退屈で退屈で病気になっちゃいそう」

「病気ですか……同じ主張をする人をひとり知っています。そんなこと言うのは彼くらいかと思ってました」

「へぇ、ボク以外にもいるの? 気が合うかも」

「ウィンザールの四男に会ったことは?」


 小首を傾げていたネリーから出てきた答えは、顔は合わせたはずだが会話をした覚えがないということだった。なんとなく想像がついたアッシュは心の中でそっと溜息をついた。そのときのセイルの表情まで目に浮かぶようだ。


「セイルとは長い付き合いですが、おふたりともきっと一瞬で意気投合すると思いますよ」

「じゃあそんな友人がいるアッシュも、ボクと気が合うってことかな」

「私ですか?」


 きょとんと見返せばネリーはそうそうと上目遣いに顔を覗きこんできた。そうですね、とアッシュはあごに拳を当てて考えこむ。


「──まあ、ダンスから逃げてる仲間で、虫を語れる仲間ですしね」


 途端にネリーが破顔した。可笑しそうに笑う彼女につられてアッシュの口にも笑みが漏れた。

 親友の話題を出してもなおまっすぐな瞳を向けてくれるネリーにアッシュがどんな思いを抱いたかなど、彼女にはきっと想像もつかないことだろう。




 ひとしきり笑って、ネリーはうーんとひと伸びした。


「さぁて、と。ほどほどに挨拶してこようかな。父さまに嘆かれる前に」

「戻りますか?」

「……ってのは口実で、何か漁ってくる。お腹すいちゃった」


 ネリーはペロリと小さく舌を出した。そういう仕草も彼女を幼く見せている一因かもしれない。

 ふたりは揃って芝生の原を歩き出した。


「ダンスは終わったようですね」


 微かに耳朶を打つ音楽に耳を澄ませる。いつの間にか曲調は軽やかなものに替わっている。


「アッシュって全く踊れないの?」

「基礎は一応、というレベルです」

「じゃあそこも仲間だね。同じくらいなら踊るの楽しいかも」

「……足を踏まないように気をつけねばなりませんね」


 ネリーは自身の頭に手をやり、髪に挿していた生花を抜き取った。それからアッシュに「ねぇ」と声をかけた。


「あげる。色々教えてもらったからそのお礼」


 手渡されたのは紫から黄色に掛けてのグラデーションが美しい、手の平サイズの一輪の花。


「美しい花はご婦人が身につけられた方がお似合いでは?」

「それね、結構イケルんだ。瑞々しくて味に癖がないからね、初心者向け」

「食べるんですか!?」


 すっとんきょうな声を上げたアッシュを見て、ネリーはころころと楽しそうに笑った。


「花ってね、割と食べられるんだよ。味は甘酸っぱいのから苦いのまで色々あるけどさ。目でも美味しいから結構オススメ」


 平然と告げるネリーは見事なほどの澄まし顔。それから未だ目を丸くしたままのアッシュを見上げ、今度はちゃんと良家の子女らしい上品な笑みを零した。

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