○幕間 若者

 ゾンビの発生により学生たちの通学は難しいものとなっていた。

 少子化によって維持も難しくなっていた首都圏内の教育機関は、その多くがゾンビの影響によって閉鎖をよぎなくされていった。

 弱り目に祟り目という状況に陥り、生徒の確保と流出を防ぐために一つの手を打つ。

「ゾンビ事故を可能な限り防ぐため」という名目によって全寮制を規定したのだ。

 校内の敷地で生活や娯楽が済むようにと、あらゆる施設を幾つも造った。更には高等学部や大学だけでなく、就職先の斡旋まで行うエスカレータを生みだしたのだ。

 安全と自由と就職先が一度に入手できる──そんな素晴らしい宣伝文句に食いつく若者は少なくはない。

 そして生徒を集めることに成功した。

 都内の郊外に広大な敷地を有する「黒目炉くろめろ学園」はそうして生き残った。




 黒目炉学園へ進学した二条にじょうれいは本日から入寮である。

 生活区域にある女子寮の一棟。

 三階まで階段を上って、廊下の右端。指定された部屋のプレートを確認する。


(ここ、でいいんだよね……?)


 扉に鍵を挿してみると、施錠はされていなかった。不思議に思いながら扉を開けて令は固まる。

 肩からかけていた鞄がずり落ちて物音をたてる。

 部屋にはベッド、学習机、本棚が設置されていた。

 それはいい。玲の目をひいたのはそこではない。

 部屋の中心に先客がいた。


 下着姿の女性──のゾンビ。


 ゾンビ化が発症してまだ数日といった具合。ピンク色の下着だけが、腐り始めてまだら模様となった肉体を隠している。

 腐っていても柔らかそうな双丘に、ちょろりとこぼれさせているくびれ、まだ生物なまもののように張りのある太もも。

 ゾンビ化する前は美しく、スタイルが良かったのだと玲に教えてくる。

 ゆっくりと頭部を動かして扉口を見る《彼女》の白い双眸が、玲をしっかりと捉えた。

 初めて味わう不気味な視線に腰を抜かす。


「あっ……」


 立ち上がろうとするも、手足に力が入らない。


(入学したばっかりなのになぁ……。最期までや)


 突然の不幸に去来する思いは、生への渇望でも死への恐怖でもなく、自分の運の悪さに呆れることだけであった。

 玲は悲鳴をあげることもなく、ゾンビが襲ってくるのを待つ。


 しかし、数分が過ぎても、下着姿のセクシーなゾンビは一歩も動かない。


「そこで、何をしているの?」


 と。

 玲の頭の上からそんな声が聞こえてきた。

 すぐそばに少女が一人。

 少女は玲を見て、部屋の中を見ると「あら……」などと気の抜けた声を漏らした。


槙島まきしまさん、ごめんなさいね」


 そう呟いた少女はゆっくりとゾンビに近づいていく。

 おとなしくしているゾンビの両腕を縄で繋ぎ、白いタオルを結んで口を塞ぐ。


(襲われない……?)


 優しく労わるようにゾンビを拘束していく少女に、玲は目を奪われた。

 黒く長い髪とは対照的に白い肌。穏やかな形を持つ大きな瞳。桜色の唇には艶めかしさが宿っている。長身でセーラー服を纏った体躯は、玲が羨むほどに起伏が整っており、足首までを隠している長いスカートは少女のたたずまいにぴったりだ。


 ゾンビを繋いだ縄を片手に歩く姿は優雅に、凛とした空気を漂わせている。

 座り込んだままの玲の前で少女が立ち止まった。


「大丈夫よ」


 少女はそう言って、片手を差し出す。

 笑顔を浮かべている少女と目が合う。漆黒のような色をした瞳が玲を映し、数回まばたきをする。


「どうしたの?」

「え? あっ! いえ、すみません!」


 少女の気遣う声にはっとする。

 見惚れていましたなどとは言えるはずもなく。けれどそのおかげで、茫然と眺めていた玲は我に返ることができた。

 慌てて立ち上がり、取りつくろうように服や髪をいじる。

 玲の様子を見ていた少女は唇に指を当て、小さく微笑んだ。


「この部屋はね、以前この方が使っていたの」

「そうなんですか」


 この方と呼ばれたゾンビは微かに反応し、玲のほうへ首をかしげた。

 微妙に顔を強張こわばらせる玲に少女がたずねる。


「あなた、お名前は?」

「に、二条玲です」

「あら……あなたがだったの。そうよね、この部屋の前にいたんですもの」

「え?」


 その瞬間、玲の中で少女に対する警戒心が生まれる。

 見知らぬ相手が自分のことを知っていると伝えてくる──今の玲が不安になるには充分な理由だ。

 戸惑う玲を前に、少女は一人で納得している。


「あ、あの。どうして、わたしのことを?」

「新入生の名前と部屋割りをね、覚えておいたのよ」

「へ?」


 玲が予想したものより単純シンプルな返事。

 あからさまに脱力する玲を見て、少女がふふっと笑う。


「私はここの寮長を務めさせていただいている伏見ふしみ揚羽あげはです」

「あっ、はい。よ、よろしくお願いします!」

「これからよろしくね、二条さん」


 挨拶をすませると、揚羽と名乗った少女が離れていく。

 その後ろ姿を眺めていた玲は唐突に走り出し、


「あ、あの!」


 背後から揚羽の制服のえりを掴んだ。「うぐっ」という唸り声が聞こえる。


「あっ、すいません!」

「……なにかしら?」

「あの、伏見さんは、ゾンビに、えっと、ゾンビの扱いに詳しいんですか?」


 揚羽は若干引きつった笑顔を浮かべていたが、質問をきくと目を丸くする。


「え? どうかしら? 人並みには、学んでいますけど……。なにかしら?」


 聞き返された玲は答えるかどうか、一瞬躊躇ちゅうちょしたあとに、別の質問を重ねた。


「わたしが……、自分が、ゾンビになる方法ってありませんか?」


 途端に、揚羽が呆れたような顔へと変貌する。


「…………はぁ?」


 揚羽の玲を見る目つきは、ゾンビを拘束していたときのものと打って変わって、「なんだこの馬鹿は」とでも言いたげな冷ややかなものだ。

 玲は揚羽のまとっていたたおやかさが消え去っていたことに、やっと気がついた。

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都市のゾンビは自由にする hino @hiro_hino

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