忘却の王子とはじまりの魔女:5



 あたたかい風が頬を撫でて、庭の花々が美しさを競い合う季節になった。ラティフォニア王国の中でも北にあるこのお屋敷も春爛漫だ。


 私は大きな鏡の前でくるりと一回転する。空色のドレスは、子どもっぽい色かと心配になったが袖を通してみるとそうでもない。ふわりと広がる裾は、春の空を思い起こさせる。

「お姫様の支度はまだかな? 皆、主役を待って首を長くしているよ」

「ク、クラール様!?」

 誰もいないと思ったのに、と頬を膨らませると、クラール様はごめんごめん、と両手をあげて降参する。

「ドレスを着たフィオを一番に見たかったんだ。綺麗だね、とっても似合っている」

 クラール様は私を腕の中に閉じ込めて額に口づける。可愛いよ、という甘い言葉もおまけについていた。最近のクラール様は、どうやったらそんなに褒める言葉が浮かぶのかというくらいに私のことを褒めちぎる。

「今日がいい天気になって良かった。今年も素敵な一日に出来るね、フィオ」

「素敵になるかどうかは、今日のクラール様の行いにかかっていますよ」

 冗談を言うように私は笑って、クラール様の腕を抜け出す。

 皆待っているんでしょう、と言うと、クラール様は笑って私に手を差し出した。


 花月の二十日。私は今日で十七歳になる。


「これからは、思う存分思い出を作れる。今から来年が楽しみだね」

「そうですね、ちゃんと新年のあいさつができますね」

 はじめまして、じゃなくて。そう言うとクラール様が「意地悪だなぁ」と笑った。

「君は、僕にとっていつだって大切な女の子だったよ。何度記憶を失っても、僕の心を惹きつけてやまない花だった。フィオ、僕がこうして生きる喜びを見つけられたのは君のおかげだって、気づいている?」

 クラール様が耳元に唇を寄せて、睦言を囁くように言葉を並べる。耳にかかる甘い吐息に、私の心臓は潰れてしまいそうだ。

「クラール様が、私に名前を与えて生かしてくださったんですよ」

 近すぎる距離に、私はクラール様の胸を押してどうにか抵抗する。このままじゃ心臓が持たない。

「どちらでもいいよ。僕にはフィオが必要だし、フィオには僕が必要ってことだろう?」

 抵抗する私を見つめて余裕の表情のクラール様は、くすくすと笑って私の頬を撫でる。

「ねぇフィオ、贈り物をしてもいい?」

 君の誕生日だから。そう言われれば断る理由なんてない。

 クラール様を見上げて、なんですか、と問おうとする。しかし言葉は飲み込まれて、音にならなかった。

 キスは一瞬。

 クラール様は悪戯に成功した子どものように無邪気に笑っている。

「……どうせキスしてくれるなら、もっと甘いキスが良かったな」

「なっ!」

 今まで触れてこなかった、あの呪いを解いた瞬間の出来事を今さら言い出すなんてずるい。私は顔を真っ赤にしてクラール様を睨みつける。クラール様は微笑んだまま私を強く抱きしめた。


 フィオ、と耳元で名前を呼ばれる。


 ――ありがとう、僕の小さな魔女。


 それは、まるで魔法の言葉のように私の自由を奪ってしまった。

 魔法が使えるのはクラール様の方かもしれない。いつだってこうやって、たった一言で私を動けなくさせてしまうんだから。




 こうして、解けないはずの王子の呪いは、小さな魔女の薬と口づけによって破かれました。

 恋によって呪われた王子は、恋によって救われたのです。


 王子は王様に願いました。

 ああ、どうか!このいとしい魔女と共に暮らすことをお許しください!

 救ってくれた魔女のことを、王子は心の底から愛していました。


 かつて人を愛せず、人を心から信じることができなかった王子は小さな魔女によって、愛も信頼も知ることができたのです。


 小さな魔女は、再生の魔女、はじまりの魔女とも呼ばれ、彼女の功績は長く長く語り継がれました。


 王子と魔女は、今も王国の片隅でしあわせに暮らしています。


 めでたし、めでたし。




 ――『最後の魔女と、はじまりの魔女』より

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

忘却の王子と小さな魔女 青柳朔 @hajime-ao

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ