●2 ゾンビ化
津和野が会社へ戻ってくると、休憩室では後輩の
休憩室に津和野が入ってきたことにも気がつかないほど集中しているのか、手に持ったドローンの部品から視線を離さず、ぶつぶつと何かを呟いている。
そこかしこに散らばった機械工具を慣れた足取りで避けながら歩き、ソファーへと腰を掛ける。
安いビニールレザーのソファーが情けない音を鳴らすと、やっと津和野に気がついた七尾が作業を切り上げて笑顔を向けた。
「先輩、おつです」
「ここで作業すんなって言ってんだろ」
「緊急メンテなんで。社長には許可取りましたよ」
まったく物怖じせず言い返す後輩に、軽い溜め息が津和野から漏れる。出会って二年、入社して一年、一貫して七尾の態度にブレはなかった。
オレンジ色をしたエアリーボブのウィッグを被り、真っ白な細身のパンツスーツを纏った一見華奢で小柄な女性の姿であるが、七尾は紛うことなき男性である。
そしてゾンビ発生後入社した社員の中で唯一、一週間以上無事に出社している新人であった。
「そんなことより聞いてくださいよ! 僕のドローンに直接クレーム付けてきた馬鹿な客がいたんです! ウチのドローンがダメだから中のフィギュアが欠けたとか言い出してきたんですよ!? フィギュアなんてドローン配送に適した荷物じゃないなんてわかるじゃないですか? それとも、馬鹿だからそんなこともわかんないんですかね? だいたい着荷店舗にある受け取り地点の不備を確認する前からドローンのせいにするなんて、配送の仕組みすらわかってない馬鹿じゃないですか。なんでそんな馬鹿が料金の高いドローン配送使う必要あるんですか? 馬鹿だから料金が高いほうが良いもんだとか思っちゃうんですかね? あーっ、もーっ! ほんっと、腹立ちますよ!」
「わーった、わーった」
七尾は入社一年の新人でありながらドローン配送の一切を指揮している。彼以上にドローンの制御やプログラムについての見識がある人材はいないという理由であった。そのせいもあって多少の勝手は見過ごされている。
ソファーから立ち上がった津和野は休憩室を抜けてロッカールームへと向かい、喧しく騒ぐ後輩を放置して着替えを始める。スーツに着替えを済ませて休憩室へ戻ってくると、津和野を待っていたらしい七尾がソファーに寝転がっていた。
散らかしていた工具などはどこへ仕舞ったのかすべて片付いていた。
「先輩、お昼ご飯は?」
「済ませたよ」
「ああ、よかった。僕はこれからなんですよ、一緒に行きましょう」
「いや、俺は食ったと」
津和野の声を無視して、七尾は「ちょっと先輩とランチ行ってきます」などと事務室の者達に声をかけている。
時刻は午後三時の少し前。規定の昼食時間からは大幅に遅れている。
◇
会社付近にあるビルの四階。使い慣れた喫茶店へとやってきた二人は定位置としている席に座る。津和野は珈琲を、七尾はランチメニューをそれぞれ注文した。
津和野は一面がガラス張りになった店内から新橋駅前汐留口の様子を眺める。平日の昼間とあって駅前は早足で歩くスーツ姿の者ばかりだ。皆が皆、競歩でもしているかのように必死で歩いている。横断歩道の赤信号でも立ち止まっている者はおらず、幾人かがぐるぐるとその場で歩き回り、ノイローゼになったクマにありがちな行動をとっている。
「なんか面白いもんでも見えますか?」
七尾の特に意味のない問い掛けに黙って首を振る。何も珍しい光景ではない。
「そうだ、先輩も明日休みなんですよね? アキバ行きませんか、アキバ。新しい
「行かねえよ。明日は出かける用事があるからな」
「えっ? 面倒臭がりで出不精な先輩が休日に用事……?」
「なんだよ」
「いえ、別に。で、何の用事なんですか?」
七尾はころころと表情を変え、大袈裟なリアクションを取る。いちいち演技がかった反応をしてくる、鬱陶しい後輩からの遠慮がない好奇心のみの質問に、津和野は不快感を隠さず溜め息を吐く。しかし七尾はまったく気にしない。
「
「えっ? そんな面倒見が良い人じゃないでしょ、先輩は」
「うるせえ」
突然店内に大きな音が響き、二人の他愛の無い雑談は唐突に打ち切られた。
津和野が音のしたほうへと首を向けると、一人の男性がテーブルにうつ伏せていた。まだ食べかけのミートソーススパゲティの皿へ顔をうずめている。面白い食事の仕方を試しているのではないだろうことは誰の目にも明らかだ。
「あーあ、お可哀想に」
男性に向けて合掌をした七尾はスマホを取り出す。直後、津和野のスマホが振るえた。画面を確認すると『あれゾンビ化ですよね?』というメッセージが表示されている。『5分もすればわかる』とだけ返事を打つとすぐにポケットへ戻した。ポケットの中ではしつこくスマホが振動しており、正面に座る七尾は表情で「スマホを取れ」と言っている。
無言でやり取りをしているのは二人だけではなく、他の客も店員も同じようにジェスチャーでコミュニケーションをとっていた。
店の中から音が消えて数分。がちゃりと音がした。
ゆらりと立ち上がった男性の顔はミートソース塗れだ。白いワイシャツの胸元がオレンジ色に染まっている。
横目で確認した津和野は目を伏せ静かに呼吸をする。目を開けると七尾が「当たったぜ」という顔でサムズアップをしている。はたきたいという衝動を津和野はぐっとこらえた。
ふらふらと、何も言わずに男性は店から出ていった。会計を済ませた様子はなく、店員たちも何も言わない。店内から男性の姿が見えなくなって、ようやく緊張が解かれる。方々から安堵の空気が産まれる。
七尾の予想通り男性はゾンビ化──「急性死後活動症候群」だった。
突然の「死」から数分の後に死体となって動きだし、肉体が崩れ落ちて骨だけになるまで活動が止まらない原因不明の不死の病。
「いやー、狭いとこでゾンビ化に遭うと怖いもんですね」
その言葉とは真逆に、そういう七尾の顔は何かのアトラクションを楽しんだばかりの子どものようだ。
「ゾンビ化したては、そんなに危なくねえよ」
「そういうもんですか?」
「本当に危ねえのは、そうだな……今の男なら、店から駅まで歩いた辺りだな」
七尾は目を丸くし、すぐさま眉間にしわを寄せた。
「……よくそんなこと予測できますね。変態ですか」
「外回り舐めんな。あんなもん、最初の年で見慣れた」
「うわー、イヤなもん見慣れてますねー」
顔をしかめた七尾がスマホをいじりだすと、窓の外からモーター音が聞こえてくる。
会社に置かれていたはずの、七尾による改造ドローンがカメラのレンズを津和野に向けて空中停止していた。距離を間違えれば一面の窓ガラスは粉々に割れて津和野に降り注いでいただろう。
「おい」
「いや、帰り道にいたらイヤじゃないですか?」
七尾が画面をタッチするとドローンはビルの入り口周辺にカメラを向ける。
ゾンビ化した男性はすぐに見つかった。
店を出ていったときと同じようにふらふらとしたままだ。すれ違う者たちは何も見ていないかのように通り過ぎて、誰も男性に注意していない。
「ひどいもんですねー、誰か保護してあげればいいのに。ほんと都会って冷たい」
「下手に話しかけたり騒いだり、声を出せばゾンビに狙われやすくなる。今の世の中、誰だって知ってることだろ」
「あっ」
車の急ブレーキ音。そして大きなモノがぶつかった衝撃音。
笑いをこらえている七尾に突きだされたスマホの画面には、タクシーに弾かれ飛ばされた男性が道路に寝そべっている
「先輩の予測、ハズレましたね」
「……」
「外回り舐めんな、でしたっけ?」
「うるせえよ」
画面は倒れたままの男性に近づいていくタクシー運転手の姿を映し出す。
心臓マッサージを試みている様子から、男性がゾンビ化しているとは考えていないことが明白だった。
「いい人もいるもんですね」
「見た目で判断すりゃあ、誰だって人を撥ねたと思うからな」
「どっかの、客にゾンビをけしかける先輩に爪の垢を煎じて目から飲ませてやりたいです」
「……盗み見してんじゃねえよ」
「ほら僕、先輩のファンですから」
津和野は一回舌打ちをすると伝票を掴み席を立つ。後ろから「ごちそうさまです」と楽しげな声がした。
◇
二人が店から事故の現場の傍までやって来たときには、ゾンビがタクシー運転手を相手に、道路の真ん中で格闘中であった。
停車されたタクシーによって駅前は車が溜まり始めている。列の後方からクラクションが幾つか鳴るものの、運転手が襲われている様子は見えていないようだ。
「どっちが勝ちますかね」
「勝ちも負けもねえよ。対策課の人間がすぐに来る」
「それも現場舐めんな、的な予測ですか?」
「……お前はいつゾンビになるか、ゾンビに襲われるかしてくれるんだろうな」
「ひっどいなー。そんなこと言ってると、先輩がゾンビ化したときに僕が部屋で飼ってやりますからね? ご飯とか、一日一食ですよ」
「ゾンビになったら真っ先にお前のこと襲ってやるよ」
津和野はスマホを操作しアプリを起動させた。対策課へ連絡が入っているかどうかを確認すると先ほどの店が既に連絡を入れていたのがわかった。
無言のまま斜め後ろに立つ七尾に上着とスマホを渡し、津和野は駆け出す。
マウントポジションを取っていたゾンビは助走をつけてのドロップキックに気がつく間もなく、道路をごろごろと転がっていく。
「大丈夫、ですか?」
茫然としたままの運転手は津和野の呼びかけに答えられない。
擦り傷や噛まれた痕はあるが命に別状はない。そう判断した津和野は運転手を放っておき、転がってうつ伏せたままのゾンビへと駆け寄る。
起き上がろうとするゾンビの上に座り、頭を地面に押し付けた。
抵抗の姿勢を見せるゾンビは必死に頭を動かす。勢いよく空を噛む歯が、がちんがちんという音を響かせている。
「渋滞起こすようなマネしてんじゃねえ」
駆け出してから確保まで、ほんのわずかな間の出来事だった。
周囲で様子を窺っていた者や通りすがりのサラリーマンたちからは、まばらな称賛の拍手。「お疲れ様」や「ありがとう」という言葉まで聞こえてくると、津和野の耳が少しだけ赤くなった。
彼らとてゾンビ化した者が付近にいるのは危険だと認識している。だからといって、ゾンビを抑えようとするなど危険な真似は避けているだけだった。
「先輩、そろそろ次の配送の時間がきたんで、先に帰りますね」
「は?」
「あっ、ちゃんと見ててあげますから安心してください」
七尾が指さした上空には会社のドローンが静止している。ゾンビの確保の瞬間もしっかりと撮っていたのだろう。
「おい、そうじゃねえよ。役人に説明するのに、俺だけじゃあ手間が」
「皆には先輩は遅れるって言っておきますんでー」
「それでは」と言いながら片手でポーズをとった
それから五分間。
警察官が来るまで、津和野は暴れるゾンビに座し、道行く者達から無遠慮に写真を撮られながら、自分を映しているドローンのカメラを睨み続けた。
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