BOY MEETS GHOST!の更新が終了しました。
最後までお付き合いくださった方、本当にありがとうございました。
「あとがき」が好きです。読むのも書くのも好きです。物語本筋とは離れたものなのに、どこか繋がっている、あの感じが好きです。時間を掛けて描いた全てはこの瞬間のためにあるんじゃないかと思えるようなボーナスタイム。結局僕は自分の話をするのが大好きみたいです。
「その後の人生を決定づけてしまうような決定的な体験」の話が好きです。
それは「あなたと私で世界を変える」物語と言い換えることもできるし、先人の言葉を借りれば「往きて還りし」物語でもあるのでしょう。極論、物語というものは全てそうであり、我々の実人生においても、そんな風に感じた経験が一瞬でもあるのならば、それはもうあなたにとっての立派な物語である、とすら思います。そして、その決定的瞬間とは、祝福であり呪いである、と僕は思っています。今回のBMGは、そういうお話です。
未だに、高校三年生の文化祭の夢を見ます。相変わらず、あの体育館ステージに囚われているんだなと、目覚めて少し、落ち込んだりします。でもきっと、見れなくなったら悲しく思うのだろうし、こうやって言葉にするから、夢にもきっと現れてくれるのでしょう。虚しく思うと同時に、どうしようもなく愛しく思っているんです。夢の中で上演される舞台は、毎回内容が違います。それは、きっとあの日を無際限に繰り返したい願望の現れで、即ちビューティフル・ドリーマー、この夢想は生々しく、泥臭く、未練がましく、決して美しいだけのものではないけれど、紛れもなく、僕を成す呪いと祝福です。
どうして、望む全てを手に入れることは叶わないんだろう。限られた席を、奪い合わなくちゃいけないんだろう。それが生きていくということですなんて、偉そうに言うなよ。諦観することが大人になるってことならば、僕は大人になんかならなくていい、って二十歳の自分も言っていた。今も変わらず、そう思っている。恋人や、家庭や、仕事や、給料のことばかりが話題になっていく周りのみんなから少し離れて、独り17歳の学園祭を想っている。
「思い出にしない」ことは苦しいことで、薄れない感傷なんて抱き続けるべきじゃなくて、それでも、過ぎた日々を簡単に思い出にしてしまえる薄情さのことを、身勝手に思い出して「懐かしいね~」なんて言えてしまう無責任さのことを、僕は軽蔑したい。僕にとっては、ずっと今だ。
読んでいただき、ありがとうございました。誰かの決定的な体験になれたらと思います。そういう生き方をしたいんだと思います。僕はまだ、僕が得た決定的な体験の呪いに苛まれています。それは心地好く、そして惨めなものです。そして同時に、祝福でもある。この呪いがいつか、誰かに伝う〝お呪い(おまじない)〟に変わる日を夢見て、惨めなドリーマーは、せめて美しくありたいと夢想をします。「想像じゃない、創造だ!」なんて言い切れないのも愛嬌ってことで、どうかひっそりと、よろしくお願いします。
葬送できない青春の幽霊を、せめて弔い続けながら、隣り合って歩いていきます。