第3話:印象って何なんだ!?
いんしょう【印象】
1、[名]見たり聞いたりした時、心に対象が直接与える影響や感覚。強く感じて忘れられないこと。「第一__」「__が薄い」「強い__を与える」
2、[名]美学で、対象が人間の精神に与える情熱的、あるいは鮮烈な影響や感覚。
3、[ス他]押し付けるなどして、色や形を残すこと。「景色を__スる」「__サれてできた化石」
「いや、そういうことじゃなくて」
俺が読み上げた辞書の内容を一喝するのは鈴音だ。
「何が違うんだ?」
「さっきからクロ、「作品から受ける印象」とか、「印象、日の出」とか、やたら印象を推してくるじゃない」
別に推してるわけではないし。「印象、日の出」とかただの絵のタイトルだし。
「っていうかアレでしょ? モネって『印象派』の画家なんでしょ?」
「おまっ……」
感動した。まさか鈴音がここまで美術について知っているなんて。
「ピカソを落書きだと言っていた時代が嘘のようだなあ……」
「は、はぁ!? いつのこと話してんのよクロ!」
しかし成る程。確かに既存の芸術感を崩したという意味で、インスタレーションを語るためにこれほどふさわしい題材はない。
「そうだなあ、ならばインスタレーションがなぜ生まれたのか、ということを印象派の出自も絡めつつ、ばやっと解説せねばなるまい」
「ばやっと、って何よ。ばやっとって」
「秋田県の方言だ。お前同郷なのに使わないのか……?」
幼馴染と言っても今までの人生、ずっと一緒だったわけではない。住んでいる地域的に比較的都会っ子の鈴音は方言を話せない。田舎っ子としてはふとした時に方言が出ないのってかっこいいと思う。
「知らない、っていうかあまり方言を知らない……。なんか今、クロから疎外感を感じた」
「何だ? おい、そんな落ち込むことないだろ。ああ、ええっと。そうだなあ、意識高そうに言うと「アウトライン」を解説する、という言い方になる」
「そっちの方が嫌ね……」
「だろう?」
ちなみに、こういうのも「印象」だ。方言なんかは垢抜けないイメージを与えるから、どこかほっとした空気を出すにはすごく向いている。かっこよさとは真逆だけれど、意識高そうな言い方よりは人に与えるイメージは悪くない。
「で、印象派ってなんなのよ」
「教科書的に言うと、19世紀後半、1870年代ころかな? 急速に発達した現代の美術感覚の先駆けとなった芸術家たちのことなんだけど……」
そうだな。と俺は一つ質問をする。
「印象派が生まれたのはどこかわかるか?」
「フランスでしょ。そのくらい知ってるわ」
「ううーん、正確に言えばパリだ。当時、芸術の拠点はパリなんだ。ヨーロッパ中の絵画を志すものは皆パリに集まった。そういう時代だよ」
「ふーん」
「じゃ、ここで問題」
俺は人差し指を立てる。鈴音は驚いて少し身を引く。
「な、何よ」
「そんなに警戒しなくても大丈夫だ。評価される絵って、どんな絵だと思う?」
「……え? そりゃ上手な絵じゃ……あっ」
そう。どうやら鈴音も気づいたらしい。この質問は非常に厄介な難問だ。
「そうだ。うまい絵、ってのは一体、どんな絵のことを言うのだろうか?」
「ええっと、本物みたいな絵……?」
「うん。確かに、まるで写真と見紛うような絵を描く画家もいるし、「スーパーリアリズム」なる主義も存在する。暇だったらぜひ検索してみてくれ。本当に写真みたいなのばかりだ。だけど、評価されてるのはそういう画家だけじゃないだろう。実際、そうじゃない絵でも「素敵な絵」だと思うことはあるはずだ」
「確かに……」
「それに、写真そっくりなのと、実際の目で見た時の視界、ってのも全然違う。写真だってピントが合ったり合わなかったりするし、人の目だと、見ようと思っていないものは、たとえ視界に入っていてもシャットアウトされたりする」
「そうね。そういえば確かに、本物そっくりっていうのもいろんな種類があるわけね……」
「ここでまずはっきりさせたい」
「何よ?」
俺は空気を一度大きく吐いて、吸い直す。これを言うには勇気がいる。
「評価される絵っていうのは、つまるところ評価する人が好きな絵ってことだ!」
「……それ、言っても大丈夫なの?」
「大丈夫も何も、口にするのに勇気がいるだけで純然たる事実だ。技術的な問題もあるかもしれんが、それだって自分の好きな技術、あるいは「評価している技術」という言葉に置き換えても良い。それを評価するかしないか、という問題に過ぎないからな」
そして、パリで芸術が栄えた理由も考えていくと、ある傾向が見えてくる。
「それじゃあ、印象派が登場した時はどんな絵が評価されていたのよ?」
「そう慌てるな。まずは何故、パリが芸術の都として栄えたのか考えなきゃいけない。どうしてだと思う?」
「ええっと……」
鈴音は口ごもってしまった。
おや、少し難しかったかな。ヒントを出そう。
「もし、当時に絵を描いて生きていこうと思ったら、どうしなきゃいけないと思う?」
「絵が上手にならなきゃいけない?」
「それは最前提だ。それもそうだが、絵が上手くなった後だ」
「……! あ、そうだ! 絵を売らなきゃいけない!」
「そう。当時、絵描きたちは絵を売る方法……というと少し違うな。絵を描いてお金を得る方法として、大きく二つの方法をとっていた。ひとつ、単品の絵画を画商などの仲介役を通して貴族に買ってもらうこと。ふたつ、有力な貴族にパトロンになってもらって、お金を出してもらうこと」
「そっか、つまりパリには絵に興味のあるお金持ちが多かったってことね?」
「うーん、正確にはかなり考証とかめんどくさい歴史の話になるから割愛するけど……。ともかく、今理解して欲しいのは、大昔のパリでは「貴族たちの好きな絵柄」こそが評価され、売れる絵の絵柄だったってことなんだ」
「ふーん……。あれ、でも待って? 私聞いたことあるわ。パリにはアカデミーっていうのがあって、それの展示会に出すのが画家たちの目標だったって……」
「
まさかあの鈴音の口から「アカデミー」という言葉が出てくるなんて。
感動した。
芸術の門戸は常に世界に向けて開かれているんだね……。
「アカデミーというのは最初は芸術家たちのグループだったんだ。自由な表現を求める芸術家たちのね。それは次第に成長し、大きくなり、ついにはフランス国家直属の機関にまで成長するんだ。特に17世紀以降、アカデミーの開催する展覧会「サロン」は、若手芸術家たちの登竜門になっていた」
「へえ」
「だけど、結局のところ長い歴史の中で閉じられた組織だ。そこには根本的に評価される絵のパターンが息づいている。悪いことでもないのだろうけど、芸術家は自分がやりたいことを制限されるのを何より嫌う生き物だ。次第に息がつまるような思いに耐えきれない人たちが出てくるんだ。それが……!」
「それが、印象派!」
鈴音にセリフをとられてしまった。
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