四
席替え翌日の一限目。なにやらそわそわしている彼女に気づいた。両手をぱたぱたさせながら無言で机やカバンの中を覗き込んでいる。
周りのクラスメイトは皆ノートを取っているのに――ああ、なるほど。彼女は筆箱を忘れたのだった。
しかし彼女は、周りの席の誰にも声をかけないで腕組みをしている。――いや、かけられないのだ。ここ一ヶ月で作ってきた壁――作ってこなかった関係性の前に、彼女は立ち尽くしている。偏屈なプライドのせいで人に鉛筆すら借りることもできない。再三言うがそれはどう考えても田中真由子が悪いのである。
「ほらよ」
俺は予備のシャーペンと消しゴムを貸した。俺は筆箱の底に眠っていた消しゴムの欠片で何とかするから心配はいらないぜ。
「ん……」
黙って受け取るな。そういうところが駄目なんだよ。
結局シャーペンや消しゴム、二限以降は赤ペンをも、一日彼女に貸し続けた。
そして放課後、彼女はなんだかもじもじとしながら、それを俺に返却した。
「あ……あの、さ……」
おう、別に恩を着せるとかそういうのは全くないけれど、ほしい一言はあるわな。
「今から、家に来なさい」
「は……?」
「作戦会議」
彼女に連れられて、自宅に辿り着いた。目的地までの道程でもほとんど会話がなかったが、どうやら彼女なりの感謝の表明だったらしい。分かるかよ。いろいろ行程すっ飛ばしすぎなんだよ。いい年の女子が男をいきなり家に誘うかよ。行くけど。
田中真由子の自宅は市営のアパートの一室だった。彼女の部屋に入るとまず圧倒してきたのは壁際の巨大な本棚にびっしりと並べられたライトなノベルたちだ。一般文芸は本当に控えめな程度しかない。太宰治とか一冊もない。
部屋の半分は弟のスペースらしい。年頃になっても個室が与えられないその現実が、妙に生々しく映える。
「弟は遅くまで部活だから、くつろいでくれて大丈夫」
「あ、おう。弟さんは何部なんだ?」
「野球」
そう言って田中真由子は部屋を出た。
主人のいなくなった部屋をぐるりと見回す。年季の入ったくすんだ壁。二段ベッドに机ふたつ、そして巨大な本棚。窮屈そうな部屋。事実、窮屈だ。
田中真由子は、母、彼女、弟の三人で暮らしているらしい。父は幼い頃に離婚。養育費もロクに払わず、母がなんとか一人で一家の生計を立てているのだという。
居た堪れなくなるほど、現実的だった。夢見がちな少女は、どうしようもない平凡を抱えていた。胸の奥がちくりと傷んだ。
思えば――涼宮ハルヒは、家庭環境という背景が全く見えないキャラクターだった。それはある意味で彼女の超越性を支えているものだ。他方田中真由子は――――
田中マユコの憂鬱。どこまででも憑いてくる憂鬱。
例えば俺が元痛々しい中二病患者で今なおオタクとリア充の狭間で葛藤しているような男だったのなら、屋上に建った神殿に籠城する世界と折り合いが付けられない哀しき電波少女に為す術ない学校中でただ一人、最強の戦士として彼女を救いに行けるように、或いは家族を亡くしたショックの克服を電波による超越に仮託した憐れな電波女に立ち止まっていた一歩を踏み出させるように、田中真由子の世界を少しだけ拓いてあげることができたのかもしれない。けれどお生憎さま此処は現実で、俺は特にトラウマも悲哀もありゃしない、悔しいくらいに「ただの人間」なんだよな。
そんな風にいろいろ考えていると、彼女は単色のプラスチックコップに麦茶を入れて戻ってきた。
「ん」
「お、ありがとう」
麦茶を飲んで一息つく。五月も半ばとなれば、体を少し動かすだけで十分暑いくらいの気候だ。
「すごい本の数だな」
「でしょう。北高で一番本を持っている自信があるわ」
なんか知らんが学校とは雰囲気が変わりやけに陽気だ。てかハルヒっぽいぞ端的に。
にしても痛々しい自信だ。だがそれは口には出さない。それに事実、ライトノベルだろうが何だろうが好きなものを突き詰めているやつは強いのだ。
「さて、今日来てもらったのは、提案があるからなの」
提案。まあ何となく想像はつく。おそらくはSO――
「SSS団というのを、結成したいと思って」
はいきたSOS団。来ると思っていたよ。SSS……「世界を大いに盛り上げる涼宮ハルヒの団」なのか「死んだ世界戦線」なのか知らないけれど、本当にテンプレート的な想像力だ。
部活を作る――嗚呼、本当に、探したいのか? 宇宙人や未来人や超能力者を。
そうじゃないんだろう、本当は、本当は――――
「そのSSS団は、一体何をする集団なんだ?」
「入ってくれたら教える」
「は……?」
「重要機密事項だから」
「…………じゃあ、何の略?」
「それも機密」
彼女越しに目に飛び込む本棚。二段目にきっちりと並べられた涼宮ハルヒシリーズ全巻。
俺はもう、なんだか、胸がいっぱいだった。
「……ああ、いいよ、分かった。入ってやる。そのSSS団とやらに入ってやるよ」
彼女の表情が、ぱあっと明るくなった。そして、自然に出る言葉、
「――! ありがとう!」
なんだよ、ちゃんと言えるじゃないか。
そんなわけで、こんな風に、俺と田中真由子で、SSS団は結成されたのであった。
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