第6話 わかっていると思うけど、そういうことなんだ
次の日から、文芸部の活動にキスが入ることになった。
まったくもっておかしな話ではあるが、放課後、部室で会った挨拶代わりにキスをする。
桜の方から待ちかまえて、睦月に抱きつきにいく。
「睦月、睦月っ、んっ」
桜は唇を突きだしてキスをせがむ。
それに対して睦月は呆れながらも桜を抱きしめ、優しく唇を重ねた。
「ねぇ、もっと……」
挨拶代わりのキスだからといって、すぐに唇が離れれば桜は物欲しそうに睦月を見上げてねだる。
「もっとって……。挨拶代わりじゃなかったのこれ?」
「挨拶代わりですけど……、もう睦月と二十時間くらいキスしてないんですよ。こんな一回だけの短いキスじゃ物足りません。それとも、睦月はわたしともっとキスしたくないんですか」
「えっと……、う、うん……」
詰問されてというよりは、その物欲しそうな潤んだ瞳に負け、睦月は赤面しながらも頷き、再び桜の唇を貪った。
二十時間ぶりのキスに睦月もその時の気持ちを
くちゅくちゅと舌先同士で体液を絡ませあい、互いに敏感な所を刺激しあう。
めいっぱい息苦しくなった所で唇を離し、一度大きく息を吸ってまた唇を求めあう。胸が熱くなり、頭がのぼせるような快感に酔いしれながら、何度も何度もキスを繰り返す。
挨拶のキスを通り越した何かを十分に堪能したところで、ようやく今日最初のキスを終える。
二人とも顔を真っ赤にして目をとろけさせ、荒い息で互いに目を見合わせると、急におかしくなって笑った。
「桜のキス、巧くなった」
「睦月が全部教えてくれたんですよ。ファーストキスだったのに、無理矢理奪われて……。何も知らなかったのに、どんどんキスが好きになっちゃって……」
「そうだったっけ?」
「酷い、もう忘れてるんですか。ファーストキスなんですから一生の思い出なんですよ」
「ごめんごめん。桜とのはじめてを忘れてたわけじゃないよ。でも、桜もけっこう積極的に応じてくれたような気がするんだけど」
「そういう問題じゃありませんから! 確かに、二回目はわたしから求めちゃいましたけど、最初は間違いなく睦月が奪ったんですよ」
「そう? 桜の顔にキスしてほしいって書いてあったと思うんだけど」
「そうやって嘘つく睦月にはお仕置きとしてキスの追加を要求しますっ」
今度は桜の方から睦月の唇にむしゃぶりつき、また二人がとろけあうまでキスを続けた。
こんなことを繰り返しつつ、ようやくいつもの読書タイムに入るのだが、けっこうな時間をロスしていることは否めない。
しかも、読む本も桜が積極的に恋愛小説を選ぶものだから、盛り上がるシーンのたびに、キスで中断することになる。
おかげで読書はなかなか進まず、下校時刻までずっとキスをしていて制服がベトベトになってしまったこともあった。
部活動中ではキスばかりしていたわけでもなく、かといって本も読まずにずっと抱き合っていた日もあった。
下校時刻を知らせるチャイムが鳴るまで舌を絡ませ続け、帰らなければならないと物惜しそうに口を離したこともあった。
もちろん、帰るのは二人一緒に、恋人みたいに手を繋いでだが、別れる前にもあたりを見回してだれもいないのを確認してからお別れのキスをした。
どこぞのアニメ並にキスをし続ける日々の中、突然、睦月が真剣な顔をして桜に告げた。
「その……なんというか。聞いて欲しい話があるんだが……」
「なんですか?」
なんとなく嫌な予感がして桜は身構えた。
「ああ、うん、そんなに心配しなくていい。ただ、この文芸部のことを話しておこうと思って。時間が少しかかるかもしれないから、お茶でも飲みながらにしようか」
そう言って睦月は紅茶を淹れる準備を始めた。
いつもしていることだとはいえ、今日はその待ち時間が桜には長く感じられた。
本能的に睦月の話が、あまり桜にとって聞きたくないことなのだということがわかっていたからだろう。
ただ、いくつかの不思議は聞いておかなければならないことだったし、いつか睦月が告白してくることは、薄々ながら感じていた。
「ほら、入ったよ。冷めないうちにどうぞ」
そう言って睦月もそぞろに自分の席に座り、紅茶を一口啜って唇を湿らす。
睦月の席、つまりは桜の隣ということで、二人は隣合うことになる。
(睦月の顔を見ながら話を聞きたいけど、睦月はわたしの顔を見ずに話したいのかなぁ)
紅茶に淹れた人の感情が入るとしたら、今日のお茶は少し渋かった。
桜だけでも睦月の顔を見ようと横向きに座ると、睦月の方も椅子を横向きに座って桜と向き合った。
「話すよ。と言っても、これはもう過去の話だし、私としても終わっていることだから。そのつもりで聞いてほしい」
桜はうんうんと力強く頷いた。
「この紅茶も、先代の部長が集めたものだって話したよね。もう卒業していない人だけど、部長は素敵な人だった。部長と私だけの文芸部でね。今の桜と同じように私と二人だけでいつも放課後、読書をしたり、創作物を書いたりとかしていたんだ。まぁ、私はその手の才能はないから、部長の書いた話を読むだけの係りだったわけだけど」
「あれ、読む専門なら、睦月はどうして文芸部に入ったんですか? まぁ、わたしが言うのもおかしいんですけど」
「部長は私より二つ上の先輩だったんだよ。で、先代の部長が三年生になって新しく部長を引き受けた時に、文芸部は一人だけだった。このままでは伝統ある文芸部がなくなってしまうということで、手あたり次第、新入生に勧誘をかけたのさ。
部長はなぜかたまたま廊下を歩いていた私に声をかけてきてね。書けなくてもいい、お茶だけ飲んで本を読んでるだけで構わないからと必死に懇願されるので、根負けして、居るだけの部員になったわけだけど」
「ということは、一昨年度にその部長さんが卒業して、睦月は一年間、ずっとこの文芸部で読書してたってことですか?」
「まぁ、そうだね。途中から生徒会に文句を言われて図書委員と兼任になったけど」
「じゃあ、わたしが部活に入らなかったら、どうしてたんですか? 睦月の代で文芸部がなくなっちゃうじゃないですか」
「まだ二年だから、三年になってから誰かにお願いするか、それとも、部長と私との思い出だけを残して文芸部は終わりにするつもりだったのか。たぶん、後者を選ぼうと思っていたのだろうな」
当然の疑問に、睦月は思い返しながら言った。
部長と睦月との思い出。それは桜にはとても想像が及ばないことだが、言い方からすればすごく深い関わりがあったのではないかと感じる。あまり考えたくはないことだが。
「その……なんていうか……文芸部には伝統があってね。たいての文芸部なんて弱小部だと思うけど、うちはもうずっと二人だけが続いている部活なんだ。先輩と後輩、それとも同級生同士とか、組み合わせはあるけれど、いつも二人きり。まぁ、新入部員が入る時に若干の増減はあるんだけど。
それで……、その二人は……どういうわけかみんな恋人同士になるんだ」
「まぁ、ずっと二人で創作とかしてたら、意気投合とかしますよね。カップルになっても不思議じゃないと思いますけど」
「ああ、うん。男女同士ならそうだけど、男の文芸部員はもう十年以上入ってないよ。つまり、その……女の子同士でっていう意味なんだけど……」
睦月は頬を赤らめ、言いづらそうに言った。
「えっ? それってつまり、百合ってことですか?」
桜は驚いて言うが、よくよく考えれば今更かもしれない。むしろ、自分のことは頭になく、単純に驚いていた。
「そういうこと……だから、最初に桜が入部希望で来た時に、私は断ろうと思っていたんだけど」
これは本当に今更感ではあるが、桜にとっては驚きだった。当然そういうつもりでもなく、睦月との関係も友情とか親愛とかの延長上でしか考えていなかったから、今更ながらこれまでしてきたことを思いだし、桜は赤面して俯いた。
「だから蔵書にも百合の本とかがけっこうあるし、そもそもその……、歴代の先輩たちが書き綴ったものは……ここにあるんだけど、全部こういうものなんだよ」
睦月は立ち上がって本棚から本をごっそりと取り除いた。二段になって奥に隠されていた本は、すべて手作りのもので、歴代の文芸部員が書き残していったもののようだった。
タイトルはない。ただ、年度だけが鉛筆で記されている。字が同じものが多いので、後の人が書き足したものだろう。
睦月は適当な一冊を手に取り、桜の前に置いた。
「見てみる? 中を読めばだいたいどういうことかわかると思うけど」
睦月の勧めに桜は迷ったが、それでも意を決して本を開いた。
そこには二人の少女が愛を語り合う話があった。
登場人物は歴代の文芸部員の誰かなのだろう。私小説というくくりになるのだろうが、ちらっと読むだけでもそこから二人の思いの強さが伝わってくる。
「あれ、でも文芸部の定員は二人なんですよね? 卒業したらまた別の人と……?」
「まぁ、そうなるよね。実際に、その本の人たちが書いたのはもう一冊ずつあるよ」
「浮気……ですか? それともそう簡単に乗り換えちゃうんですか?」
「そう言われると困っちゃうんだけど、人それぞれに言い分ってものもあるんじゃないかな。Sって知ってる? シスター、妹のSなんだけど、大正時代の女学校で流行ったんだよ。
学内中で、女の子同士で恋愛して、卒業するとほとんどの人は普通に男の人と恋愛して結婚していくんだよ。疑似的な恋愛の練習なのかもしれないけど、もう少し違うのかな。友情の延長線上っていうか、女の子同士の親愛っていうか、そんな感じの。
文芸部の過去の部員も、みんな卒業したらお別れになって、また新しい部員と新しい関係を築いていったみたいなんだ」
少し辛そうに言う睦月は、彼女も過去の部員たちとまた同じように、先代の部長と別れを体験していたのだと桜は気づいた。
「あの……、その部長さんとは……」
「そう……。今の桜みたいに、私をすっごく可愛がってくれた。卒業した時にスッパリと別れさせられたけどね。今じゃ大学で彼氏を作って学生生活を楽しんでる」
自嘲気味に睦月は言った。
睦月だけなのかは知らないが、まだ部長との思いを引きずっていることだけは桜にもよくわかった。
そうでなければ、一人で文芸部を一年も守ったりしないだろう。
吹っ切れて過去のものにしたり、裏切られたと怒っているなら、文芸部を辞めてしまっていたはずだ。
毎日、毎日、一人っきりの部室に来て、その部長との思い出に浸りながら読書をしていたのだ。
まるで未亡人みたいなものだったが、桜はその思い出を自分が壊すことになってしまったのではないかと気づき、少しだけ申し訳なく感じた。
「もしかして、睦月と部長との本も、そこにあるんですか?」
そこには二人の熱い関係が記されているはずだ。きっと桜が読めば、狂うほどに嫉妬してしまうほどのものが。
「ああ、うん。いっそ焼き捨ててしまおうとも思ったんだけど、残ってるよ。部長と、その前の部長との本もある。桜にはどっちも読んでほしくないけど」
睦月の気持ちは桜も痛いほどわかるので、小さく首を振って答えた。
「それで、結局、どういう話でしたっけ……?」
まさか文芸部の実体と、先代の部長との関係を告白することだけが目的とは思えなかった。口封じをされるわけではないが、やはり嫌な予感は拭えない。睦月からすればわざわざ告げる必要はないことなのだから。
「ああ、うん。それで、いろいろ悩んだんだけど……、何も知らない桜を引き込んでしまったことには後悔どころか罪悪感すら覚えてる。キスしたりとか、胸を揉んだりとか、桜が可愛すぎてつい手を出しちゃったけど、その気がないのに、こういう関係をズルズル続けるのは桜に悪いと思うんだけど……」
「へっ?」
まさか予想もしなかった言葉に、桜は思わず素っ頓狂な声をあげた。
「あの、どういうことですか? もう部活には来るなってこと? それとも、全部、遊びだった、そのつもりはなかったから無かったことにしてくれって、今更謝るんですか? わたしが、睦月のことを何とも思ってないのにキスしたとか本気で思ってるんですか?」
初めて怒り気味に睦月を責めた。
その言葉に、睦月は意外そうに桜を見返し、ぽかん口をあけていたが、桜が言葉を継がないために、ようやく自分の本心を口にした。
「遊びだなんて思ってない。それは桜の方じゃないのか。私は、桜から好きとか愛してるとかって言葉を聞いたことがないぞ」
「えっと、それは睦月だって同じじゃないですか」
「違う。ちゃんと好きとか、愛してるとか、もういっぱい囁いてきたじゃないか」
「……ん? それってもしかして……、本の台詞じゃないですか!」
「台詞でも同じだ。私は、私の口から桜に愛を囁くことになっていたんだぞ。それでもいつも桜からは返事が来ないから、ずっと遊ばれてるんだと思ってた」
(あ、この人、いつも年上らしく大人びた人だと思っていたけど、中身はポンコツだ)
桜はずっこけそうになりながら、本当の睦月を知って愛おしく感じた。
「わたしはわたしで、ずっと睦月が何も言ってくれないから、言っちゃだめだと思ってたんですよ。だから、いっぱいキスして、せめて気持ちだけは伝えようと」
そこまで言い合って、二人とも急に沈黙して互いに目を見合わせた。
言葉よりも先に気持ちを伝えるために、二人とも優しく目を閉じて自然と唇を重ねた。
「睦月、大好きです」
「うん、大好きだ」
嬉しくて涙が自然とこぼれだし、キスを続ける中に甘じょっぱい味も加わっていく。
その日はずっと唇を離したくなくて、用務員の人の見回りが来るまでずっと愛を確かめあっていた。
「睦月、わたしにも飴ください」
後日、正式に? 彼女と彼女の関係になっても、文芸部の活動は普通に続いていた。
変わったことといえば、以前より睦月に笑顔が増えたことと、ポンコツ振りが日に日に露呈していくことくらいだろうか。
「飴? えっと、まだあったかな。これが最後の一個だったと思うんだけど。ああ、うん、やっぱりないよ。ごめん」
「謝らなくたっていいですよ。飴ならまだあるじゃないですか、口の中に」
桜は嬉しそうに笑って問答無用とばかりに睦月の口にしゃぶりつき、舌を睦月の口の中にねじ込んで飴を強奪しにかかる。
「ちょっ、乱暴なっ」
驚いた睦月だが、すぐに黙って飴を舌で桜の口の中に送り込む。ついでに舌を絡ませあい、キスに移行するのだが。
「んっ……くっ……甘くて……ひゃう……美味ひぃです……」
口の中で飴が溶け、唾液と一緒に混ざり合う。睦月はそれを舌で掬うように嘗めて桜と同じものを味わった。
「うん、甘いね……」
甘いキスは飴がなくても甘かったが、今日はさらに砂糖が加わっている。
「えへへ、わたしだけが独り占めしたら悪いので、睦月にも返しますね」
舌を絡ませあったまま、桜は飴を睦月の舌に手渡し、さらに彼女の口の中まで舌をねじ込んでいく。
今度は睦月の唾液と飴が混ざりあい、甘露を愛おしそうに飲み干した。
そのままキャッチボールするように飴玉は二回三回と二人の口の中をいったりきたりする。その度に少しずつ飴は小さくなり、口の中の甘さは増していく。
いつの間にか飴が溶けきってしまっていても、舌と舌は絡み合い続けていた。
飴玉を探すように、溶けた砂糖をこそげ取るように、唾液を混ぜて相方の口の中へ運び、また唾液を混ぜて送り返す。
もうどっちの唾液かわからなくなったほど混ぜ合った後に、ようやく半分にわけて互いに飲み干す。
紅潮し、ぼーっとした顔で見つめあい、微笑みあった。
「なんかこのキス、癖になりそうです……」
「ほんと、これが最後の一つでよかったよ……」
了
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