涼宮ハルヒになりたかったという願望、キョンになりたかったという願望、SOS団のような集団で、青春を謳歌したかったという願望。それらは叶うことなく、平凡な日常を過ごすしかないということ。教室の片隅に堆積したルサンチマン。思春期は必ず終わるということ。
 心を抉るのは、少年少女たちが、物語という永遠の中で、輝かしい青春と、誰もが羨むような冒険を、生きているということ。憧憬として、常にあり続けるということ。

 この物語は決して新しくない。テーマだって、オチだって特別なことは何も無い。ハルヒが突きつけ、AURAで抉られ、中二恋でカジュアルになったもの。今や巷に溢れすぎたもの。オリジナリティのある「主人公になれない僕」モノならば、きっと他にいくらでもある。

 ただ、それでも、ひとつだけ。
 これは、「涼宮ハルヒ」の名を借りるからこそ意味のある物語。
 そんな風に自負することも、きっと痛々しいけれど。
 懐古であって、郷愁であって、でもそれだけじゃない。
 思春期はとうに過ぎ去った。でもきっと、〝青い春〟は、いつだって傍にあるはずだから。

 涼宮ハルヒになりたかった全ての女の子へ、
 涼宮ハルヒになりたい全ての女の子へ。
 キョンになりたかった全ての男の子へ、
 キョンになりたい全ての男の子へ。

 或いは、世界の終わりに希望を抱いて、それでも終わらない世界に絶望して、「何者でもない」自分を怨んだ日々へ。

 僕はその痛々しさを肯定する。その「黒歴史」を愛している。
 僕自身の痛々しさを込めて、愛と、ほんの少しの憎も込めて。
 この物語をあなたたちと、そして、〝彼女〟に、捧げます。