第6話:ピカソと配色と

キュビズムの話、続く。


「……で、まあこのキュビズムは世界中に凄まじいショックを与えたんだ」

「あれ、ピカソは「アビニヨンの娘たち」を友人にしか見せなかったのよね?」

「さっき説明したブラック氏の影響だよ。ピカソもブラックと同様にキュビズムに可能性を見出した。以降、この二人はキュビズムの理解者として、ライバルとして、互いにキュビズムの作品をたくさん作り上げていくんだ」

「ふーん」

「それで、この一見めちゃくちゃでキテレツに見えるピカソの作品も、絵画における基本をしっかりと押さえてることを知ってる?」

「し、知ってるわ」

「……あ、うん」

「何よその間は」


 聞き方を間違えたと俺は後悔した。今の反応は強がりの反応だ。ではゆるりと解説に参ろうか。

「……色彩の話をしよう」

「……ええっと?」

「今までいろんな絵画を見てきただろう? どんな絵にも「色彩」と「配色」が存在している」

「……色彩? 配色?」

「色彩っていうのは色のことだ。赤、青、黄色、他にもたくさん。配色っていうのは、その色彩を画面にどう配置するかってこと」

「いや、そうじゃなくて、それは分かるんだけど」

「うんうん。白と黒は色彩に含まれるか、という話だね。最近では白や黒も「色彩」に含まれるという考え方が強くなってきたけど、未だにそうは思っていない人もいて……。戦争が始まるからやめておこう」


 俺の言葉にしかし、鈴音は待ったと声をかける。

「色彩の話って、そんなの言われなくてもわかるわよ。色でしょ? 綺麗に見えればそれで良いじゃない」

「ノンノン、色の配置には定石セオリーがあるんだ。ここでは、今まで美術の成績が振るわなかった人でも、綺麗に見える色の組み合わせがわかるように解説していきたいんだ」

「色なんて、センスじゃないの?」

「いや、れっきとした理論だ」

 俺は断言する。

 鈴音は怪訝な眼差しだ。

「ふーん。でも、なんだかんだ言って結局本人のセンスが試されたりするんでしょ?」

「まあまあ、一回話を聞いてくれ。色を考える上で、三つの言葉を知らなきゃいけないんだけど」

「うわ、難しそうなのがきた」


 うーん。たしかにそうなる気持ちはわかる。できるだけ専門用語を使わないで解説するから許してくれ。

「専門用語では「色相」「明度」「彩度」というんだけど、これじゃあ分かりにくいから簡単な言葉を用意した」


・色の傾向

・明るさ

・鮮やかさ


「……わからない。どういうこと?」

「色相、つまり色の傾向。これは何というか……赤っぽい色、青っぽい色、黄色っぽい色、みたいに色には大体の色味の方向性があるだろう? 色相環、というのを美術の教科書なんかで見たことはないかな?」

「あの、丸い虹みたいなやつ?」

「そうそう。あれが色相。つまり色の傾向だ」

「それじゃ、明度っていうのは? 明るさって……?」

「赤に白を混ぜればピンクになるし、赤に黒を混ぜれば茶色になるだろう? あんな感じで、白を混ぜてできる明るい色と、黒を混ぜてできる暗い色があることを意識して欲しい。色には明るさがあるんだ。白に近いほど明度が高く、黒に近いほど明度が低いという考え方で大体合ってる」

「それじゃ、彩度、っていうのは? 鮮やかさっていうことの意味がよくわからないわ。それって感覚じゃないの?」


 そう。この三種類の中で一番難しい概念が「彩度」、つまり色の鮮やかさだ。パソコンのペイントソフトなんかで、色相環をぐりぐりいじって、横の白黒のグラデーションのバーで明度をいじった経験のある人は、この情報化社会ならそこそこいるのではなかろうか。それに対して「彩度」の感覚はアナログで絵の具を混ぜた経験のある人でないとなかなか分かりづらい。


「そうだなあ、小学生とか幼稚園とかで、絵の具を使って絵を描いたことはあるだろう?」

「ええ、まあ。そんなにうまくなかったけど」

「その時、たくさんの種類の絵の具を混ぜて汚い色ができてしまった、なんて経験はないかな?」

「あっ、あるわ! たくさん混ぜれば綺麗になると思って、汚い色になって、もっと色を混ぜて、さらに……。あっ。……わ、私の話じゃないわよ!」

「ははは、そうだね」

「何よ! 馬鹿にしないでよ!」

 鈴音はかわいいなあ、と心の中でだけつぶやく。

 声に出したらどうなるかって? 殴られるよ。痛いよ。


「まず、基礎知識。!」

「……小学生の時に知りたかった」

「つまり、簡単に言うと彩度、つまり色の鮮やかさっていうのはを示す指標なんだ」

「ははーん。あれ、原色?」

「三原色。聞いたことはあるでしょ?」

「えっと、赤、青、緑!」

「光の三原色だね」

「色の三原色は、赤、青、黄色!」

「正確に言うとマゼンタ、シアン、イエローだけどね」

「き、黄色は正解でいいでしょ!?」

「黄色とイエローは違う色だよ?」

「……えっ」


 気持ちはわかる。ちなみに対応する英語と日本語の色が少し違うというのはよくあることだ。勉強すればするほど訳がわからなくなるのもまた、色彩学の醍醐味。

「それで、それじゃあ配色の話をしようか」

「ええっと、色の配置とか、組み合わせとか」

「そうそう。まずは色相を思い出して」

「色の傾向、だっけ?」

「そう。ええっと「補色」という言葉は聞いたことある?」

「知ってるわ! あの虹色の輪っか……」

「色相環?」

「そう、色相環で反対に来る色同士の組み合わせのことでしょ!」

「すごい! その通りだ。赤と緑、青とオレンジ、紫と黄色なんかが有名な組み合わせだね。この二種類の色は、隣り合った時にめちゃくちゃ目立つ」

「へえ」

「そして次に「三角色」という色の組み合わせがある」

「三角色?」

「色相環の上で、ちょうど正三角形ができるような色の組み合わせのことだよ。赤青黄の組み合わせと、紫緑オレンジの組み合わせだね」

「ふーん。それで、「三角色」にはどんな特徴があるの?」


 待ってました、とばかりに俺は言う。

「三角色は、画面を安定させるんだ。つまり、バランスの良い組み合わせだ。落ち着く色の組み合わせなんだよ」

「ふうん」

「そしてこれは、ピカソが特に好んだ配色でもあるんだ!」


 ピカソのキュビズム作品は、この三角色の組み合わせがよく使われている。ピカソは形態の斬新さに対して、色に関してはかなり保守的だ。

「もしかしたら、落ち着いた色の組み合わせで、奇抜な形とバランスを取ろうとしたのかもしれないし……、あるいは、純粋に画面の美しさを求めていたのかもしれないね」

「そっか、いろいろあるのね」


「そして、明度の高い色はもちろん明るい雰囲気、明度の低い色は逆に暗い雰囲気」「それはなんとなくわかるわ」

「そして、明度が高い、あるいは明度が低いっていうことは、白や黒がたくさん混ぜられてる色だってことはわかる?」

「ええ、なんとなく」

「だから、明度が高くなるほど、逆に低くなるほど、どちらにしても彩度はどんどん下がっていくんだ」

「なるほど」

「でもこれは、逆に言えば「色の調子が似てくる」ということでもある。だから、明度の高い色同士、あるいは明度の低い色同士の組み合わせも、落ち着いた雰囲気になることが多いんだ。……さて、まとめると」


・補色同士(赤と緑、青とオレンジ、紫と黄色)は目立つ色の組み合わせ

・三角色(赤青黄、紫緑オレンジ)はバランスが良い色の組み合わせ

・明るい色同士、暗い色同士は落ち着いた雰囲気

・同様に、濁った色同士も落ち着いた雰囲気

・逆に、鮮やかな色同士ははっきりとした雰囲気


「こんな感じかな」

「なんか話してなかった内容も含まれてるんだけど……」

「おまけだよ」

「おまけって」


 さて、色の話はこれくらい。

 次は形の話をしよう。

「さて、次に俺がするのは形の話。インスタレーションを語る上で欠かせない概念だけど、いまいち意識高そうで覚えづらい言葉だ」

「何それ?」


 俺は一度息を吸って、言う。

「——コンポジションの話だ」

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べ、別にインスタレーションを知らないんじゃないんだからね! 山田病太郎 @yamada_byotaro

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