第5章 捜査開始
翌朝早くに起きた私と
これからひとりずつ理真が直接昨夜の話を聞くことになっていた。
その前に森岡刑事は今朝までに分かった鑑識の結果を教えてくれた。
まず大道見星の死亡推定時刻は午前一時から三十分の間とみられる。誰も死体発見時の正確な時刻は確認してはいないが、
室谷が裏口を出て庭から窓ガラスを割り見星の部屋に進入、死体を確認して通報するまで、二分とかかってはいない。
このことから、見星の死亡時刻は一時十八分から一時二十分の間二分間という、極めて狭い範囲に限定されることになる。
死因は胸に突き立てられた剣による心臓のひと突き。
即死だが、剣が栓の役割を果たし、ほとんど出血はなかったと見られる。死体の下の絨毯にもそう多くの血痕はない。
死因は予想の範囲だったが、その他に首に紐のようなもので絞められた跡があった。この条痕には生活反応が確認されたため死亡前につけられたものであり、当然死因にはなりえないが、かなり強い力で絞められていたようだ。この凶器となった紐は発見されていない。
直接の死因となった凶器の剣は見星の寝室にあったものと思われるが、秘書の室谷も詳しくは知らないという。
当然本物の剣ではなく、よくホビーショップなどに売っているレプリカの一種だ。レプリカとはいえステンレス製で剣先も尖っているため、十分人を殺傷可能な凶器として使用可能だ。
見星は商売柄奇妙なグッズや小物をよく購入しており、そういった舞台装置の一環ではないかとのことだった。だがそういった
こういった商品を取り扱っている業者はそう多くないと見られるため、現在出所を捜索中だ。
剣からは見星自身の指紋しか出なかったが、持ち手に拭き取った跡が見られた。
ちなみに壁に掛かっていた見星の守護精霊オーディンのイラストも複製だった。直筆の本物はやはり東京の事務所に飾ってある。
次に密室を構成した部屋の鍵について。
見星の寝室は廊下に通じるドアと、中庭に面した四枚のサッシ窓しか外部との出入り口はない。
サッシ窓の鍵はよくある半月錠。これは窓に付いた二カ所とも施錠されていた。室谷の証言である。
ドアの鍵は部屋の中からしか掛けられないタイプのものだ。
ドアノブの上にあるつまみを回し水平にすると施錠されるようになっている。鍵がないため、中から施錠されてしまうと外から開けることは不可能となる。
室谷によると、寝室のドアを改修する際に付けたもので、寝室には普段鍵を掛ける必要はなく、就寝する際にだけ施錠できればよいとのことで、このタイプの鍵を付けたのだという。
室内からは、見星と若干の室谷の指紋が検出された。
内側のドアノブとつまみからは室谷の指紋のみが出た。これは騒ぎを聞き駆けつけた峯と藤見を室内に入れるために室谷が回したときに付いたものだろう。それ以外に指紋はなかった。
見星が頻繁に触れたであろうドアノブから、この指紋の出方は明らかに不自然である。室谷がつまみを回す直前に犯人が一度ドアノブとつまみを拭いたのであろうか。
部屋の広さは十畳ほど。ベッドとその脇にサイドテーブル、小さな机と椅子が一組、上にステレオが乗った背の低い書棚、簡易なワードローブには着替えが数着掛けられていた。部屋の床はほぼ絨毯で埋められている。そして壁に掛けられた守護精霊オーディンのイラスト。これが見星の寝室にあった全てだ。
そして肝心の事件当夜の各人の行動。
私と理真が食事会の席を退出したのが午後十時半くらいだった。そのあとも、見星と精霊会による語らいは続いていた。
最初に座を辞したのは
見星を囲む会は続き、午前零時少し前に保坂が退出した。保坂は軽くシャワーを浴びたあと、自室へ戻り就寝したが、午前一時頃にトイレに起きて部屋へ戻るところ、見星の寝室からの声を聞き、事件発覚へ至った。
時計が零時半を指す頃に見星が床に付くと言い出したため会はお開きとなり、
その間、会話に加わりながらコーヒーを淹れたりしていた室谷も、最後にひとり残って簡単に後片付けをしてから零時四十分に食堂を出た。
食堂を出てからの見星を見たものは誰もいない。すぐに寝室に入って一度も出てこなかったと見られている。
藤見はすでに入浴を済ませていた。峯は入浴はせず洗顔のみに止め、そのまま寝てしまったという。事件発覚時の物音で目を覚ました藤見が、隣部屋だった峯を起こして二人で現場へ向かった。
室谷は自室に戻ってから、書類整理など残務の片付けがあったため自室で作業していた。作業が終わりシャワーでも浴びようかと思ったところ、猫のクロのことを思いだし、ご飯をやりに二階へ、戻ったところで保坂を見つけ、
犯行現場となった見星の寝室でひとりずつ話を聞きたいという理真の要望で、私と理真と森岡刑事は、各人へ順番に部屋まで来てくれるようお願いして回った。
見星の寝室で私たち三人は、各人、要は容疑者たちの来訪を待つ。
「お待たせしました」
最初に室谷が入室してきた。
顔色が優れない。恐らく昨晩はあれから一睡も出来なかったのだろう。彼は会が終わってからも仕事をしていたというから徹夜であるはずだ。
私もしばらくは寝付けず、明け方に一時間くらい寝たに留まったが、理真は熟睡していたようだ。さすが素人探偵ともなると度胸が座っているのか。たいしたものだと思う。もしかしたら、ただ単に神経が図太いだけなのかもしれないが。
「朝早くにすみません。室谷さんはこの別荘に一番詳しいので、最初に話を伺いたいと思いまして」
理真の言葉に室谷は、
「いえ、それよりも驚きました。
「警察に協力している素人探偵ですよ。本業じゃありません」
「僕もできる限り協力しますよ。先生をあんな目に遭わせた犯人を早く捕まえて下さい」
室谷は床に張られた人型の白いテープを見つめた。それは絨毯の上に張られているため、簡単に剥げてしまいそうで危うい。その人型の胸の位置には鋭い菱形の穴が開いている。見星の心臓を貫いた剣の跡だ。
襟足の長い絨毯の毛で穴自体は確認しづらいが、本来白と青の模様で構成されるべきその位置が被害者の血で赤黒く染まっているため、ひどくバランスを欠き目立ってしまっている。
「ちょっと気になったんですけど、この部屋のドアは外側に開くようになっているんですね。普通部屋のドアは内開きですけど」
理真が指さした通り、見星の部屋のドアは廊下側に開くようになっている。通常ドアを内開きにする理由は、外開きだと廊下に人がいた場合ドアがぶつかる恐れがあり危ないからだ。私はアパートの管理人という職業柄、そういう知識は少しある。
もっとも、この部屋のドアが外開きになっている理由はだいたい分かっている。
「ええ、絨毯のせいです。この部屋のドアも元々は内開きだったんですが、ドアが内側に来るとご覧の通り絨毯でつっかえてしまいますから。別荘を買ったときに外開きのドアに改装したんです」
室谷の言う通り、見るからに高そうな絨毯のへりとドアとの距離は数センチしかない。ドアの下には通常わずかな隙間を設けるが、襟足の長いこの絨毯はとてもその隙間を通過できない。さらにこのドアのある廊下の先は見星専用の倉庫であり、他の人間が行き来する必要がないため、外開きにしても安全だろうという判断もあったという。予想した通りの答えだった。
「絨毯を動かせばいいんでしょうけれど、家具の配置も先生のこだわりで」
室谷は部屋を見回す。故人との思い出を回想しているのだろうか。寂しげな表情が浮かんだ。
そして室谷は理真に請われ、事件発覚の様子を詳しく語ってくれた。
「クロにご飯をあげて階段を降りたところで、先生の寝室のある廊下から物音が聞こえたんです。行ってみると寝室のドアの前に保坂さんが立っていました。どうかしたんですか、と声を掛けて近寄ると、『先生の様子が変だ』と。トイレに起きて部屋へ帰る途中に寝室から物音を聞いたそうで、ドアの前まで来てみたそうです。耳を澄ますと、確かに部屋の中から呻き声のようなものが聞こえましたもので、ドアを叩いたり、室内に呼びかけたりしたのですが……」
「最初に保坂さんと一緒にドアの前にいたとき、確かに鍵は掛かっていたんですね」
「間違いありません。押しても引いてもドアはびくともしませんでしたから。いや、廊下側から押してもこのドアは開かないんですけどね」
「部屋に明かりは点いていましたか? 最初に保坂さんとドアの前にいた時に部屋の明かりが点いていたなら、ドアの下の隙間から明かりが漏れていたと思うのですが。中庭から室内を見たときはどうでしたか」
「……そう言われれば、点いていませんでしたね。明かりは漏れていませんでした。中庭から見たときも同じです」
「確かですね?」
「ええ、廊下が暗かったので、足下に少しでも明かりがあれば気づいていたと思います。保坂さんにも聞いてみて下さい」
「暗かった? 廊下の明かりは点けていなかったんですか?」
「ええ、メインの廊下は明かりが点いていたのですが、寝室前の廊下の明かりは点いていませんでした」
「それでもドアの前にいたのが保坂さんだと分かった?」
「はい、メインの廊下からの明かりで十分誰かいるかくらいは分かりますし、声を掛けたあとの返事から保坂さんだということも」
「なるほど」
「細かいところまで気が付くんですね。さすが名探偵だ」
「いえいえ、そんな……分かりました。それと、庭から室内を見たとき、保坂さんの声や、ドアを叩く音などは聞こえましたか? 保坂さんはすぐにドアの前を離れ室谷さんを追ったそうですから、その頃にはもう保坂さんはドアの前を離れていた可能性もありますが」
「……いえ、聞こえてなかったと思います。庭からはドアと窓ごしになりますから、音がしたとしてもかなり小さくなるでしょうけれど、深夜で周りはとても静かでしたから。そんな音がしたら気が付いていたと思います」
「そうですか」
「はい、ですが自信を持っては言えませんよ。あのときは先生の状態を確かめたくて必死でしたから、そんな冷静に回りの状況を把握している余裕はありませんでした。今から思い出してみれば、そうだったかもしれないという程度のものです」
「はい、承知しています。警察への通報も室谷さんでしたね」
「ええ、机の上に先生の携帯があったものでそれで。この家には固定電話を置いていないんです」
年のほとんどを留守にする別荘であれば当然だろう。今の世の中、携帯電話があれば事足りる。
「私もちょっといいですか」森岡刑事が手を挙げて、「サッシのガラスを割ってこの部屋に入ったとき、部屋には誰もいませんでしたか」
「ええ、誰もいませんでしたよ」
「それにしてもあなたは大変勇気がおありになる」
「どういうことでしょうか」
「だってそうでしょう。ドアにも窓にも鍵が掛かっていた部屋で大道さんは襲われた。ということは、犯人がまだ室内にいた可能性も多分にあったわけですよ。そんな中に入っていくというのは並大抵の勇気がないと出来ません。それともあなたには、部屋に犯人なんかいないと分かってたんでしょうか」
「それはどういう意味ですか。僕が犯人じゃないかっていうんですか? 冗談じゃない。僕が躊躇なく部屋に踏み込めたのは、まだ先生が殺されてるなんて分からなかったからですよ。僕は先生が病気か何かで苦しんでいるものとばかり思っていたから……」
「まあ、お気を悪くなさらずに。何でも疑ってかからなければならないのが我々の商売でして」
森岡が聞き込みの定番のようなことを言う。
「そんなの下手な鉄砲を数撃ってるだけじゃないですか。とにかく事件当夜の僕の行動、見たものはそれで全てです。早く犯人を挙げて下さい」
森岡は黙ってしまう。助け船を出すように理真が質問役を受け継いだ。
「この部屋のドアの前で保坂さんと一旦別れましたね。そのときの行動を詳しくお願いします」
「詳しくも何も。保坂さんが廊下に残って、僕は裏口から庭に出た。それだけですよ」
「室谷さんが死体を発見して、その後保坂さんも庭から部屋に入って来たんですよね、その間どれくらいの時間がありましたか」
「すぐですよ。僕が電灯を付けて先生の遺体を発見して、すぐに保坂さんが入ってきました」
「……わかりました」
何が気になるのだろうか。理真もそれで質問を打ち切った。
室谷は部屋を出ようとしたが。
「あ、室谷さん、最後にひとつだけ」
これまた定番の台詞で理真が引き留めた。
「大道さんは、普段は寝室の窓は空けたまま就寝していた。これはこの別荘にいる全員が周知だったことです。昨晩の食事の席で大道さん自ら話していましたからね。ところがこの滞在の間だけは、窓を閉め鍵を掛けて寝ていた。猫の侵入を防ぐために」
そうだ、そんな話を室谷から聞いていた。
「そのことを室谷さんと私たち以外に知っていた人はいましたか」
「いえ、いないと思います。クロ――猫の存在はまだ安堂さんと江嶋さんのお二人にしか知られていませんし、僕も先生もそんなことをわざわざ話したりしていないですから」
「そうですか。ありがとうございます」
クロはまだ二階の物置に入れたままだという。
そのやりとりを最後に室谷は退室した。
「どう思いますか、安堂さん」
ドアが閉まり、室谷の足音が去ってから森岡刑事が訊いてきた。
「まだ何とも言えませんけど。森岡さんは室谷さんが怪しいとお考えなんですか」
「死体の第一発見者を疑うのは捜査の定石ですからね。それに何だか彼はうさんくさいところがある。これは刑事としての勘ですがね」
今日は定番台詞がよく飛び交う日だ。
室谷の次に
「トイレに起きて済ませた帰りに、何か物音が聞こえたんです。先生の寝室のほうからしたようだったので、ドアの前まで行ってみました。そうしたらちょうど室谷さんが現れて声を掛けられました。先生の寝室から物音がしたようだと言うと、室谷さんもドアの前まで来まして。一緒にノックしたり声を掛けたりしたのですが、何か呻き声のようなものが聞こえるだけでしたので」
ドアの下から明かりが漏れていたかとの問いには、「漏れていなかった」との答えが返ってきた。室谷の証言と同じだ。そして、確かに鍵は掛かっていた、ということも。
「寝室前の廊下の明かりは点けなかったんですね」
「ええ、ドアの位置は大きな廊下の明かりで十分わかりましたから、点けるまでもないかなと」
「室谷さんと別れて廊下に残りましたよね。そこのところも詳しくお願いします」
理真は室谷にしたのと同じ質問を続ける。
「詳しくも何も……室谷さんに裏口に走ってもらって、私は廊下に残って、それだけですよ。とにかく声を掛け続けたほうがいいと思って。先生が回復してドアを開けてくれるかもしれませんし。私のほうが残ったのは、室谷さんのほうがこの家に詳しいから、早く庭まで行けると思ったからですよ」
「分かりました。しかしすぐに室谷さんのあとを追ったそうですね」
「ええ、全く反応がないので、埒があかないと思って彼を追って庭に回りました」
「どれくらいの間、廊下にいましたか」
「さあ、一分もいなかったはずです。三十秒くらいかも」
「その間、室内から何か物音はしませんでしたか?」
「……いえ、しなかったですね。ドアを叩いたり、声を掛けたりして反応がないか耳を立ててみましたけれど。」
「そうですか。続けていいですか? どうして室谷さんを追って庭に回ったんですか? そのまま廊下で待って、室谷さんに鍵を開けてもらったほうが早かったのでは?」
「どうしてって……とにかく必死でしたから。一刻も早く先生の様子を知りたくて。室内から何の応答もない以上、ここにいても仕方ないと思ったんです。ドアを破ろうかとも考えたんですが、流石に気が引けて。こんな事なら、何としても部屋に入ればよかった。先生を助けられたかもしれない……」
保坂は俯く。少し待ってから、理真の質問は再開された。
「ドアに鍵が掛かっているから、庭に回ろうと提案したのは保坂さんだそうですね」
「ええ」
「なぜそうしようと?」
「なぜと言われても、ドアに鍵が掛かっている以上、庭に回って窓から入るしかないじゃないですか。先生は就寝時には窓を開けて寝ていると聞いていたから」
「しかし、窓には鍵が掛かっていた」
「ええ」
「びっくりされたでしょう」
「はい、まさか、鍵が掛かっているとは……」
「ガラスの割れる音は聞きましたか?」
「えっ? ガラス?」
「ええ、室谷さんが窓の鍵を開けるためガラスを割った音です」
「……さあ、聞こえたような気もしますけれど、何ぶん先生のことで頭がいっぱいでしたんで、はっきりとはお答えできません」
「そうですか、ありがとうございました。森岡さんからは何か?」
理真の質問は終了のようだ。
「では私からも……」
森岡刑事が一歩進み出る。
「あなたが庭から現場に入る際、何か室内で動きはありませんでしたか?」
「動き、と言いますと?」
「ええ、例えば、室谷さんが倒れた大道さんに剣を突き立てていたとか」
どストレートな質問をする人だなー。
「さあ……私が駆けつけた時にはもう部屋の明かりが付いていましたので……それより前の事は分かりかねます。……警察では室谷さんが犯人だと?」
「いえいえ、参考までに伺ったまでです」
そんな直球を投げておいて、参考までに、はないだろう。
森岡刑事のその質問を最後に、保坂は退室した。
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