五(終?)

 それからの彼女は、まあ水を得た魚の如くだった。いや、決して俺自身のことを『水』だと言って価値のあるものだと自己評価するわけではないのだが……なんというかその、協力者ができたことで浮かれたんだろうか。俺はもっとこじんまりとやっていくものだと思っていたのだけど……

 昼休みの中庭で、田中真由子は叫ぶ。

「SSS団! 団員募集中! 世界を大いに盛り上げるために!」

 おい、それじゃあ結局SOSだろ。正確にはSOTか。俺の事はそっとしておいてくれよ。

「何ちょっと隠れようとしてるのよ! ほらちゃんとプラカード掲げて!」

 田中真由子は逃げようとする俺の袖を力強く引っ張る。

「SSS団をよろしく!」

 SSS団。正式名称も活動内容も聞いた。まあご想像通り。大したことはなかったよ。夢見がちで痛々しいありきたりな想像力だったよ。

「世界を大いに盛り上げるSSS団をよろしく!」

 ……もうずっとこんな感じだ。部活新歓も落ち着いて一ヶ月以上は経っているにも関わらず、休み時間ごとに彼女は叫んでいる。多分全校生徒中に知られてしまったことだろうと思う。

 三橋や森田も最近はなんだか少しだけ疎遠になったような気がする。うーん、こういうのはやっぱりちょっと犠牲が多いんだよな、社会的に。

 反面、こいつはどんどん親しく、というか馴れ馴れしく厚かましくなっている気がする。

 やっぱり単純にこいつは……他人との距離感ってものを測れないのかもしれないな。



 彼女の奇行はすっかり周知のものとなり、中には目障りだと思う者たちも多く現れてきたようだった。当然だ。校内に訳分からんビラを撒いたり全校集会で突然宣伝を始めたり。

 正直ここしばらくは勧誘しかしていない。

 何故勧誘しかしていないのか。どうして『活動内容』で言われたことは行われないのか。まあ、そういうことなんだよ。


 ついに、――というかようやく、彼女は、いじめられるようになった。教科書を隠されるだとか、「ウザい」「死ね」「ブスが調子乗るな」などの陰口や直接の暴言を言われたりだとかだ。廊下で水ぶっかけられた時はさすがに俺も声を荒げたんだけど、それにしてもまぁそんな風にからかいたくなる気持ちも分からなくはないんだよな。俺はしないけどさ。もちろん彼女と言葉を交わす人間は俺以外にいなく、さすがに俺自身こうなるとは思っていなかったがせっかくできた交友関係がほとんどなくなってしまった。


 放課後の教室で、ゴミ箱に突っ込まれた自分のカバンを取り出し埃を払う田中真由子。

 俺はそこまでされることはないけれど、それにしたって毎日気分は最悪だった。


「私はこんなことで諦めないわ」

 何を言っているのかよく分からない。諦めないとは何だ。お前は何がしたいんだ。

「やっぱりね、凡人たちに私たちのことは理解できない。あんな奴らとまともに接しようだなんて、イカれてるわ」

 やめろ。もう限界だよ。

「そんなの有り得ないことだって、妄想だって、誰が決めたのよ。なんでそう言い切れるのよ。あいつらみたいな奴らがいるから、いるから、この世界は――――」


「――違う、違うよそれは。そうじゃないんだよ」


 二人きりの静かな夕暮れの教室で、俺はいい加減、口を開いた。


「……なに、何が言いたいの」

「お前が間違ってる」

 俺は言う、俺は言うさ。単刀直入にね。

「――――ッ! はあ!? なに、あなたは私の味方でしょう!?」

 味方。別に味方になった覚えはないんだが。

「まあどちらかと言われればそうだな。それは間違いないよ」

「なのになんで? 口答えするの」

「味方は何でも言うこと聞いてくれるものか?」

「…………」

「俺は少なからずお前の想いに賛同してSSS団に入った。俺は正直夢見がちなやつさ。それは間違いないんだよ。なんだかんだ言ったって、宇宙人も超能力も、サンタクロースだって信じているからな。でも、それらを信じていることが、信じない者を批難していい理由にはならないだろ」

 彼女は黙った。両の握りこぶしに力が込められているのが分かった。


 俯いて、肩を震わせる。どうしようもなく華奢なその体つきは到底、無尽蔵のエネルギーを秘めたハルヒのそれなんかじゃない。どこにでもいる、平凡な――

「……超常現象もない、宇宙人も、未来人も、超能力者もいない……異能はなくて、終末預言はことごとく外れて、奇跡も、物語も、夢も、希望も、何もない、つまらない世界、色褪せた世界」

 田中真由子はぽつりと呟いた。

「そんな世界で、くだらない馴れ合いや、中身のない会話を繰り返して何になるっていうの?」


 ――おそらく、それがきっと、本心なのだろう。

「誰も私のことなんか理解してくれなかった。楽しいのはいつも小説の中だけ。どこにも居場所はなくて、だったら、自分で作るしかないじゃない」

「……じゃあ、お前は、そう言ってみんなと違う道を選び続けて、素晴らしいものに出会えたのか? 心躍る経験ができたのか?」

「…………」

「お前がくだらないと言って捨ててしまうもの、見下してしまうものは、本当に価値のないものなのか?」

 神様も残酷だな、と思った。もしも神様なんてものがいるのであればの話だけれど。


 ――ただな、でもさ、違うんだよ、結局さ。残酷でも、そうじゃないんだよ。

「なぁ」

 どっかの批評家が言ってたよ。ハルヒは結局宇宙人やら超能力やらに憧れながら、その実普通に青春することにコンプレックスを抱いている性格ブスで、でも文化祭でライブしたら普通に楽しくて満たされちゃって動揺するとかなんとかさ。その考察に賛同するしないは別にしても、つまり、ハルヒは、普通の楽しみ方だってできるってことなんだ。

 そんなことはさ――ハルヒが大好きなら分かるだろう。彼女は、超常に宙吊りになった〝日常〟の中で、普通の青春を送っているんだよ。少なくとも彼女にとってはさ。そんで消失で、大人になったみくるさんが言うわけだ。そんな楽しい毎日も、「終わってしまえばあっという間だった」「全部いい思い出です」って。

 だから、だからさ――――――


 この世界には、長門も、みくるも、古泉も、キョンも、いないんだ。

 それでも、それでもお前がどうしても、涼宮ハルヒになりたいというならば、

 せめて、せめて俺は――――


「……そうだな、じゃあ、俺がお前のキョンになるってのはどうだ」


「……は、何それ……」

 田中真由子はゆっくりと顔を上げた。睨み付けるようないつもの目、でも、その奥にはいつもとは違って少しだけ、やわらかさが、見えた気がした。

「或いは、ジョン・スミスだ」

 ――そう、俺は、その愚かで痛々しい夢や希望を、存外信じちゃったりもしているんだよ。だって、その方が楽しいじゃないか。退屈をぶっ飛ばすのは、俺やお前の想像力なんだから。サンタクロースは、実在するんだよ。


「……同一人物じゃん」

 田中真由子が、袖で顔を拭って、悪態をつく。そして少しだけ――笑った。


 俺は、ただ、この田中真由子が生きやすく、過ごしやすい学校生活を、或いはまさに気恥ずかしいこの言葉――〝青春〟を、送ってほしいと思うだけなのだ。不器用な、痛々しい、憐れなこの少女に対して、そんな風なことを思ってしまうのだ。

 随分と上から目線じゃないかって? 違うんだよ、そうじゃないんだよ。そうじゃなくってさ……


 だって、まあその、つまり、つまりだな、俺は、割と、気に入ってしまったんだよ。彼女の事を。


 早い話、普通に一目惚れだったのさ。

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涼宮ハルヒになりたかった女の子の話(短編) 蒼舵 @aokaji_soda

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