第5話:キュビズムって何なんだ!
「キュビズムってのは、簡単に言うとピカソの絵だ」
「あー、あの落が……。個性的な絵ね!」
「個性的、かというと疑問が残るな。キュビズムを始めたのは間違いなくピカソだけど、その手法は多くの画家たちが取り入れている」
そして俺は、鈴音が「落書き」と言いそうになったことを聞き逃してなどいない。けれどもそれは言わぬが花だ。沈黙は金、雄弁は銀だ。
「キュビズムの始まりは、ピカソの描いた一枚の絵……といきたいところだけど、その解説をする前に紹介しておかなきゃいけない印象派の画家がいる」
「へー。何ていう人?」
「ポール・セザンヌ」
「へ、へー」
ああ、この反応は知らない反応だ。
知っている人ならすぐにわかると思うが、やたら林檎の絵を描く画家だ。林檎といえばセザンヌ。セザンヌといえば林檎。キャラクターの濃い印象派の画家の中でもなかなかの有名株であるといえよう。ちなみにセザンヌは印象派というよりはポスト印象派という区分にされることもある。
「セザンヌの作品は、間違いなくピカソが「キュビズム」という手法を生み出すに至ったきっかけになっているんだ」
俺はセザンヌの絵を画像検索。「セザンヌ りんご」と検索すれば出てくる、林檎の山。山。
「けっこう滑らかな筆使いなのね」
「画像だとそう見えるかな? セザンヌは正方形や長方形の箱を、モザイク模様のように組み合わせて絵を描いてるんだけどね。そういう手法は彼の友人の
「でも、何の変哲も無い絵に感じるわ。置かれた林檎のバランス? は綺麗に感じるけど」
「おっ、鈴音はどうしてなかなかいい目をしてるなあ。そう、セザンヌは幾何学的に計算された、美しい画面構成を得意としていたんだ。これは後期の近代美術に通じる考え方で、だからセザンヌは「近代絵画の父」とまで言われているんだ」
「ほ、褒めても何も出ないわよ!」
照れを隠す鈴音の姿に多少ほっこりしつつも、俺はセザンヌの絵を拡大する。このノートパソコンは画像編集用に無駄に高画質だ。発色も良い。
「セザンヌの絵は、一見すると普通に見えるけど、実際にはどう考えてもありえないモチーフの配置がなされているんだ」
「ええっと……?」
「見ているうちに違和感に気付くはずだ。この絵には、決まった視点が存在していないんだ」
中世以降、多くの画家は一つの視点から対象を描く。さながら、ある一場面をカメラで切り取ったように、つまり画家の視点から描かれた単一の景色を画面に描いている。
「そんな単一視点が普通の絵なわけだけど、この絵は違う。複数の視点から見たモチーフが、まるで同じ場所に存在しているように描かれているんだ」
見下ろす角度を考えると、明らかに
「印象派がより自由な表現を模索する中から生まれたこれ。これがキュビズムの種になる。そしてその種を拾って育てたのが……」
「ピカソなのね?」
「そう! キュビズムを知るにはまずピカソから。大河ドラマさながら、彼の生まれから話していっても良いんだけど……、まあいいや。細かいところは省きつつ、要点だけを追っていこう」
ピカソは若い頃から絵を描いていて、研究熱心な人柄もあってか、その人生の中で何度も画風を変えている。
「ピカソの絵を語るとき、まず最初の時期を「青の時代」と呼んでいる」
「へー。青春の「青」ね?」
「それもあるけど、
「……えっ?」
「自殺したんだ。親友が」
「……」
絶句か。まあそうだろう。例えば学園ラブコメの一ページ目で親友が死んだら誰でも絶句する。ピカソの伝記なんかを読むと、序盤で親友が死ぬという劇的な展開を拝むことになるので、ある程度の注意が必要だ。
「この時期のピカソの絵はひたすら暗い。乞食や娼婦や盲目の人といった、当時、最低水準の生活を送っていた不幸な人々を題材にした作品ばかりを描いていたんだ」
だが、技術的な側面を見ると早くも天才の片鱗を見せはじめている。まだオリジナリティ溢れる画風ではないが、節々からセンスを感じるとでも言おうか。
ちなみに、ピカソが8歳のときに描いたと言われる、彼が自分の父親の姿を描いたデッサンがある。一度ネットを駆使して見てみると良いかもしれない。ピカソが天才と言われる所以がわかるはずだ。このうまさで8歳って。
さて、俺が画像検索で「ピカソ 青の時代」と入力して出した絵を眺める鈴音はぽつりと言う。
「……驚いた。暗いけど普通の絵ね」
「だろう? まだ「落書きみたい」な絵は描いてないんだ」
「だから……!」
ご立腹の鈴音をどうどうとなだめ、続ける。
「そしてピカソは結婚し、明るい画風になる。これが「バラの時代」」
「ピカソ立ち直るの早い!」
「早くないよ。俺が端折ってるだけだ」
バラの時代の絵を画像検索で表示する。
「明るくなったわね。まだ普通の絵だけど」
「うん。さっきの青の時代に比べると明るく見える。まだピカソ晩年の無邪気で豊かな色彩には及ばないけどね」
ピカソの絵は常に進化していた。
「そしてピカソはこの後、アフリカ彫刻の影響を受けた作品を描くようになるんだけど……。このとき、後世にも語り継がれる伝説の作品が生まれるんだ」
キュビズムという時代の幕開けがあるとするなら、それはまさにピカソのこの作品から始まったと言っても過言ではない。
「それが、「
「アビニヨンの娘たち?」
「アビニヨンっていうのは、バルセロナにあった通りの名前で……、まあ、何だ。青少年の健全な教育を妨げるようなアレだ」
「どゆこと?」
「春の街……っていうか?」
「………………!」
しばらく黙っていた鈴音が、急に真っ赤になって口をパクパクさせだした。
「ともかく、その絵はアビニヨンの春を売る女性たちを描いた作品だったんだ」
さあ見てみよう、と俺はパソコンに文字を打ち込む。「アビニヨンの娘たち」
「ちょ、ちょっ、まさかエロい絵なんじゃないでしょうね!?」
「エロくないよ。相当な上級者じゃなきゃいろいろ無理がある」
表示されたのは、ピカソといえば、みたいな、不思議な線で描かれた五人の女性が描かれた絵だ。
「……」
「ね? エロくはないでしょ?」
「……ブサイク?」
随分と口さがないな。
「っていうか何これ。え? ピカソはなんか、心の病気だったの?」
「うん。はじめ、ピカソはこの絵を公表せず、親しい友人たちにだけ見せたんだけど……。その友人たちも概ね鈴音と同じ反応をしたらしい。今までの絵を見た後でこれを見ると、友人たちの気持ちもわからないでもないけどね」
中にはピカソが自殺でもするんじゃないかと本気で心配した友人もいたらしい。確かに、昨日まで絵の天才だと思ってたやつが、「これ、うまくね!?」と嬉々としてこの絵を見せに来たらショックは大きかったことだろう。
「まだ絵画の既成概念を壊す、という感覚が浸透していない時代だ。印象派が多少は切り崩したと言っても、まだそれは「見たままの世界を描いた絵」である余地を大きく残していたんだ。だからピカソの友人たちの殆どは、ピカソのこの絵が世紀の大発明になるだなんて考えてはいなかったんだ」
「えー、でも、やっぱり何がすごいのかはわからないんだけど?」
「まあね。みんなそう思ってたんじゃないかな。けれども、ピカソの友人たちの中で一人だけ、この「アビニヨンの娘たち」の
俺はひとつ息をつく。
「彼の名前はジョルジュ・ブラック。キュビズムをピカソとともに完成させた男だ」
ブラックはめちゃくちゃガタイの良い男前だったらしく、その外見と名前から「白い黒人」とあだ名されるような見た目だったともいう。
鈴音はしかし、納得いかないという表情。
「で、なんか凄そうな雰囲気だけは伝わってきたけど、結局キュビズムってどういうことなの?」
「さて、それじゃあ何故、俺がセザンヌの話を最初にしたのか、ということを考えて欲しいんだ」
「えー?」
ほら、この絵を見ながらで良いから、と俺はパソコンに映し出された「アビニヨンの娘たち」を鈴音に見せる。
「……変な絵だということしかわかんない」
「じゃあ、セザンヌの絵の特徴を覚えてるか?」
「モザイク模様みたいに描かれてて、いろんな視点から描かれてる?」
「その通り! それがまさに、キュビズムなんだ!」
「……?」
鈴音は首をかしげる。
俺は高らかに宣言する。
「つまり、キュビズムっていうのは、見た対象をキューブのように分解して、いろんな角度から見た状態にバラバラにして、それを同じ画面の上に再構成し直す絵画技法のことなんだ!」
「そっか、やってることは印象派の人と同じで……、クロの言葉を借りるななら、見た景色を、自分の目と脳みそと感性と筆っていうフィルターを通して、画面の上に描き出しただけ、ってことね」
「そう! その通り!」
「そっか、そう思ったらなんだか、ピカソの絵も……」
「落書きには見えないだろう?」
「……」
「痛い!」
無言で叩かれた。
何故だ。ひどい。
キュビズムの話、続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます