第7章 動機の解明

 別荘に戻った私たちはそれぞれ行動に移した。森岡もりおか刑事は室谷むろたにの部屋へ尋問に行くようだ。


 私と理真りまは自室へ戻り、サイドテーブルを取り払い、ベッドをくっつける。その上に森岡刑事からもらった資料を広げ、二人並んでベッドの上に座った。


「さて、始めますか」


 理真はそう言って資料を二つに分けて、一方を私に手渡した。

 手分けして資料を読みあさり、何か手掛かりになりそうなものがあればその都度チェックしていく。理真が本名もとな保坂ほさか、私がみね藤見ふじみの資料を担当することになった。


 峯の経営している店は全部で八軒にもなる。店は東京と埼玉に出しているという話だったため、新潟住まいの私にはなじみのない店名ばかりだ。『焼き肉侍―食べ右衛門―』埼玉二軒、東京二軒。『頑固ラーメン腰一徹』埼玉二軒、東京一軒。何だこの店名。本当に流行ってるのかな?『海鮮食堂さかな天国』東京一軒。食べられてしまうんだから魚にとっては地獄だろ。よく肉料理屋の看板で、牛や豚のキャラクターが、おいしいよ、などとにこやかに語り掛けているものがあるが、いやいや、君、食べられちゃうんだからと言いたくなる。思考が脱線していけない、集中。

 店の名前はともかく繁盛しているのは確かなようだ。昨夜見せびらかしたあのヘラクレス様の描かれた万年筆。子供がいないのなら、儲けた金を夫婦でさぞかし使いたい放題なんでしょうなぁ。


 はい次、藤見陽子ようこ。夫が役員をしているという会社名を見て震え上がった。日本でこの会社を知らないものはいまい。この会社の役員ともなれば、どれだけ貰っておるのか? この夫婦も子供はもうけていない。こういう富裕層が子供を育てないで日本の将来はどうなってしまうというのか? そんなことはどうでもいい。事件に関わりのありそうな情報をピックアップするのだ。


「HCファクトリー」

「えっ?」


 理真が呟いたので思わず顔を上げた。


「保坂さんが経営してる店の名前」


 理真がベッドに置いた資料を私も覗き込む。そこには保坂が経営している雑貨店についてのことが書いてあった。東京の上野に出店しているとある。店舗の全景を写した写真もある。なかなか洒落た店構えだ。看板には、店名とともに店のマークであろうか、円の中に線が書き込まれているシンボルが掲げられている。


「HC? 保坂和志かずしのイニシャルなら、HKだけど……」

「このマーク、どこかで見たことあるような……」


 理真は店の看板にあるマークを指さす。半円の中に何本か繋がった線が書き込まれているシンプルなマークを。


「うーん……ありふれてるっていえばありふれた形に見えるけど。理真、もしかしたらどこかで実際に見てるんじゃないの?」

「店は上野に一店舗だけ? 行ったことないなー。そうじゃなくてね、この全体の形がね」

「何だろ、人に見えないこともないね」

「『踊る人形』みたいな? でも一体だけよ」


 レジェンド探偵シャーロック・ホームズの手がけた有名な事件には全く関係はないようだ。


「人……ああ!分かった! ヘラクレス!」


 理真が、ぽん、と手を打った。


「え?」

「『弓を引くヘラクレス』じゃないこれ。上野の国立西洋美術館の外にある彫刻の」

「あー」言われて分かった。「美術の教科書でも見たことあるね」


 言われてみればそれは、『弓を引くヘラクレス』のポーズを簡素に線だけで再現したもののようだ。右側の半円が弓、それと繋がる線はヘラクレスのポーズを模しているのだろう。


「HCは、ヘラクレスを意味してたのね。ふう、スッキリした。さて、情報収集に戻りましょ」


 気になっただけ?


「でも、何だかヘラクレスに縁があるね」

「何のこと?」


 私の言葉に理真は小首を傾げた。理真、憶えてないのか。


「峯さんの守護精霊がヘラクレスだって昨夜話してたじゃない。すごく高そうな万年筆まで見せびらかされて。そういや、ポワロのファーストネームのエルキュール、って、ヘラクレスのフランス語読みなんだよね」


 この業界でヘラクレスといえば、レジェンド探偵エルキュール・ポワロの名前を出さずにいられない。その名も『ヘラクレスの冒険』というタイトルのポワロが活躍する事件集も出ている。勇猛なヘラクレスと、背が低く卵頭で口髭を生やした、かのレジェンド探偵のイメージは全然結びつかないが。


「……理真?」


 全く反応がないので顔を向けてみると、理真は無言で下唇に右手の人差し指を当てている。これは理真が考えごとをする時のくせだ。


「二人のヘラクレス……そう、昨夜確かに峯さんは自分の守護精霊がヘラクレスだと言った。そして、保坂さんは何て言った? 答えなかったわよね」

「うん、保坂さんも自分の守護精霊は何か聞かれたけど、答えなかったね。人に言わないことで力を溜めるとか何とか……」

「……ちょっと確かめてくる」


 理真はベッドから跳ね降りると、ドアを開け廊下に駆け出した。私も慌てて追いかける。


 理真はある部屋の前で止まった。ここは峯の部屋だ。ノックをして入室の許可を得ると同時に理真はドアを開け室内になだれ込んだ。


「峯さん! 聞きたいことがあります!」

安堂あんどうさん、どうしたんですか」


 峯は突然の訪問に面食らっている。


「ヘラクレス。峯さんの守護精霊がヘラクレスだっていうことは、いつ大道だいどうさんから聞かされたんですか!」

「えっ? ああ、それなら確か、そのあとすぐに私が精霊会に入会したんだから……二年前くらいだったかな」

「二年前!」


 理真はぐいと一歩踏み出した。


「そ、そうですよ……」


 椅子に腰掛けていた峯は理真に押し込まれるように背もたれに背中を押しつけた。理真、それ以上行くな。背もたれが壊れそう。


「満足していますか」

「え、何が?」


 理真は興奮すると、よく主語のない文を口にしだす。悪い癖だ。


「ヘラクレスですよ、ご自身の守護精霊にです」

「ああ、そりゃもちろん。私はね、子供の頃からヘラクレスというキャラクターが大好きなんですよ。特に昔好きだったテレビゲームの影響でね。ヘラクレスを主人公にしたゲームがあって、ドラクエは友達みんな遊んでたが、そのゲームを持ってたのは私だけでね、だからなおさら自分のゲームという感覚というか、思い入れが大きかったのかな――」

「ありがとうございます」


 最後まで聞かないまま、礼を言って理真は部屋を飛び出した。慌てて私も峯に一礼して後を追う。


「森岡さんは?」


 理真は廊下に立ち、きょろきょろと辺りを見回す。


「室谷さんに話を聞きに行くって言ってなかった?」


 私が言った「話を聞きに」くらいで理真はすでに歩き出していた。


「あ、森岡さん」


 室谷の部屋に行くまでもなく、ロビーのソファに体を沈めている森岡刑事を発見した。


「おや、安堂さん、江嶋えじまさんも」

「何だかお疲れみたいですね」


 森岡刑事は、背もたれに身を預け両脚を投げ出している。その姿勢見たままの感想を私は投げかけた。


「いや、参りましたよ。室谷さんにお話を伺おうかと訪ねたんですけれども、けんもほろろという応対でして」


 またストレートな質問をしたのだろう、この人は。『新興宗教に恨みを持っていたんですか』とか。


「そんなことよりも森岡さん」


 と理真。そんなこと、って……


「調べてほしいことがあるんです。保坂さんの店の経営状況なんですけれど」


 森岡刑事はすぐに理真の要望に応えてくれた。長野県警に電話して調査を依頼する。


 私と理真は自室に戻った。森岡刑事の報告を待つ間、理真は再び保坂の資料に目を通した。


「学生時代は陸上部所属。今も趣味は体を動かすこと、とあるわね」


 運動部に所属していたであろうという私の勘は当たっていたわけだ。

 数分後、森岡刑事が訪れた。早くも調査結果が出たようだ。私たちは森岡刑事を部屋に招き入れ話を聞いた。


「安堂さん、保坂の店なんですがね、売上のほうはどうも芳しくないようですね」

「二年前くらいからじゃないですか? 店の景気が落ちたのは?」


 理真の指摘に、よく分かりますね、と森岡刑事は驚き、手帳を見ながら先を続けた。


「保坂の店が雑貨店だというのはご存じですね? 店では、保坂が自分で作ったハンドメイドのものと、輸入雑貨を売っているのですが、ハンドメイドのものはどうしても作る数に限りがありますから、売上のほとんどは輸入雑貨に頼っていたそうです。それが二年くらい前になって、近くの商業ビルに入っている大手雑貨屋が、保坂の店で扱っているものと同じ商品を輸入して売り始めたんだそうです。保坂が独占輸入契約でも結んでおけばよかったんでしょうが、そこまで大きな店ではなかったですからね。大手は一括で大量に商品を買うので販売単価も下げられる。保坂の店から客が離れていくのもしょうがないです」


 森岡刑事は手帳を閉じた。話を聞いていた理真は、


「なるほど、ありがとうございます、森岡さん。これで分かりました」

「分かったって、何がです?」

「犯人の動機です」

「犯人ですって? 安堂さん、じゃあ、大道を殺したのは保坂だと? 室谷でなく?」


 理真は小さく頷いた。


「森岡さん、勝手なお願いなんですけれど、今のことは聞かなかったことにしてもらって、私たちに少し時間をくれませんか?」

「時間って、何の」

「保坂さんに自首を促しに行きます」

「何ですって? それは構いませんけれども、危険ですよ。私もついて行きますよ!」

「警察が一緒だと、威圧感を与えてしまうかもしれません。ここは私たちだけのほうが」

「でしたら、私は部屋の外で待っています。何かあったら、すぐに飛び込みます」


 それで話はまとまった。私たち三人は、保坂の部屋へ向かった。



 保坂和志は、森岡刑事が危惧したように乱暴な振る舞いをすることはなかったが、犯行を認めもしなかった。当然のように、証拠はあるのか、と反論した。


「あります」


 理真は静かに言った。


「保坂さん、昨夜着ていたガウンを見せて下さい。あの、赤い花びら模様のガウンです。大道さんが模造剣により刺殺された際、ほとんど出血はありませんでしたが、全く血が出なかったというわけじゃない。調べさせて下さい。あなたの着ていたガウンに散りばめられている赤い花びらの中に、大道さんの血痕が紛れていないか」


 保坂がごくりと生唾を飲み込む音がした。


「または、あなたが首を絞めるのに使ったガウンの帯に、大道さんの皮膚が付着していないかを。あれから別荘内は警官が出入りしており、洗濯なんかできる状況ではないです。もっとも、客人であるあなたが、借り物のガウンの洗濯なんかしたらおかしいですからね」


 保坂は、ちら、とクローゼットに目をやった。恐らく中に寝間着とガウンがしまってあるのだろう。


「まあ、洗濯したくらいでは血液の成分は完全に洗い流されはしません。血液反応は確実に出るでしょう……」

「もし!」


 突然保坂が立ち上がった。


「もし、僕のガウンに血痕があったとしても、それはみんなで大道先生の死体の周りに集まったときに付いたものかもしれない」

「そうですね。条件は皆同じはずですからね。だから全員のガウンを調べましょう。それでも保坂さんのガウンにだけ血痕があったとしたら……」

「密室はどうなったんだ! 僕はずっと鍵が掛かったドアの外にいた。それでどうやって大道を殺せるというんだ」

「その謎も、もう解けています。あのときあなたは……」

「証明してみせろ! 全員集めるんだ。現場で、名探偵得意の推理ショーで、全て説明してみせろ!」


 保坂はヤケになっているかのようだった。

 ため息をつく理真の後ろに、保坂の声を聞いて部屋に飛び込んできた森岡刑事の姿もあった。

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