『世界を終わらせなかったカミサマへ』完結しました。
 終わらない日常、その対比にある世界の終わり。90年代、世紀末。思春期。夏。逃避行。田舎町と東京。そういう要素でこの作品はできていますが、それにはもちろん私個人の嗜好や、歩んできた過去、普段考えていることなどが大いに関係しており、それらをとにかく全部詰め込んだ感じの猥雑な作品になっていると思います。
 同時に、この物語はどこまでもシンプルな「家出」のお話です。ほんの少しだけ誇張された、目の前の、受け入れることのできない狭い世界から逃げ出していく、それだけの物語です。多少のSF、ファンタジー的な要素もありますが、それでもやはりこの作品は現実と地続きの、特別ではない普通の物語なのだと思っています。
 唐突に昔話をします。当時中学生だった私は、今ではもう直接のきっかけなど思い出せませんが、おそらくありふれた反抗期で、母親と喧嘩しただかなんだかを理由に家出を決意したことがありました。決意した日の夜こっそりと荷物をまとめ、靴もあらかじめ玄関から回収しておき、その夜は一睡もしないまま始発電車が出る時間に部屋の窓から外へ出て、人気のない朝の道を自転車で駆け下りて駅に向かいました。駅についた私は電車が来るまでの時間に、何を思ったか逃亡先の父方の祖父母の家に律儀にも電話をかけてしまい、そうなれば当然住んでいる家に連絡が行きます。しばらくして母親が迎えに来て、知恵を振り絞って決行した家出計画はあっけなく失敗に終わったのでした。
 目的地だった祖父母の家は距離にして電車で約一時間。県すら跨がない些細な距離です。でもそれは今振り返ればの話で、当時そのちっぽけな脱走計画は一世一代だったのです。後先考えずとにかく逃げ出してやれ、母を困らせてやれと思っていました。あの日の夜、セブンイレブンの700円くじで当たったはいいけれど家族の誰一人として飲む必要がなかったために冷蔵庫の中に放置されたままだった「眠眠打破」を飲んだことを、今でも鮮明に覚えています。しっかり眠くなりました。(ダメじゃねぇか!)

      *

 生まれ育った場所、というのは、自分を産んだ親という存在と同じように、どうしたって変えることはできないものです。それらは時に呪いのように自らを苦しめ、別の世界――例えばそれは田舎に対する東京、貧乏な家庭に対する裕福な家庭――を羨んだり妬んだりすることにも繋がったりします。世の中にはきっと、私の想像を軽く越えていくような過酷な環境で生きてきた人もいて、そんな誰かにまで私の言葉が届いてほしいなんてことはとても言えたりしませんが、少なくとも思春期の少年少女が、なんとなく不満でなんとなく反抗したい季節にその目で見る色褪せた世界に、ほんのちょっとでも新鮮な光が差し込んでくれたら、と、厚かましくもそんな風に思っています。
「終わりなき日常」なんて言葉を2017年になっても使っている時代遅れな私ですが、そんな私と同じように「終わりなき日常」に苛まれて続けている誰かに、この物語が届けばいいなと、心の底からそう思います。
 これからも、終わりなき日常を少しだけ肯定できるような、ちょっとだけ受け入れてもいいかなと思えるような、そういうものを書いていきたい所存です。それは究極的には自分自身の理想として、目標としての意味もあります。自己満足のようなものかもしれませんが、共感してくれる誰かがいるのならば、一緒に歩んでくれる可能性があるのならば、自分一人の閉じた世界で完結させるのではなく、世界を拓いて投げかけていきたいなと思っています。
 最後まで読んでいただきありがとうございました。平坦な戦場を、共に生き抜いていきましょう。

1件のコメント

  • カクヨムで、自分と似たような嗜好を持った書き手の方に出会えて嬉しいです。
    自分の幼少期である90年代後半の、世紀末、終わりなき日常、バブルの残り香、大きな物語の終焉。そんな時代がどことなく、朧気な記憶ながらとても懐かしく、戻りたいと思いながらも戻れないもどかしさ。そんなテーマが大好きな私としては、貴方の書く物語に出会えてとても嬉しかったです。
    レビューも書きましたので、もしよければ目を通してみてください。

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