死に物狂いで死んでみて

雪瀬ひうろ

第1話

「死ねばいいのに」

 君はいつもこんなことを言う娘だった。


「二度寝なんて、だらしない真似するなら、死ねばいいのに」

「二回目の睡眠時間まで計算に入れて起きてるからいいんだよ」


「寝ぐせも直さずに外出するなら、死ねばいいのに」

「これはこういう髪型なんだよ」


「満員電車でかわいい女の子に近付こうとするとか、死ねばいいのに」

「たまたま、女の子の方に押し流されただけだから」


「外食のとき、優柔不断ですぐに店を決められないなら、死ねばいいのに」

「僕はじっくり考えてから行動する派なんだよ」


「ご飯を食べる時、くちゃくちゃ音を立てるくらいなら、死ねばいいのに」

「立ててないわ、完全なる静寂だわ」


「何も買わないくせに、ずっと本屋に居座るくらいなら、死ねばいいのに」

「今日はたまたま欲しい本が無かっただけだし」


「短いスカートを履いた女の子を目で追うくらいなら、死ねばいいのに」

「寒くないのかなと思って見てただけだし」


「私以外の女に色目を使うなら、死ねばいいのに」

「………………」


 そうなんだ。

 僕は死ぬべきなんだよな。

 そんな当たり前の事実を君は僕に突きつけてくる。

 でも、違うんだよ。

 僕はいつも言い訳の言葉を探している。

 死ぬ理由は明確なのに、生きる理由なんて、つまらないJ‐POPの歌詞の中にあるような「生まれてきた理由を見つけるまで生きろ」とか「命は繋がれてきたバトンなんだ」とか、クソみたいなものしかなくて、でも、僕はそんなクソみたいな理由を一つ一つ積み上げて、僕がまだこの世界に生きていていいという理由にしようとしていたんだ。


「ねえ、いつになったら死ぬの」

 もう少しだよ。

「いつになったら、会いに来てくれるの」

 もうすぐだ。

「私が居ない世界で生きている意味なんてあるの?」

 ………………


 君が生きていた時は、「君が居ないと生きていけないよ」とか「君無しの人生なんて考えられない」とか、「もしも君が死ぬことがあれば、僕はきっとすぐに後を追うんだろうな」とか、三文恋愛小説家も噴飯もののすかした言葉を、この口で紡ぎだしていたくせに、いざ、君がこの世界からあまりにもあっけなく去ってしまって、全身が干上がるんじゃないかってくらい涙を流して、君の遺体に縋りついて、まるで現実感のない葬式を終えて、君が火葬場で小さな小さな白い骨になったあとに、まず僕がした行動は、一日中部屋の中に閉じ籠るということだった。ただ、呆然と焦点の合わない目で暗い世界を見つめて、絶望の淵を覗き込んで、脳髄が深い闇に犯された気持ちで、ああ、この暗い衝動が僕自身を殺して、僕も君のもとへ行くことになるんだろうなと、悲劇のヒロイン(ヒーローか?)気取りで、さあ、死のう、包丁が台所にあったかなと思って、台所を目指した次の瞬間、僕は水を飲んでいた。いや、最期なんだから水くらい飲んでもいいだろう。これがこの世界で最後の食事か。そんなことを考えた瞬間、そう言えば、丸一日呑まず食わずだったななんてことが頭をよぎって、とりあえず、何か腹に入れてからでも死ぬのは遅くないかな、いわゆる最後の晩餐だ、なんて思って、冷蔵庫にあった焼豚をもさもさと食っていると、中途半端に物を食べたせいで余計に飢餓感が増してきて、気がついたら本格的にチャーハンを作ってしまっていた、なんだこれ。おいしい。

 空腹が満たされた瞬間、今度は睡眠欲が生まれて、そいつが僕をまどろみの世界へと誘ってくる。いや、こんな寝不足でふらふらの状態で死ぬっていうのは、逆になかなか難しいんじゃないかな、なんて考えて、仕方がないからとりあえず一眠りして、気持ちを落ちつけてから死ぬというのが、これから死ぬものとしての当然の礼儀だろう、あの世にはきっと沢山大物もいらっしゃるだろうし、なんていう風に寝不足独特の謎理論で整理をつけて、僕はベッドに飛び込んで、眠りに堕ちていた。

 目が覚めた瞬間に、すべてが夢だったんじゃないか、と思って、でも、やっぱり君が死んでしまっているというのは紛れもない冷酷な現実であるということを再認識して、僕はもう一度、涙を流した。「僕は君が居ないと生きていけない」ので、速やかに死ぬべきなのだろうと考えをまとめた次の瞬間、ふと過る疑問は、「僕は君が居ないと生きていけない」のだったら、自ら包丁で喉をかっ切らなくても自然に死ねるんじゃないかな、というもので、いやいや、そんなわけないだろと自分の馬鹿な考えを笑い飛ばした後に、僕は、ああやっぱり死にたくないんじゃないかなと、ふと気がついてしまった。

 死ねば君に会えるのに、それでも僕は死にたくなかったんだ。


 あとは惰性だ。すごくダセえ。くだらない。僕はくだらない人生を生きていく。飯を食って、寝て、くだらないマンガを読んで、時々だけど高尚な本も読んで、ソシャゲでガチャを回して、泣きそうになりながら就活をして、上司や取引先に罵倒されながらも生活費を稼いで、君以外の女の子と付き合うことになって、いや、そんなことありなのかよ、とうんうん悩んで、でも結局やることもやってしまって、結婚するということにもなって、僕の親に結婚することにしたと言ったら何故かわんわん泣かれて、結婚式を挙げていわゆる永遠の愛を誓った瞬間に、ああ、僕はこの人を本当に愛しているんだなあとやっとこさ気が付いて、やることやってると子供もできて、自分の命を引き継いだ存在がたまらなくいとおしくて、命のバトンを繋ぐとか嘯くJ‐POPも案外馬鹿にしたもんじゃねえななんて手のひらをくるくると返して、そんな当たり前の人生を送っている自分が不思議で、あれ、僕はいったい何をしているんだろうと気がついた時には、孫まで出来ていた。


「死ねばいいのに」

 解ってるって。

「死ねよ」

 そうだよな。

「早く死んで私の所に来てよ」

 もうすぐ死ぬよ。


 病院のベッドに横たわって、隣には50年以上連れ添った妻が居て、娘が居て、目に入れても痛くない孫が居て、綺麗な白衣に身を包んだ顔の怖い医者と胸の大きい看護師が居て、あとは僕の身体を雁字搦めにするチューブだけが僕の命を握っていて、こりゃあ、いわゆる大往生ってやつで結局最後の最後まで生きちまって、死ぬ死ぬと言ってた自分はとんだ大嘘つきだなあと思う。ああ、なんだこれ、死ぬ瞬間って言うのは、こういうもんなんだ、これは一回死なないと理解できないだろうな、なんて考えながら、ふわふわと魂的な何かが僕の身体から、すっと抜け落ちようとした、そのときに君は再び現れて言った。


「死ぬ気なんてなかったんじゃない」

 そうみたいだな。

「私はずっとあなたに死んでほしかったのに」

 ごめん。

「幸せな人生を送りやがって」

 すまない。

「――でも」

 そんな風に僕を罵る君の顔が、どこか優しく見えたのは、僕の都合のいい願望なのだろうな、と考えた次の瞬間、そもそも僕に「死ねばいいのに」と言ってくれていた君の存在そのものが僕の都合のよい妄想でしかなかったんだと、僕はやっと気がついた。


 君が死んで29214日してから、僕は死んだ。


 








 君はどこにも居なかった。

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