第4話:印象はコロンブスの卵?
「当時、パリでもてはやされていた絵はもっぱら歴史画だ。専門用語では「新古典主義」っていうんだけど」
「わかんないわ」
「えっと、聖書や歴史の出来事を劇的に、ロマンチックに描く手法だ。特徴としては筆の跡を残さない、艶やかで滑らかな画面かな?」
「うーん……?」
「有名な作品だと、教科書とかで見たこと無いかな? ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」とか……、ああ、そうだ! あの有名な、馬に乗ったナポレオンを描いたダヴィットの「サン・ベルナール峠のナポレオン」とか」
「ああ、それなら知ってるわ。確かに劇的、っていうのはわかる気がする。でも、筆の跡を残さないってどういうこと?」
確かに、キャンパスの上に絵の具を乗せたことの無い人には少しわかりづらいかもしれない。
「そっかあ、鈴音もさすがにそこまでは分からんよなあ」
「わ、わかるし!」
真っ赤になってムキになる姿も可愛いなあ、なんて言ったら恐ろしいことになるのは請け合いなので、俺はおとなしく、さりげなーく解説する。
「うんうん。そうだな。分かるもんな。じゃあここで早速、印象派の絵を思い出して欲しい」
「……えっと」
確かに、思い出せと言われてすぐに印象派の絵がぽんぽん出てくるような絵画オタクなら、俺のところにモノを訪ねに来ようなんては思わないはずだ。
「そうだなあ、わかりやすく言うと、ゴッホの「ひまわり」とかも印象派の絵画だぞ。有名どころなら他に、モネの「睡蓮」とか……」
しかし鈴音の表情は浮かない。うーむ、仕方ない。
俺は手近のノートパソコンをひっぱりだし、ブラウザの検索フォームに「印象派」と打ち込んだ。画像検索の結果を表示すると、印象派のきらびやかな絵画たちが画面上に映し出された。
「ほら、こんな絵画だ」
「し、知ってるし!」
「そうだな。俺が確認したかっただけだ」
「……むぐぐ」
画像を拡大表示する。
「何かわかることがあるか?」
「……綺麗?」
「そりゃそうなんだけど」
仕方が無い。今度は別のウィンドウで「新古典主義」と入力して画像を出す。
「比べてみて何かわかる?」
「……印象派のほうが、線が荒っぽい?」
「そう! その通りだよ鈴音!」
極力筆の跡を残さない新古典主義を含む従来の絵画に対し、印象派はむしろ、筆跡で画面を描く。
「この筆跡が残る段階っていうのは、新古典主義の画家たちにとっては「未完成の状態」なんだ。ここからさらに、油の分量を増やした絵の具で滑らかな画面を構成していくからね。だから印象派は当時、そりゃもう滅茶苦茶なバッシングを受けたんだ」
「え? そりゃあ未完成だったらダメじゃない。こんなに綺麗なんだから、もっと描き加えたら、もっと素敵になるはずでしょ?」
「そう。当時の新古典派の画家や批評家たちも同じ考え方だった。こんな絵は手抜きだってね。だけどね、違うんだ。印象派の巨匠たちが目指した芸術ってのは、当時としてはまさに画期的、コロンブスの卵、コペルニクス的転回、あるいは芸術の本来の目的の再興と言ってもいいものだったんだ!」
「うるさいうるさい」
「……あ、ごめん」
しまった。つい熱くなってしまった。
「つまるところ、印象派が目指したのは自分か感じ取った印象を絵にするってことなんだ」
「どゆこと?」
「見たものをそのまま描くなら、絵が描ける人なら誰でもできる。極論、写真で撮ったっていいわけだ。だけどそれじゃあ「自分の絵」である意味が無い。印象派の巨匠たちはそう思ったんだ」
じゃあどうするか。
自分だけの個性を絵に載せるには? 簡単な答えだ。
「ただ見たままを描くんじゃ無い。その風景を見て、自分が感じた印象を描く。自分の目とか、脳みそとか、感性とか、筆とか、そういうフィルターを通して、風景をキャンパスに文字通り印象すればいい」
「そっか、自分の個性を絵の具に乗せたんだ」
「お、素敵な表現だな。うん、そんな感じ。そしてこれは「本物そっくり」なのが上手な絵、素晴らしい絵、という、一般に根強く残っていた考えを一気に払拭することになるんだ」
意味がわからなくてもいい。その絵に感じるものがあるかどうか。いい絵だと思う人が一人でもいれば、それはいい絵だ。当たり前のことだが、これを印象派は一般的な考え方になるまで押し上げた。
「これがキュビズムみたいな、従来の絵画観をさらに打ち砕いていく様々な芸術運動の起爆剤になっていくというわけ」
「ふーん。それはわかったわ。けど、それとインスタレーションってどんな関係があるのよ」
「えっ」
「っていうか、キュビズムって何よ」
「ぐへっ」
く……。だが、印象派の歴史をばやっと知ってしまえば、現代の美術はつまるところ「美術の常識」の破壊であることは簡単に説明できる。
とすると、キュビズムというのは随分と扱いやすい話題だ。
「キュビズム……。いいだろう、説明してやる。これを知れば、二度とピカソの絵が落書きだなんてことは言えなくなるはずだ……」
「だ、だからそんな昔のこと、もう忘れなさいよ!」
「じゃあ、キュビズムって何なんですかぁー? 説明してみてくださぁーい。できないんですかぁー?」
ばちーん、と叩かれた。痛い。
「す、すみません調子乗りすぎました。責任取るので許してください」
「せ、責任……?」
なぜか真っ赤になって湯気を吹き出す鈴音。どうした。
「どうした?」
「い、いいからキュビズムについて説明しなさいよ!」
うーむ、しかしこれ以上鈴音をおちょくるのは危険と見た。おとなしく説明していかねばなるまい。
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