僕は100パーセントの女の子に出会った

真野絡繰

4月のある晴れた朝に

 こんなに美しい女の子に出会うのは初めてだった。


 どこか遠いところで誰かが仕組んだお陰で出会えたのかもしれないし、誰も仕組んでなんかいなかったかもしれない。とにかく僕は、4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会った。まぎれもない僥倖だった。


「君、名前は?」

 思わず訊いていた。それはシンクにためておいた水が排水溝に吸い込まれるぐらい自然なことだった。つまり僕は、だったのだ。


「私の名前より先に、あなたの名前は?」

「これは失礼。自分が名乗る前に訊くのはマナー違反だね。――僕はマイケル、よくある名前さ」

「いいのよ、マナーなんて気にすることないわ。この地球という惑星で大勢が肩をすり寄せて暮らしていくうえで、誰かを傷つけるのはつまらないこと。でも、小さな傷痕にこだわって生きるのは、もっとつまらないことよ」


 彼女は、吐き捨てるように言った。凜としていながら、どこか寂しげな表情だった。それは僕に、よく晴れた夜の冬の星座を思わせた。


「同感さ」

「でしょう? 私はマライア。覚えておいてね」


 彼女はそう言うと小さく微笑ほほえみ、そしてはにかんだ。おそらく、本心は後者のほうだと僕は思った。


「マライア……いい名前だね」

「そう? 音楽を人生の友とする父親が、大好きな歌手から譲り受けただけの凡庸な名前よ。マライア・キャリー、ご存じ?」

 ――何オクターブもの声域をもつ歌姫ディーバだ。だけど、このところは太ったり痩せたり、していて少々醜い。


「もちろん知ってるさ。母親が『アメリカン・アイドル』の大ファンだからね」

「あんなメルドーな番組、見ていたの?」

「横目でね。アダム・ランバートという歌手が群を抜いて素晴らしかった……ところで、僕のマイケルという名前もアーティストからなんだ」

「気づいてたわ、『キング・オブ・ポップ』の彼よね……。早逝したのは残念だと思うけれど、私には関係ない人よ。殆んど別世界だもの」


 僕の母親は1973年にピンボールに熱中した後でマイケル・ジャクソンに出会い、ムーンウォークを真似して新品のデッキシューズをダメにした経験がある。今はそれなりに年齢を重ねた母親にも、熱く燃え上がるような青春があった。おそらく、僕には想像もつかないほどの激しい恋愛も。


「家は、この近く?」と僕は訊いた。

 ここは僕の家の近所にある公園で、ややもすればスプートニクの打ち上げも可能なほど広い。そして、どんなものにも入口と出口があるように、この公園にも入口と出口がある。


「あそこの坂道を上がってしばらく行ったところが家よ。ノルウェイの木材で造られてるの」

 マライアは、大事なことを抽象的にではなく具象的に話した。4月の朝の光が彼女に当たり、亜麻色の髪がキラキラと輝いていた。なんというか、素敵な光景だった。


「僕の家は、こっちの方向さ」

「残念。私とは反対方向なのね……」

 ふと風が吹いた。それはマライアの悲しい心という名の風だった。ゴッホだったら、油彩画に描けるかもしれないタイプの風だ。


「君は、この公園によく来るの?」

「毎日じゃないわ。ときどきね」


「そうかい」と僕は言い、話を続けた。「僕は、散歩が日課なのさ。そして風の歌を聴く」

「なんだか、村上春樹の小説みたいね」


「僕は、『鼠』が好きだよ」

「あら、あなたも? 私も、鼠は好き」

「どうやら、意見が合ったようだね」

「やれやれ……って言いそうな顔してる」

「言おうか?」

 マライアは、肩を揺らして笑った。


「あなたは大きな体をしていて男らしいのに、ジョークも言うのね」

「ときどきさ」

「ところで、私たちまた会えるかしら? 私には散歩の日課はないけど、週末には家族と一緒によく来るの。この公園に」


 僕はマライアの言葉を注意深く聞き、はまぐりのように耳を澄ませていた。


「もちろん。君に会えるなら、僕はいつだってここに来る。いつだってね」

「本当に?」

「本当さ。たいていは、家族が一緒だけどね」

「家族、今どこにいるの?」


 僕は、ちょっと離れたベンチに座っている父親を指差し、「紺のカーディガンを着て、ベージュのコットンパンツをはいているのが父だよ」と言った。

「とても優しそう」

「ああ。尊敬に値する人さ」


 それから僕たちは、しばらく世間話を続けた。それは不思議な時間であり、複雑な記号が入り混じった楽譜のような時間だともいえた。いくつもの音が混じり合い、やがてハーモニーを形成していた。


「あ、母が迎えに来たわ。――会ってくれる?」


 突然の展開に、僕はひどく緊張した。でも、お母さんの笑顔を見たら、少しばかり安心できた。


「あらマライア、お友達ができたの? この大きなワンちゃんはゴールデンレトリーバーっていう種類なの。首輪の名前は……マイケル……いい子ねぇ」

 そう言うと、お母さんは僕の頭を優しく撫でてくれた。その手をめると、キャットフードの味がした。


 マライアは「ニャー」と鳴き、僕は「やれやれ」と思った。

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僕は100パーセントの女の子に出会った 真野絡繰 @Mano_Karakuri

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